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投稿者:ゆかの - この投稿者のレビュー一覧を見る
10代の頃から、死にたい、を抱いて毎日を生きている。
生を放棄した登場人物たちが羨ましかったり、恐ろしい死後の状況に死が怖くなったり、とにかく感情が揺さぶられました。
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日曜日なので、文庫で再読しました。
高橋さんもっともっと読みたいですが、書くのしんどいのかなーと思ってしまいます。
日曜日の人々は読んでいる方もしんどくて、今も不眠症を患っている身としては吉村の言うことすごくわかる…となります。
「不眠は昼に肉体を蝕み、夜に精神を蝕む」拒食も過食も不眠も自傷の一種です。
言葉にすることですくわれたり、言葉にすることでますます呑み込まれていくのもわかる気がします。わたしはたまたま軽くなる方だっただけ。
「人生は少しずつ消費するものではなく、ぽろぽろ欠けていくものかもしれない」
高橋さんの文章は痛むのですが、痛みを伝えるために表現を徒に過剰にしてなくて好きです。淡々としています。
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読みたいリストより。
絶望している人がよく出てきた。痛い場面があった。切実でひりひりした生きづらい感じを分かりたいし分からないでもない気もするが、自分は多分本当には分かっていないだろうと思う。
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90年代、ココロ系と呼ばれるウェブサイト群があり、BBSで悩み相談や薬の情報交換をしていた。
当時は確か匿名が当然という感覚は薄く、各々ハンドルネームをつけていた。
おそらくそんなふうな「REM」が、ゼロ年代になってセルフケア手前の集会を開いて……という。
まず押さえておくべきは、少し昔の話だということだ。
決してリアルとは感じなかった。
いちいちモノを書くなんてまだるっこしくて。
また話の運びも結構都合に拠るところがあるし。
しかし、漱石「こころ」(の草稿の分量!)や春樹の持って廻った台詞に、リアルではないと知りつつもリアリティを感じてしまう、感じ方がある。
要は小説内での確かな手ごたえというものがある。
この小説にも、ある。
春樹をつい引き合いに出してしまったが、道具立ては結構似ている。
語り手の流され具合。開幕直前に同年代の女の子を自殺で失くしている(「風の歌を聴け」や「ノルウェイの森」)。無闇に好かれる。
ただし書き方は違うのではないか。
春樹は暗い洞窟を手探りしながら書いていくので、まだるっこしいし停滞している、そこが良くも悪くも特徴。
高橋弘希はおそらく、きちっと全体を見通した上で、描写していく。
だから時に計算っぽくなるが、それもまた個性。
話の筋はまあそういうものとして、細部が好きなのだ。
送られたダイエットシェイクとか、摂食障害者がなぜか買ってきてくれたロースカツ弁当とか、ピザとか、あんぱんとか、なんでもないぬいぐるみとか、熱くなったアスファルトとか、数珠のような葡萄とか、チョコレートパフェとか、海苔に歯痕の窪みができたおにぎりとか、丸っこい小ぶりのおにぎりとか、傷痕に張った薄皮とか。
思い付く限り書いてみたが、うーん結構食べ物が多いな。
ということは、ひなのという女の子が、好きなんだな。
あとはなんでもない遊びをする場面が好き(「指の骨」では地面に絵を描くとか。「送り火」の花札はちと違うか)。
バドミントンとか、フリスビーとか、マイムマイムとか。
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「日曜日の人々」とは自助グループへの参加者が自身を語った原稿をまとめている冊子。主人公の航は従妹が自死をしたことにより、この自助グループの存在を知る。
そこで知り合う人々を通して「死」に向き合っていく。
最後の車内での一連の文章を読んで、自分が死ぬとき自分は何を思うのか、ワクワクしてしまった。
自傷も拒食も不眠も、すべて言葉。
自分に、他人に、伝えたいことがある。死を選ぶときは言葉がなくなった時なのかもしれない。(薬物依存に関しては言葉ではないと個人的には思ったり。)
言葉はいつ何時刃物になるかわからない恐ろしい道具だと思う。
高橋さんが紡ぐ言葉は葉っぱのようだ。気づいたら少し切れていて、その傷が読み進めていくうちにどんどん増えていく。柔らかな文章の中にものすごいエネルギーが秘められている。
読んでいる最中は思わなかったが、読後感は映画『ファイト・クラブ』の鑑賞後の感覚に似ているところがあった。あれは映像とかブラピやエドワードノートンの演技力で凄まじい気迫だったけど、これは文章のみなのだから恐ろしい。
場面が突然切り替わっていく終盤の流れは、呼吸している暇も与えられず何者かに急かされているようだった。一気読み必至です。
誰にも自ら死を選ぶことはしてほしくない。1日でも長く生きてほしい。生き続ける理由にはならなくても、あの人がいるから今日は死ぬのやめておこうって思ってほしい。その あの人 になれるように。
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従姉妹の死の真相を追求するためにREMに参加するものの、拒食症の少女と懇意になっていく。死んだ従姉妹を拒食症の少女に重ねているのだろう。結局、少女の拒食症は悪化し入院にまで至り、主人公は死の欲動に感染する。
拒食症の少女を救えなかったのに、集団自殺を失敗した上で明るいラストを迎えていた。ここで賛否両論分かれるのではないだろうか。
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「病んでる」と一言で片付けられたらどんなに楽か。
「生きたい」と「死にたい」の間を揺れることがある。この「死にたい」は、「楽になりたい」「しがらみから解き放たれたい」ぐらいの気持ちだけど、でもどこかでふっと一線を越えたときに、あちらに行ってしまうのだろう。
だけど、「倫理的にだめだから」とか「周りが悲しむから」とかじゃなく、ただ単純に「生きたい」がある。自分の楽しみだとか、好物とか、そういうものが世の中への未練として残っている。
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表現が痛々しく、ぐぅーーとなり、読むのが辛い時があった。最後の方がちょっと意味がわからなかった。分かるような、理解できるような人になりたい。
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剃刀みたいな文章が
「居たい」と「痛い」を引き裂く。
ぱっくり開いた穴はどうせ空っぽなのに、
なぜだかいつまでも目が離せない。
尾崎世界観
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チャプターズ書店のYouTubeで、
文喫に訪れた際に購入されていた一冊でした。
ずっと気になっていて購入して、
可愛らしい表紙だけを見て、週末に読んだ一冊です。
結果、表紙から想像していた話を違いました。
従姉の奈々が自殺した。
死んだはずの奈々から届いた荷物。
荷物の中には紙束。
それは彼女の日記だった。
彼女の死の理由を知るため、
航は奈々が生前参加していた朝の会。
虚飾、過食、不眠…様々なものを抱えた人たちが集う。
参加者は自分の話したい事を文字にする。
奈々の抱えていた秘密や気持ちを知り、
航もゆるやかに死に近づくような気配に、
途中で読むのが怖くなり苦しくなり、
それでもページをめくる手は止められず。
身近な人が自ら命を絶つこと、
どんなに集まって話をしても聞いても、
結局はぐちゃぐちゃになっていって。
そして突き付けられる強烈な生。
私は影響されやすい方なので、
読み終わった後しばらく放心状態というか、
物語の余韻から抜け出せませんでした。苦笑
でも読んでよかったし、
こんなに痛くて痛い物語を書ける著者の
他の作品も読んでみたくなりました。
今度はあらすじとタイミングをみます。苦笑
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先週の日曜日に図書館で貸出した本。
日曜の憂鬱な気分に寄り添ってくれるのではないか、と思って手に取った。
いざ頁を捲ると、胸を苦しめられる言葉に圧倒され続ける事となった。
「生きることも死ぬこともファッションだと考えればいい」というような台詞を見た時、カンザキイオリさんの「命に嫌われている」を思い出した。彼の曲はこの一曲しか知らなかったが、知らない曲を今聴くべきだと思い「大人」という曲を聴いた。再び涙が零れた。
ひなのちゃんが人の愛に触れることのできた、その事実への安堵感と、私にも自死の可能性はあるだろうなという恐怖。
今まで読んだ本のなかで最も衝撃的だった。
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現在の私の精神状態で読むには少し重たい小説だった。過去の、寝ても覚めても生と死について思考を巡らせ、ときにはあちら側へ踏み出そうかなんて考えていたときのわたしであれば、もっと深く作品の世界に入り込めていたのかもしれない。結局最後まで主人公の気持ちはうまく読み取れなかったし、終盤の生死の際での描写がかなりリアルで目を背けてしまった。
『デプレッションは選択肢の消えていく病であるが、確かに僕の選べる未来は次第に限られていった。僕は幼少期に縁日で見た"千本引き"と呼ばれるくじ引きを思い描いた。あの赤い紐の先に景品が付いているくじ引きである。赤い紐の束が少しずつ減っていき、残った数本の紐を引いてみると、そこには"首吊り“ だの"飛び降り"だの"服毒"だの記してあるのだった。』
いつ誰が自死を選んでも、はたまたいつ誰が自死遺者になっても可笑しくないのだ。あの頃のわたしのくじ引きに、"希望"が残っていて本当に良かった。