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方法的に青春を語ること
2004/04/20 19:59
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんと評価していいのかわからないというのが正直な感想になる。一言で言えば「微妙」なのだ。
そもそもこれを読もうと思ったのは、最近とみに阿部和重という作家が喧伝されているということもあるが、後藤明生を読んでいる流れを追ううちに行き着いたということもある。阿部はアサヒ・コムの「作家に聞こう」のコーナーで、プリンス、ゴダール、蓮實と影響を受けた人間の名を挙げ、そのなかに後藤明生の作品も参考にした、といっている。
じっさい読んでみるとその「影響」はかなり露骨に現れている。
この作品は、一人称とそのなかで語られている中山唯生という人物とが同一人物であり、自分が自分を語るという自己言及の形式を、かなり自覚的に構築している。「アメリカの夜」自体がP・K・ディックの「ヴァリス」を模倣していることが作中で語られているのだが、この模倣というスタイル、テーマは否応なく後藤明生を思い出させるのである。
後藤明生が群像新人文学賞の選評で、「アメリカの夜」についてこう書いている。
「やがて〈語る私=語られる私〉のテーマが出て来た。また〈模倣〉のテーマが出て来た。すなわち、これは〈自己言及〉のテーマを〈模倣〉の方法によって書こうという試みである」
後藤明生の「挾み撃ち」はゴーゴリの「外套」をモチーフにしつつ、その模倣を志しながらも失敗し続けることと、自分の来歴を語る自伝的営為の失敗とを重ね合わせつつ語っていく特異な方法で書かれているのだが、「アメリカの夜」は意識的に「挾み撃ち」を模倣しているとも取れるような作りになっている。なによりこれは「映画」にかかわる「アート系」の自意識過剰な人間たちのあいだで自分もまた「特別な存在」であろうとする格闘を描いている。それは「挾み撃ち」と同じく、ひとつの「青春」の物語なのだ。その「青春」—自己言及に自己言及を繰り返すような自意識の劇を喜劇化するという点がまた両者に一致している点だと思う。
そう思って探してみると、amazonには「90年代の「挾み撃ち」」と題されたレビューがあった。阿部自身にもそのような野心があったと思う。
さらに作中にばらまかれた「ドン・キホーテ」や「失われた時を求めて」についての言及や大江健三郎の引用や柄谷、蓮實の文体模倣などなど、過剰とも思えるほどにそういう「文学に意識的だ」というアピールを行っているのが見てとれる。もちろんそれは単にスノビスムなだけでなく、語り手が語られている唯生を滑稽化するひとつの方法ではあるのだろう。
ただ、わたしはあまりこの小説を楽しめなかった。後半唯生が身体の左右を黒と白に塗り分けたような出で立ちで映画学校での仲間や不良少年たちと出くわす場面などは滑稽で笑えるし面白くもあったのだけれど、さてそれ以外の部分はどうかというと、やはり「微妙」だった。
自覚的であることに自覚的でありすぎる、というと抽象的だが、方法の説明に終始しているという印象があった。
もちろんこれだけで判断するわけではないけれど、ずっと前に読んだ「インディヴィジュアル・プロジェクション」もなんか微妙だったんだよなあ、と感じたことを思い出した。
アメリカの夜
2001/12/27 00:59
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投稿者:333 - この投稿者のレビュー一覧を見る
デビュー作。群像新人賞を獲得した作品。
映画のことはよくわからなかったが、よく書けている作品だった。一人の映画と文学と拳法に熱中した青年を描いている。けど、重さというか、文章に対する精度が低いような気がした。