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橋本甜歌、苦悶の果ての「自叙伝」。あまりに厳しい現実と売文から教訓は見出せるか。
2011/03/14 23:16
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:光森長閑 - この投稿者のレビュー一覧を見る
5年前、彼女の本名であり元々の名義であった「橋本甜歌」名で発売された単行本「12歳の友情論」の書評を書かせていただきました。当時「ピュアピュア」をはじめとするグラビア誌やテレビの画面で活躍する彼女の姿に目を細めていた者として、ケリを付けたいという思いもあり、本書評を書かせていただきます。
現在彼女は「てんちむ」という名義でギャル系のモデルとして活動しているようです。私は全く理解が及ばず、推し量ることしかできませんが、そうしたジャンルの個性やファッションを好む読者層からは一定の支持を受け、彼女も名を成しているということなのでしょう。
本書の本文ですが、いわゆる常識的な「文章」の体裁をなしていません。そもそもどうやって読むのか、私には難儀しました。「親指世代」にはこのほうがリアルに心境を綴れ、かつ読み手の心にも響くということなのでしょう。
本書は、卑見をもってすれば、落ち目になった芸能人の常套手段としての暴露本が如き自叙伝であると断言できると思います。
難しい家庭環境、仕事での煩悶、学校での人間関係の蹉跌やネット上でのトラブル、その果ての性行為や自傷行為など、彼女に降りかかった現実の厳しさは痛切に感じ取れます。もがく姿の全てをありのままに曝け出すことで一歩前へ進みたいという気持ちも理解できます。
芸歴が長いとはいってもまだ10代であり、多少の逸脱した振る舞いはときに寛恕することも必要かもしれません。
また、本書の内容程度の生活や性行動は、彼女と同世代の人たちにとっては当然のことにすぎず、むしろ極めて当たり前に共感できる内容なのかもしれません。
そもそも本書に書かれてある内容自体、自叙伝をなす芸能人としての苦悩の開陳という以前に、人としてどうか、というものばかりに感じます。いわんや、それをつまびらかにする行為もまた如何なものかということです。
少なくとも読んでいて気持ちの良いものではありませんし、改めて彼女を応援しようという気になれるものでもありません。本人の思惑はともかく、浅ましい野次馬根性が満たされるだけのものとしか感じられません。
自身の生活ばかりでなく芸能活動への言及もあります。「女王の教室」のオーディションで競り負けた志田未来ちゃんへの批判めいた言葉なども見受けられますが、他人にとやかく口出しされるようなことではないでしょう。
テリー伊藤氏は帯に「破天荒な中学生だな! でもこれが今の10代の現実なんです!」と言葉を寄せていますが、私はそこに波長を合わせる気はありませんし、合わせられないことを恥じようとも思いません。
彼女は虚像と実像との乖離に激烈な苦痛を感じ続けていたようですが、彼女の認識する「優等生&清純なイメージ」という感覚そのものが私とはズレています。彼女の同世代人なら、中村有沙ちゃんや一木有海ちゃんのような個性を強要されていたというのならそれはお気の毒様、という気にもなります。しかし、彼女の全盛期の像からは古典的なアイドル像に当てはまらない闊達さ、自由奔放さというイメージしか見えてきません。前述の「12歳の友情論」でも、その年齢の美少女にしては相当踏み込んだ物言いをしています。それすらも「NHKでいい子していた、『てんかりん』」だと言うのなら、初めからボタンの掛け違いだったとしか言いようがありません。
「冷めていたり、息苦しさを感じているわけでは絶対ありません」という見立ては完全に誤りであり、弁解のしようはありません。私自身、彼女の天衣無縫ぶりを全くの性善説で理解し、多少の苦悩にも揺らがない大器だと踏んでいたわけですが、彼女に言わせれば虚像だったわけです。
一点だけ、本当に気の毒に思えるのは、写真集などでロリコン読者の好奇の目に曝されるための水着グラビアをさんざんやらされた点です。「小5で水着グラビアをやったとき。エロいし、キモいし、やりたくなかったのに母も父もすこしも反対しないで、むしろ賛成したのは心が痛かった」― 推測するにこの年代の芸能人の共通する思いでしょう。性的な嫌悪感に加え、親にも売られる。これには心底同情します。
もちろん「堕ちていく」ことは絶対に望ましいことではありませんが、一方では予定調和の着地点を見出そうともせず、地力を出し惜しみせず使い果たした結果という側面もあり、全くの慮外者と斬り捨てるのもいささか気が引けるところもあります。
(広末涼子さんも自身のフォトエッセー「sketch」のなかで早大騒動のあたりを自ら「落ちた時期」と評しており、感覚的には近いものを感じます )
だからといって、本書のようなむき出しのどろどろを応援対象とすることはありえません。
こうした「虚像」と「実像」の狭間でもがき、果てはトラブルに堕ちていく芸能人は相当数見せられてきました。
そこにはその方たちなりの事情があるのでしょうが、ファンとして言えるのは、お仕着せの「虚像」を見せられるのにはいい加減辟易しているということです。
彼女のような「犠牲者」を出さなくすることが、「暴露」を「教訓」に換えられる唯一の道です。そのためには「虚像」と「実像」の落差がないこと、すなわち実力が掛け値なしに評価され、他意が極力含まれないことが求められます。「虚像」を作らなければ活躍できないようなタレントをデビューさせないため入口のハードルを高くすることが必要ですし、ファンの側も「虚像」に踊らされない目を養うことが大切です。
加えて、ここまでとなると本人の性向が主因として顕著です。芸能プロダクションも「コンプライアンス」を謳う時代です。これまでにもまして素行や生活歴などの“身体検査”が必要でしょう。
ただ、往時の彼女を見る限り、「虚像」だけであれだけの弾けるような活躍はできず、作り事でない才気を有していたことは確かです。
「12歳の友情論」での私の見立てに間違いがなかったと思えるのは、彼女を「絶対に嘘のつけない真っ正直な人」と評したことです。
美少女タレントとして、彼女は100かゼロかの人でした。全開のパワーは鮮烈そのものでした。しかし、一つツボを外すと全く空回りしてしまう。今こうした姿を曝しているのもある意味さもありなんとも思えます。
本当に馬鹿正直な人なのでしょう。故に、柳に風と受け流したり、お茶を濁して取り繕ったりというような「大人の対応」ができず、どんどん泥濘にはまっていった印象を強く受けます。
本人が辛酸を嘗めた芸能界であるにも関わらず、それでもなおそこで生きていこうとする(そうせざるを得ない)のもまたそうした表れのように感じます。
私には、美少女タレントとして稼ぎの対象にされ、今また「出がらし」までもが搾り尽くされようとしているように感じられてなりません。
今さら真っ当な社会人として生活は無理かもしれませんが、せめて目の前の現実だけは冷静に認識し、これ以上痛々しい姿は曝さないでいただきたいと願います。それが一度は彼女にエールを送った者としての人情です。
てんちむ
2020/02/26 14:02
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
たくさんの苦労を重ねてきて、今では人気ユーチューバーとして活躍している、てんちむちゃん。より好きになりました。
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