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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
存在は知っていたが、ちゃんと読んだことはなかった。
アウシュヴィッツ生還から40年して、あらためて著者が書いたもの。
生還から間もなくつづった『アウシュヴィッツが終わるまで』が収容所の体験に重きが置かれた内容だとすれば、本書は、その後の「記憶」の在り方、伝えられ方についての考えが述べられているように感じた。
戦争にまつわるどんな問題でもそうだが、加害の記憶が歪曲されたり、被害の記憶が誇張されたり、語りはステレオタイプ化される。
それらを指摘した上で、著者は結論として、いかなる場合でも戦争や暴力は必要ない/予防的暴力理論も受け入れ難い、と強調している。そしてその暴力を犯す主は、特別な誰かではなく、「素質的には私たちと同じような人間」だと。
こんなに冷静に、歴史を見つめている筆者が、その1年後に世を去っていたとは知らなかった。
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著者の生涯を知っていると、タイトルが非常に重い。
『救われる』という言葉の本質とは一体、どういうことなのだろう。
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プリーモ・レーヴィ(1919~1987年)は、ユダヤ系イタリア人の化学者・作家。
レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放され、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。同作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年)と並んで有名なものである。その後、様々な作品を出したが、1986年に『溺れるものと救われるもの』を発表し、翌年1987年、自宅アパートの3階(日本式の4階)の階段の手すりを乗り越え、階下に飛び降りて死亡した。
本書は、2000年に日本語訳が出版され、2019年に文庫化された。
レーヴィは何故、解放直後に既に『これが人間か』を世に出しながら、それから40年を経過した時期に、再度アウシュヴィッツを取り上げる作品を著したのかについて、序文にこう書かれている。「私はこの本で、今日でも不明瞭に見えるラーゲルという現象の、いくつかの側面を明らかにすることに寄与したい・・・私たちの話を読む機会を得たすべての人たちを不安にさせた疑問に答えることである。つまり強制収容所に関する事柄のうちで、どれだけのものが死に絶え、もう復活しないのか。・・・そしてどれだけのものが復活したのか、あるいは復活しつつあるのか。・・・その脅威を無力化するために、私たちのおのおのは何ができるのか。」と。
そして、究極の結論として述べているのは、「彼らは、素質的には私たちと同じような人間だった。彼らは普通の人間で、頭脳的にも、その意地悪さも普通だった。例外を除けば、彼らは怪物ではなく、私たちと同じ顔を持っていた。ただ彼らは悪い教育を受けていた。」ということである。つまり、何らかのきっかけがあれば、同じことはいつでも復活し得るのであり、そうさせないためには、自分たちにもそうした素地があることを強く自覚し、常に戒めることを忘れてはいけないと言っているのだ。それこそが、アウシュビッツを風化させないことなのだと。
更に、レーヴィは、そこまで突き詰めながらも(いや、突き詰めたからこそ、なのかも知れないが)、「おまえはだれか別の者に取って代わって生きているという恥辱感を抱いていないだろうか。・・・私は他人の代わりに生きているのかも知れない、他人を犠牲にして。私は他人の地位を奪ったのかもしれない、つまり実際には殺したのかもしれない。・・・最悪のものたちが、つまり最も適合したものたちが生き残った。最良のものたちは死んでしまった。」という思いを拭い去ることはできずに、本書出版の翌年に身を投げるのだ。
『これが人間か』から40年を経て、その体験の風化に危機感を抱いたレーヴィの遺言の書である。
(2020年7月了)
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ある出来事が、時代の経過によって、または個人の立場によって、その善悪は推移する可能性があるが、収容所でナチスのしたことは、動かしようのない悪だ。
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著者がアウシュヴィッツ体験を晩年に再整理。灰色の領域という概念を提唱し、加害者と被害者、迫害者と犠牲者、善人と悪人などと簡単に区別できないことを訴えかける...。
「大量虐殺は特に西洋世界、日本、そしてソビエト(ママ)では不可能だと思える」と述べているが、一度起こったことは二度三度と起こる可能性があることを誰が否定できようか...。後世に受け継ぐべき名著。
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「これが人間か」から約40年を経て、改めてアウシュビッツでの体験を描くもの。本書刊行後、著者は一年ほどで自死を選ぶのですが、彼を苦しめたものの内実はいったいなんであったのでしょうか。