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上巻は第7章まで。大まかな世界史はわかってるよね前提で進んでいく。中国とかイスラム圏とかアフリカとかはともかく、欧州史でさえ、10世紀以前はかなり忘却の彼方。なまじ固有名詞に覚えがあるだけ寧ろもどかしい〜。下巻はインドかららしい。大丈夫か?
しかしレバノンのゴミ問題、凄まじい。ゴーン氏もコレに辟易して逃げ出したのでは。不謹慎でした、スミマセン。
あと、ロバート・カプラン『The Coming Anarchy』の翻訳希望。西アフリカ、気になる。
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自由には国家と法律が必要。
国家とエリートに任せておけばいいというものではなく、社会が国家とエリートに立ち向かうことで、自由は実現される。
そうした自由は、社会の様々な階層が協力しあうことで実現される。その意味で自由はプロセスであり、実現は容易ではないため、専制国家と無政府状態の間の回廊と比喩される。
そんな感じ。世界各地の歴史の知識が豊富で、独自の観点で論じてて、すごいと思う。
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同じ著者による前著「国家はなぜ衰退するのか」では、リベラル・デモクラシー+自由主義経済が発展するために必要である一方、強権的政治による収奪的な経済制度が衰退に繋がることを説明したが、続編である本著は同様な主張をさらに精緻化して提示している。具体的には後者にも集権的独裁制度や社会主義計画経済、農奴制、無政府状態といった様々なパターンがあり、強権的政治による収奪的経済制度と一括りに説明するには無理があるということである。そこで本著では「国会」と「社会」の力関係の組み合わせという枠組みを提示している。この枠組みにより「衰退する」国家の様相を精緻に説明するととも、「繁栄する」リベラル・デモクラシー+自由主義経済の国家も安泰ではなく、「国家」と「社会」の力関係が変われば、「衰退」する側になりうることを古今東西の豊富な事例を挙げて説明している。
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本書は国家や社会に圧制されない政治的及び経済的な「自由」とは、どのような条件を満たした場合に実現するのかという論点を扱う。本書における結論は、国家と社会の両方の力学をうまくバランスさせた場合に現れる「狭い回廊(原題のThe Narrow Corridorとはこのことを指している)」を徐々に進むことにあるというものである。
「自由」を巡る思考の第一歩として、当然本書ではホッブズのリヴァイアサンを巡る議論からスタートする。本書では、「万人の万人に対する闘争」を避けるために、社会契約に基づき成立するリヴァイアサンの重要性を示した。しかしながら、社会契約に基づき成立したリヴァイアサンが実態としてむしろ「万人の万人に対する闘争」を引き起こしてしまう2つのケースをホッブズは認識できていなかったことが示される。
それは現代に生きる我々にとっては、以下のように極めて馴染みのある2つのケースである。
①ナチスドイツによるホロコーストや、中国の文化大革命など
⇒合法的に成立した国家であるにも関わらず、絶対主義の名のもとに国民及び周辺諸国への暴虐を繰り広げる
②コンゴなどアフリカの一部の国で見られる無政府状態
⇒国家は成立しているものの実質的には機能せず、軍閥などによる暴力支配が繰り広げられる
本書では①をあまりにも国家の力が強くなりすぎた「専横のリヴァイアサン」、②を社会の力が強くなりすぎた「不在のリヴァイアサン」と定義する。その上で、国家及び社会の両方の力が強大になりすぎないように足枷をはめつつ、バランスを取るように成立する③「足枷のリヴァイアサン」こそが、唯一の闘争状態を抜けられる道であることを示し、様々な歴史事例を紐解きながら、どうリヴァイアサンに足枷をはめることができるかが説明されていく。
曖昧な概念がクリアな定義と歴史的な実証によって裏付けられていくのは極めて面白い。続いて後者へ。
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社会の力と国家の力のバランスによって、国家=リヴァイアサンは専横のリヴァイアサン(ナチ、中国)、不在のリヴァイアサン(アフリカ)、足枷のリヴァイアサン(西洋諸国)に分類される。国家と社会がせめぎあい、鏡の国のアリスと赤の女王のように双方が走り続ける足枷のリヴァイアサンが維持されると自由と繁栄を維持できる。
足枷のリバイアサンの例 アメリカ、都市国家アテネ、善政の寓意イタリアの都市国家、メキシコサポテカ文明、集会政治と官僚機構のフランク王国、イギリスマグナカルタ、不在のリヴァイアサンの例 地縁血縁による規範の織、ナイジェリアのティブ、レバノン、ザンビア コンゴ、アイスランド、専横のリヴァイアサンの例 税率が高くなりすぎると税収が減るラッファー曲線、イスラム国家、ハワイカメハメハ、南アフリカズールー、グルジアシュワルナゼ、ビザンチン帝国、民が弱ければ国は強い秦の法家主義商鞅(隋唐明毛沢東)、道徳的な規律と民の信頼重視だが庶民が政治を議論することはない漢の儒教(宋清鄧小平) 中国は歴史的に民主化されたことがなく、今後も民主化される可能性は低い
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面白いっ!つーか博学すぎ。メキシコ、中国、ヨーロッパ、ハワイ、アフリカ。。権力をふるう=ふるわれる人がいる。究極の暴力装置「国家」と、そこから逃れる「人々」の自由。権力の存在する制限付き自由=秩序。中国は専横的支配と儒教的支配の2系統。現代中国の監視社会の中の自由も触れられている。リヴァイアサンは足枷が必要か。など。
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米経済学者2人が、自由について世界的かつ歴史的見地から述べたもの。ホッブズのリヴァイアサンになぞらえて、社会と国家による強制の度合いとにより「専横」「足枷」「不在」の3つに分類し、世界中の様々な地域の状況に当てはめて、意見を述べている。結局、国家として強制しすぎず、緩め過ぎずのバランスが大事で、その幅が「Narrow Corridor」になっているとの主張である。哲学者の見解と実際の状況との比較・分析が面白い。上巻では、中東、アフリカ、ヨーロッパ、中国が題材となっている。
「自由は容易にはもたらされない。多くの人々が、機能不全国家に苦しみ、規範と伝統の檻にとらわれている」p12
「(アラブの春)贈り物をもらったと思っていたら、この世のあらゆる悪が飛び出した」p22
「法のないところに自由はない(Jロック)」p24
「本書の主張は、自由が生まれ栄えるためには、国家と社会がともに強くなければならない、というものだ。暴力を抑制し、法を執行し、また人々が自由に選んだ道を追求できるような生活に不可欠な公共サービスを提供するには、強い国家が必要だ。強い国家を制御し、それに足枷をはめるには、結集した強い社会が必要だ」p28
「(国家なき社会)過去200年間に調査した27の国家なき社会の暴力による死亡率は、人口10万人当たり500人超。これは現在の合衆国の殺人率人口10万人当たり5人の
100倍以上」p43
「二人の人間が同じものを欲っしながら、それを双方で共有できない場合、彼らは敵同士になる。そして、互いに破壊または征服しようと努める」p44
「ホッブズによれば、力は、または少なくとも十分に圧倒的な力は、どのようにして獲得されようとも正義なのである」p47
「群れから離れたニワトリはタカにつかまる」p60
「(レバノンの弱い国家)レバノンの権力は国家ではなく、個々の共同体に所在する」p119
「(ニーチェ「力への意思」)他者に対する支配や権威を、規範に逆らってでも高めたいという集団の欲求」p148
「中央集権的権威のない社会は、規制・抑制する複雑な規範を通して組織される。いったん国家形成のプロセスが始まると、国家建設者はこうした規範を破壊したい、
または少なくとも自分の目的に合わせて作り変えたいと思い始める。より大きな力を目指す上で邪魔になるからだ」p149
「人間はいかなる社会的組織においても、その成員たちの争いを阻止するために、抑制力を行使し、調停者としての役割を果たす者を必要とする。この人物は必然的に連帯集団内で、ほかの者たちを支配するような者でなくてはならない。そうでなければ抑制力を行使することができない」p186
「徴税は、王朝の初期には低率の課税であっても収入が大きい。王朝の末期には、高率の課税であっても、収入は少ない」p188
「初期の経済発展は長続きしない」p191
「持続的な経済成長には、安全な財産権、通商、投資があればよいというものではない。さらに重要なことに、イノベーションと生産性の継続的な向上も欠かせない」
p196
「繁栄や経済成長を起こすインセンティブを持つ人々が、国家なきところには存在しない。なぜなら争いに裁定を下すための法律��なく、紛争中は財産権が保護されず、また国家なき空白を埋めるようにして現れる規範が、経済的インセンティブを歪め、経済活動を阻害するからだ。その結果、投資の果実は奪われ、浪費され、散逸しがちである」p240
「公共サービスがなぜ重要かといえば、よりよい道路や運河、学校、規制を提供すれば市民の生活が改善されるというだけではなく、公共サービスが幅広い機会を下支えするからでもあるのだ」p241
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2024年12月30日、グラビティ友達のKeiさんが10/26 紹介してた。読み応えありそう。
「積読になっていたアセモグル教授の
「自由の命運」
ノーベル経済学賞を受賞したと聞いて慌てて引っ張り出してきた笑
経済学部卒業生としてこれは読まねば!
#ノーベル賞 」