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結局、何が「新しい実在論」なのかわからなかったなあ。まあ、「古い実在論」が何かわかっていないのだから仕方ないなあ。いろいろ危機がありそうだけれど、それも結局何が危機かわからなかった。まあ確かにいろんなことが便利になったからって、空いた時間で瞑想したり読書をしたりできているわけではない。というか、ツイッターとそこから入っていくユーチューブなどのために、読書時間は圧倒的に減ってしまっている。とは言え、それで、いろんな情報は得ているわけだし、まあいいと言えばいい。会社に法律専門ではなく、倫理が専門の人を入れて、意見を聞いて、最終決定を下すというのはいいかも。もっとも、それは専門家でなくとも、皆が倫理的であればいいのか。そのために、大学もあるのかもしれない。そういう意味では、大学には大いに意味がある。著者が出ているテレビも見たりしているけれど、自信過剰で断定的な物言いがどうも受け入れにくい。また、本書の始めの方に、ヨーロッパが一番で、アメリカとか日本は後追いのような記述があった。もう、ちょっとその辺から引いてしまって、なかなか著者の言いたいことに寄り添うことができなかった。でも、どうして日本でこうももてはやされるのか。日本にもいい思想家はいくらでもいるのになあ。
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全貌がわかるわけではなかったけれど(そもそも人文的なものに「わかった」が存在するか怪しい)たしかにいい感触というのがあった新書だった。これをきっかけにして色々と読んでいきたい。一番新しめの哲学。
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価値、民主主義、資本主義、テクノロジー、そして表象。
それぞれの危機によって、世界史の針が巻き戻っていると警鐘を慣らしている。
GAFAやAIに対してかなり強い批判的な意見を投げかけているが、そこには彼の未来に対する大きな懸念があるからだ。
世界は何処に向かっていくのだろうかと、深く考えさせられる。
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日本の読者向けに行われたマルクス・ガブリエルのインタビュー。
たいして期待せずに読んでみたが、これは結構面白かった。
なにが「真実」なのかわからないポスト・トゥルースの社会において、マルクス・ガブリエルの「新しい実在論」は、たしかな実在を認めて、なんらかの共通性に基づいて混乱した世界を理解していこうということで、多くの人が求めているものだと思う。
というわけで、「新しい実在論」が求められる理由はよくわかるのだが、では、具体的にそのどこが「新しい」のかということについては、正直、よくわからない。(本人は、ポストモダーン思想以降、初めて現れた新しい思想と主張しているのだが)
ガブリエルはたしかに「現実」や「真実」の「実在」をみとめる。しかしながら、一つの「現実」、「世界」の存在は認めないので、結果として、複数の「現実」が林立して、彼が批判するポスト・モダーン思想、構成主義とある意味、似たような話になってしまう感じがしている。
この本では、ガブリエルの哲学それ自体というより、そこから見えてくる現代社会についての議論が紹介されていて、ある意味とてもわかりやすい。
なるほど、新しい実在論では、こういうふうに「現実」を捉えて、「問題」にたいしてこういう処方箋を提案するわけね、ということが、よくわかる。
で、最後にもう一度、ガブリエルの哲学の主要点について、確認していく構成もわかりやすい。社会への適用から、彼の哲学が逆に浮かび上がる構成になっている。
とはいえ、ガブリエルの現実の見方については、面白いところもたくさんあるが(トランプ大統領の評価とか)、全体としては、あまり賛成できないかな?
なんだか、いろいろ言いながらも、やっぱ西欧中心的な議論かな〜と思う。
一番印象的だったのは、ガブリエルが最大の論的としているのはポストモダーン思想ではなく、自然主義、科学主義、唯物論なんだな〜というとこ。(「私は脳ではない」での議論と基本同じ)
あ〜、やっぱそうか〜。
ガブリエルは、「実在論」という名前ではあるが、形を変えたポストモダーン思想ではないかと思っているのだが、反自然主義ということでも、この2つは実は共鳴しあっているな〜と思った。
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Memo:
インターネットはジャンクというガブリエルさんのお話なのだが、手軽に超すぐ読めて面白く、インターネットのコンテンツのようだった。
(P69) 深い文化的異質があるとするストーリーは、戦争をあおり、他者を攻撃する口実になる。こうやって「他者」の存在を作り上げる。
(P72) 人間性というのはきわめて普遍的。文化相対主義の機能は非民主的なインターネットを正当化するためのもの。
(P82) 人から人間性を奪うには。1:相手を悪だと思うこと 2:相手を善だと思うこと 本来、善悪などないただの人間。
(P104) 民主主義の本質:戦うことは合理的じゃない。もっと前向きなことに集中しよう。
裁判で完全勝利は無いし、複雑で緩慢なプロセスがあって、とにかく面倒。完全勝利があるのは独裁。
どんな戯言でも口にできることは、民主主義でなくFacebook。
(P120) 「人間はこうあるべきだ」というモデルを、社会システムにいるすべての人間に押し付けるべきではない。
(P123) 他人の尊厳を減らす人は、自分自身の尊厳も減らしている
(P129) 法律上の制限がないグローバル経済は明らかに問題
(P152) 資本主義そのものは必ずしも悪ではないが、資本主義には「悪」の潜在性がある
(P135) 倫理資本主義
社会のゴールは、企業のゴールを含めて「人間性の向上」になるべき 利益の増加ではなく、モラルの進歩を目指す
---ある意味中国的では。P120での主張に沿う押しつけにならないか。数値による統計処理でスコアリングとかしない、モラル進歩なあ…。点数付けのほうが公平で善良、とならないか。
(P153) グランドセオリーの構築が必要だ。すべての学問分野は同じ一つの目標を持つべき。人間、幸福(well being)の条件を理解すること。
---中国やカルトとの違いも書いといて。
(P164) ビッグデータ解析でアルゴリズムやAIで生活向上は夢物語。カリフォルニア西海岸文化、起業家たちの精神はLSD三昧、正気じゃない。散漫な思考(バカ)はクリエイティビティには大切だが、実知識においては、厳しい集中力と散漫な思考の組み合わせが重要。インターネットが我々にもたらすのは、散漫な思考、ドラッグ中毒の子供たちの精神だけ。それが人工知能。
(P375) インターネットではバカがバカに物を薦めあっている。それを群知能SIなどともっともらしい名前で呼んでいる。実際は群れの知能でなく、群れの凡庸性。
(P175)自動化でできた時間はさらなるネット消費に振り分けられるだけ。
creative people が余暇で何をするかというとNetflix鑑賞。
あまった時間はシステムにデータをfeedbackするためにつかわれ、そうしてさらなるrecommendationの悪循環。毎日仕事を終えて人が何をするか、今日もネットに助けてもらった、さてネットするか、が現実。
→ネットが人類をよりcreativeにするとは思えない。
ー--ネットが現れるまえ、TVに対して言われてたことだね。
(P182) 行きつくところは…
残るのは今まで労働を機械任せにしていたせいで、働き方を忘れてしまった愚かな人間たち(末人)
彼らはやがて争いをはじめ、世界は崩壊。
(P186)各国政府は国民がGAFAに雇われているという事実を認識したほうがいい。GAFAはすべて変えるか、我々にお金を払うかどっちか。ネット検索するだけでお金持ちに。(これが末人のためのベーシックインカム。ただただ世界崩壊させないためだけの。)
(P188)我々は一年のうち四か月もネットをして過ごしている。びた一文くれない人のために働いて過ごしている。無料とされるサービスで得られるより多くの代償を支払っている。でなければ、企業は存続できないから。
(P190) テクノロジーとは壊滅の力。
(P191) 完璧になめらかな機能性には、ダークサイドがある。
(P219) 我々が自らを正す唯一の方法は、自分とは別の視点を持つこと。それが人間社会。構成員同士のやりとりが増え、社会が複雑になるほど、より多くのロジックが生まれる。複数の信念が広がる網全体が社会になる。
---ビッグデータのフィードバックやリコメンドと似てるじゃないか。
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これは政治の話ではなく、個に迫ってくる未来の
選択を、逆流して考えていく哲学だ。
人間の素の感情はその国々の風習文化で異なると思いきやそうでもなく本能的な部分で人は沸き起こるイメージを自覚できる
そしてそれがこれから必要になってくるのだと思った。
個々のフィールドを小さい範囲にしたとしても
得られる情報やよろこびは広がるし満足する。そこから民主主義を選ぶ側の民主主義の選択をできるように私たちは常に問うて疑い、
哲学をしていく一つの指針となる一冊だと思う。
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様々な危機(価値、民主主義、資本主義、テクノロジー、表象)が起きている現在、英国のEU離脱、トランプの独裁主義への動き等に見られるように世界史は昔に遡っている気がする。新しい実在論として真実を求めている、フェイクニュースは避けるということの大切さを唱えている哲学者だと思う。ヨーロッパが行っているのは見せかけの擬態、民主主義の基本的価値観はコモンセンス、グランドセオリーの構築が必要、それを基に我々はどう考えていくのか新しい哲学を突きつけられた気がする。
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NHKの番組で関心をもったので手にとってみた。結論としては、氏の主張の方向性はわかったものの、その論拠みたいなところがほとんど触れられていないため、新興企業の妙な経営者の持論でも聞かされているようだった。
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独断的で非論理的。
言説が独断的で、また各言説間の関係性も非論理的であったので、彼の論理を追うことが非常に難しかった。日本の読者へのインタビューと言う形式だからかもしれないが、自分の言っている事は明らかであるから、説明しなくても良いと言うような態度が見えて読みながらイライラした。また哲学についても、世界情勢についても、月並みの見解を羅列するだけで、新しい知見や見解は見当たらず、自分で勝手に新しいと言っているだけのように思えた。
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グローバル経済において、労働環境が異なる中国のような主要プレーヤーと製品のやり取りをするのは、ルールなしで巨漢と殴り合いをするようなものだ。
そこにはルールが必要であり、トランプはこのルールを確立しようとしている。
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世界は存在しない。現実は多数あるから。そして、その現実はそのまま知ることができる。
世界はなくて、意味の場があるのみ。
認知が全て、ということなのかな。キーは真実。正しいことはあるはず。
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<目次>
はじめに 新しい哲学が描き出す針が巻き戻る世界とは
第1章世界史の針が巻き戻るとき
第2章なぜ今、新い実在論なのか
第3章価値の危機
第4章民主主義の危機
第5章資本主義の危機
第6章テクノロジーの危機
第7章表象の危機
補講新しい実在論が我々にもたらすもの
P95仏教(禅宗)に代表される日本の価値観は、欲望を
極力切り捨て、大きな変化を求めるよりも。今目の前
にあるものを、大事にする思考だ。これは新しい
実在論の形である
P97デジタル時代への次なる貢献は、新しい思想の波
である
P98よりすぐれた思想、あまりか企業よりもすぐれた
哲学を持つ企業が必要
まあまあ。
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インタビュー文字起こしがベースで日本人読者向けという意識があるので読みやすいし、それほどのボリュームでもないのでこの時期にサクっと読んでしまうにはうってつけの教養本でした。
哲学界のロックスターと呼ばれるドイツの哲学者が「新しい実在論」を軸に世界の危機を読み解くという本。
彼が「表象の危機」と表現し米国、欧州、中国の振る舞いというのは「そういうフリ」でしかなくて、目に見えていることとは全く異なる衝突が起きているんだよ、という解説が私には1番スリリングな内容でした。
政治や地政学、デジタルに経済も網羅的に語ってくれるので、何やら複雑怪奇な現代というシステムを俯瞰するのに良い知恵を授けてくれると思います。
デジタルと地政学について落合陽一と似たような切り口で語りますが、デジタルに対する信頼度というか期待については真反対というのは興味深かったです。
マルクス・ガブリエルはインターネットは全く民主主義ではないし、シリコンバレーの文化・・・自然主義や統計主義と表現していますが、これについては真っ向から否定しています。
さらに日本のことを「優しい独裁国家」と遠回しに揶揄しながらも、住んでる我々が苦しむ「精神の可視化された社会」については期待の目を向けていました。
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・インターネットはすべてが反・社会主義的。民主主義の土台を揺るがしている。デジタル化によって、リアルとバーチャルの境目があやふやになった。
・新しい実在論における氏の主張は二つ。「すべてを包摂する現実は存在しない」、「現実はそのまま知ることができる」。現実は数多く存在する。「意味の場」は複数ある。
・「新しい実在論」はリアル(真実)とバーチャル(嘘)の境目を明確にするもの。真実に目を向けるための思考法。新しくグローバルに協力し合おうという提案。
・相手を悪だと思うことも、善だと思うことも、人から人間性を奪う。
・特定の偏見を克服するためには、「意味の場」を学ぶこと。「我々は何人たりとも排除してはならない」という主張は、誰かを排除している人たちを排除した、というパラドックスに陥る。
・倫理資本主義。経営に倫理学者が介在するような構造が必要。
・モラリティの資本主義。環境危機を解決する企業が二十二世紀の政治構造を決定する。
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「新しい実在論」についての解説書。正直に言うと内容についての理解度は4割もいっていない気がする。
世界は「価値の危機」「資本主義の危機」「民主主義の危機」「テクノロジーの危機」に直面しており、その4つは「表象の危機」に結びついている、というのが筆者の主張。薄い理解ではあるが、「現物」を手に取らずとも様々なものを見聞きしたり、実際に会わずともコミュニケーションが取れたりする現代において、人々は「幻想」を「現実」だと捉えてしまい、その裏側にある「真実」を見ることができていないということかと思う。
「テクノロジーの危機」の章では、「人工知能など存在しない」「AIは知能をモデル化したものである時点で、知能そのものにはなり得ない」という主張はなるほど納得がいくし、シンギュラリティ云々というのは起き得ないという思いは強まった。しかし同時に、AIによって人間の単純労働を代替することへの警鐘は、自分の会社で目指している方向性への真正面からの批判であり、且つ有効な反論も思い浮かばない。
結局、企業にしろ政府にしろ、倫理感を持たないものたちが勝ち続けている限り、世界は着実に破滅へと向かっていくのではなかろうか。
この辺りの考え方は『ファクトフルネス』とは真反対な気がしたので、もう一度読み直したくなった。
しかし、曲がりなりにも大学で「資本主義が〜」などと詭弁を振りかざしていた割に、そこで得た周辺知識との紐付けが全然できなかったのは悔しいし、己の無力さと無知さになんとも言えない惨めな気持ちになった。
一度学んだことを忘れない頭脳が欲しいなあ。