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社会、歴史、宗教学などなど様々な著作を残す佐藤優さんが、心優しい人ほど生きづらい現代で、いかにメンタルを保ちつつ渡っていくかについて述べた本。佐藤さんの世界史関係の本はよく読んでいたので、メンタルについて語っているのは意外だった。共感できる部分もそうでな部分もあるが、特に最後の「いき」の話など様々なヒントが散りばめられている本だった。
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弱肉強食の現代社会にいかにしなやかにしたたかに生きていくかべきが記された教科書。
筆者の主張に共感できること多々あった。
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ストレスの多い社会の中で
特別なことを意気込んでするのではなく、
静かに強くしなやかに生きていく方法を説いていてなかなか参考になった。
この人の考えは仏教の諦観に近い気がする。
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この世の中は矛盾ばかりである。佐藤さんが言うように下品な世の中である。そんな世の中をどのようにして生き抜くべきかが書かれており、これからの生き方の一助となった本であった。
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特に目新しいことは書かれていない、しなやかに生きていくことの勧めが全般にわたって語られている。どうやってメンタルを強くするか、というよりかは、どういう心の持ちようで、日々の見方を変えていくか、というところに焦点がある。
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2021年7月18日記述
メンタルの強化書
佐藤優氏による著作。
2020年1月1日初版発行。
題名にあるように思うようにはならない世の中を生き抜く上で大切なマインドセットは何かを佐藤優の視点から解説している本。
もちろん何か特別なウルトラCが書かれているわけではない。
(むしろそんなものは怪しいだろう)
良い本というものはある程度、類似性があるものだということを痛感する。
印象に残った部分
とくに現在のような二極化が進む世の中では、期待を裏切られることの方が増えるでしょう。
一歩引いた目線で冷静に世の中と向き合う。
最低限の努力はしながらも、過大な期待をしないくらいの距離感が心の安定には良いと思います。
「諦め」とは様々な苦い体験を経て、「人間にはどうすることもできないものがある」ということを知ることです。
自らの限界を知らない存在は傲慢になります。
それは時として人を傷つけ、暴力を振るうことにつながっていきます。
「意気地」=譲れない一線をしっかり持っているからこそ、それ以外の部分では妥協することもできる。
柔らかくしたたかに生きることができるとも言えます。
現代社会でたくましく強く生きるためには、1つはできるだけ信頼でき社会的価値が高いと評価されているアソシエーションに属することです。
そしてもう1つが、現代社会の中で解体され失われつつあるコミュニティを復活させ、そこに属することです。
自分の置かれている状況を分析し、相手が何を求め、何を避けようとしているかがわかれば、心乱すことなく対応ができます。
怒りだけではなく、人間は行動によって感情を作り出すという事実を示しています。
つまり悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる。
面白いから笑うのではなく、笑うから面白くなる。
睡眠時間が6時間未満の人は7~8時間の人に比べて死亡率が2倍以上になるという調査結果もあります。
何よりもまず、質の良い睡眠を取ることから始めましょう。
そのようなメンタルの病気に罹ったことを、あえて自分で公表する必要はありません。
というのも、世の中にはまだまだ偏見も多く、メンタルを病んだ過去があることで様々な色眼鏡で見られる可能性があります。
自分の過去を全て話す必要は無い、というのが私の考えです。
聞かれたら答えるという姿勢でいればよく、聞かれない事を話す必要はありません。
外交の世界でよくやることですが、自分に都合の悪い情報はあえて相手に伝えないというのがあります。
もちろん聞かれれば答えますが、聞かれなければ答えない。
多少のズルさも、生き抜く上では必要だと思います。
どんなに意識が高まり、制度が整ったとしてもパワハラやセクハラは無くならない、というのが私の結論です。
なぜなら人間自体が悪を内在させているからです。
悲観的楽観論・・最悪の事態を想定し、そのシュミレーションをしておけば
どんな事態が起きたとしても慌てず、パニックになることなく対処することができます。
組織というのは基本的に上司の味方だと考えましょう。
組織のバックがある人物には到底かないません。
組織の中で生き残るには「味方を増やし、敵を減らすこと」が重要です。
直訴するタイプの人間、上に歯向かう人間を、組織は基本的に歓迎しません。
仕事ができない人は、単純な仕事を複雑にする。
仕事ができる人は複雑な仕事を単純にする。
パソコンの中のデータ整理も、むやみにフォルダ分けをしません。
すべて1つのフォルダにしまい込む。
書類が必要な場合はキーワード検索すれば出てきます。
フォルダ分けすると見た目はいいのですが、フォルダ自体がどこへ行ったかわからなくなり、間違えて違うフォルダに放り込んでしまうと、
探すのにひと苦労することになります。
書類や資料を探す時間を極力減らすことが、日常の仕事の効率アップにつながります。
(この辺は野口悠紀雄氏の超整理法に通じるものを感じる)
経験則から下手にテーマなどで分類するより、時系列で並べた方が探しやすいと自分でわかっています。
むしろサラリーパーソンの方が顧客や得意先など、仕事上の付き合いを絞り込むことができます。
フリーランスはそうは行きません。
それこそ幅広く人脈を広げていかねばなりません。
ストレス度はどちらが高いか一概には言えませんが、少なくともフリーランスだから自由だという安直な考えは事実とは大きく違っているということです。
国家も大企業も、そしてお役所も、国民1人ひとりの健康や幸せを願うというよりも、国家や企業としての活力をどう維持していくか?
それが最大の関心事なのです。それゆえ彼らは常に現実を、労働力や経済力というマクロな数字=抽象的な概念に置き換えて考える。
そういう体質と癖を持っています。
ですから国民1人ひとりのミクロな利害と
国家としてのマクロな利害がぶつかった時は、国家は迷わずマクロな視点、マクロな利害を優先します。
働き方改革で働く国民を幸福にするというのは、
あくまでも建前であることを肝に銘じておきましょう。
その本音と目的は超高齢化社会、少子化社会がさらに加速する中で、いかに健全な労働力を継続的に確保するかということに尽きます。
ただでさえ労働力が減っていく中で、途中で燃え尽きてしまわないように細く長く働いてもらう。
それが労働力確保の意味でも、医療費や社会保障費などの削減の意味でも必要不可欠な命題なのです。
人よりも半歩遅れて進むという考え方をお勧めします。
世の中の流れと一緒になって、前のめりに進むのではなく、あえて「半歩遅れて」物事をみるのです。
私は、非正規雇用者に向けられた「自己責任論」は本来取るべき責任を、自由度の少ない弱者に転嫁する「責任転嫁論」に他ならないと考えます。
むしろ「自己責任」を追及されるべきは雇用者側ではないでしょうか?
努力は本人が自主的、主体的にするものであって、第三者が努力しろと強制する権利は本来どこにもありませんし、努力しなければいけないという義務��ど存在しないのです。
当然そこに責任など生じるものではありません。
雇われた人達が労働力という商品であるとしたら、そもそもそこに「自由」があるでしょうか?
労働力を商品化し、搾取が行われている構造の中で、
労働者は自由意志を持った存在とは到底言えません。
「自由なき所に責任無し」です。
「前のめり」に情報に飛びつくと、ミスリードされてしまいます。
そこで立ち止まって、
「そもそもなぜこんな情報が出てくるのか?」
「どこから流れた情報なのか?」
「その目的はどういうものか?」
と考えることが大事です。
私は「立ち止まることができる力こそが教養である」と考えます。
前のめりに突き進むのではなく、周囲の人達が、社会が前のめりになって同じ方向に突き進んでいる時、「ちょっと待てよ」とか「あれ、おかしいぞ」と立ち止まることができるか?
個人的には消費税を20~25%に上げるなど税金を増やして社会保障を充実させ、生活の不安をなくす北欧型経済こそ、日本人の体質に合っていると考えます。
むしろ増税によるメリットを明確に示し、将来この国をどうしていくのか、そのビジョンを明らかにすることが必要です。
私なら消費税を20%あるいは25%に上げて、大学までの教育費を全て無料にします。
私立はもちろんですが国公立の大学の授業料は軒並み上がっています。
2016年の文部科学省の調査では、大学の年間授業料は国立大学で53万5800円、
私立大学の平均が87万7735円となっています。
1985年の授業料と比べると、私立大学、国立大学ともに約2倍になっています。
子供を私立一貫校で教育を受けさせることなど、一般家庭ではとても難しい。
いまや子供の教育にお金を掛けるか、それともマイホーム購入かどちらか一つを選択しなければならない時代になっています。
親が受けた教育よりも子供が低い教育しか受けられない社会は明らかに衰退していきます。
消費税を上げることで国民が教育費から解放されれば
家計も救われ、教育レベルの下方スパイラルも避けられるのです。
環境と因子の関係で誰もがうつ病になる可能性がある。発病の閾値がそれぞれにあり自分の耐性を意識しながら、その閾値の範囲内にいるように気をつけることがメンタルを保つ上で大切です。
心を病んだからと言って一概に自分を責めるのも間違っているし、逆に環境のせいだけにすることもおかしいのです。
しなやかで折れない「強い心」を作るためには、自分自身の考え方や心の構え方を変えると同時に折れにくい環境を整えるよう心掛けることが肝要です。
労働者に賃金を支払いますが、その賃金の本質は利益の分配ではありません。
それは資本家が労働者を労働力という「商品」として購入する「代金」に過ぎないのです。
ですからどんなに利益が上がった所で、それを労働者に分配することはありません。
どんな状況であれ、とにかく安く労働力を購入した方が利益が上がります。
資本家は常に利益の最大化を図り、他社との競争を勝ち抜くために拡大再生産を行おうとするのです。
利益の分配は誰���やるのか?
それは役員や株主との間で行います。
労働者は人格を持たない商品ですから分配する対象ではないのです。
資本主義のこの構図を知れば、お金持ちになるには搾取する側、すなわち資本家にならなければ駄目だということがわかるでしょう。
私に言わせれば現代の競争社会の中で勝ち残っている人は、特異な能力があるかあるいは親の遺産を引き継ぎ、最初からスタートラインが違っているか、
さもなければよほど図太く、図々しい人物であるかのいずれかだと思います。
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"言語化し、分類=カテゴライズすることで、ようやく自分の中で安心する。それができないものに対して不安と怖れを覚えるのです
神なき時代割り切れないもの、理性や合理性で理解できないものをあえて存在しないかのように扱います、そしてときには恐怖心と不安感を抱き、異質なものとして排除しようとするのです
■川崎市の無差別殺人事件
→引きこもっていた50代が児童を殺して自殺した
無差別殺人の犯人の冷酷さは言わずもがなですが、「勝手に1人で死ぬべきだ」という冷酷さも、私たちは認識しなければならないと思いま
→?負けた人間、社会の役に立たない人間は、わからないから、関わり合いたくないとおもうのは勝者の論理。こちらには気をつけよう。
■事務次官の息子殺人
■勝ち組負け組
可処分所得の中央値の半分以下を「相対的貧困」と呼び、その割合を「貧困率」と呼ぶ
→15.7パーセント じわじわ増えてる
→→格差が広がっているということ
■競争社会で生き残っている人
特異な能力があるか、あるいは親の遺産を引き継ぎ、最初からスタートラインが違っているか、さもなければよほど図太く、図々しい人物であるかのいずれか
労働者はどれだけ働いてもお金持ちになることはできません
→資本家は労働者を商品として扱い、出来るだけ安い賃金で働かせようとするため
→マルクスは資本家による「搾取」と呼んだ
→どんなに利益があがっても、それを労働者に分配することはない
つまり、「人間を人間として扱う」のではなく「人間を商品として扱える」人が資本家になれる
→?自分には向いてなさそう
■三かく人間
吾輩は猫である
「義理を欠く」「情を欠く」「恥をかく」
→即ち下品
→お金儲けをするには下品でないといけないと書かれている
■目指すべき強さは、硬さではなくしなやかさ
私とは私とそれを取り巻く環境である
・自分の内面
・環境
■しぶとく生きるためのキーワード
・自助→自分で力をつけること
・公助→公の助けを求めること、サービス活用
・共助→仲間同士で助け合うこと
→★これはビジネスでも言えること、公助をお客やサービスと言い換えれば良い
バランスが大事、つまり「束」になること
→自助だけに固執すると弱い"
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モヤモヤとして言語化していなかった自分の思いや考えと合い通ずるものがあった。
出版当時より2年経った今、書いている内容が身近に迫る感じがあるのかもしれない。
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外務省時代には、在ロシア日本大使館に勤務し、北方領土問題など対ロシア外交に尽力した著者。(巻末の著者略歴より)拘置所に512日間勾留されたときも、メンタルを病まなかったという。
拘置所という言葉を目にした時点で、悪いことした人が書いた本?と疑心暗鬼になって積読にしていました。
時間を置いて手に取ると、図々しい下品で利己的な人間が生きやすい世の中、その通りだよ〜と同感の部分が多いです。理解しやすいです。必死に仕事に没入してメンタルを病んでしまったり、早め早めに対処し準備しても仕事は減らないことはなるほどと納得しました。マイペースで快適に働き続けることが大きな成果を得ることよりも大切だと学びました。
周りに合わせずマイペース、苦手なのでもう少しゆっくりと話すことから始めます(^^)
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即効性のあるノウハウはない。全体として著者のマクロな社会評が並び、それを踏まえてのミクロな市民生活の心構えを、読者それぞれが考えていこうという感じ。
標題のメンタルの話はなかなか難しい。
アドラーは「人間の悩みとは、対人関係の悩み」と言った。
この本では、対人関係の悩みは上司と部下の関係、肩書きが上と下の関係、言い換えれば持ってる人と持ってない人の関係……すなわち縦の関係のストレスには着目している。
しかし横の関係のストレス…、立場やコミュニティを同する人との軋轢は、完全にないものとされている。
都会を殺伐としたものととらえ、地方周縁のコミュニティのあり方を説きながら、そこでのストレス、いわゆる田舎の付き合いの摩擦はないものとされていたりと、一面的な考え方も見て取れる。
言ってみれば、
「同レベルの相手ならストレスなく付き合える」
という、ナチュラルにメンタル強い人間の意見、である。
それなりに気楽に読める反面、本気でメンタルを強化したい、地を這うレベルの精神を何とか救いたいという人にはオススメできない、というか、読むべきではない一冊だといえる。
いわゆる文化人が、今の時代どういうことを考えているか興味がある人なら、一読もありかもしれない。
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【1章】下品化する社会とどうつき合うか?
◎むしろ今の世の中にあって、どこか違和感があると感じる、適応し切れていないものを抱えているのではないでしょうか?
↳どうかご安心して下さい。だとしたら、皆さんは私の仲間です。
◎私の考える「強さ」は硬い強さではなく、柔らかく「しなる」強さです。
◎メンタルを強化するために必要な2つのこと
↳①自身の内面を強くしていくこと②自分を取り巻く環境を変えていくこと
【3章】まとめ
◎仕事の「達成感」と「快適度」のバランスを見直してみる。
◎頑張りすぎない。ある種の“いい加減”さも必要。
◎余計なエネルギーを使わない働き方を目指す。
【4章】まとめ
◎心が折れそうになったら、休む、もしくは逃げること
◎不安だからといって何かに依存するのは逆効果。
◎恐怖や怒りをコントロールすることで心を整える。
【5章】まとめ
◎コミュニティとアソシエーションを構築する。
◎最大のセーフティネットは人とのつながり。
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メンタルの強化に必要なのは、人を蹴落としても動じない下品さを持つこと。だが、本著はこれで終わらない…という触れ込みなのだが、人を蹴落とす下品さは、メンタルが強いゆえの結果であり、強くするための手段ではない。ここがピンと来なかった。
本著を手に取る人は、小さな事にクヨクヨ囚われて、中々立ち直れない人ではないか。そうした人への本著からのメッセージは、端的に言うなら、休め、無理するな、逃げろだ。何だか達観しているが、これが真理なのかも知れない。他人を蹴落とせない人が、クヨクヨしがちなのだ。しなやかになんて生きられない。責任が取れるなんて傲慢な考えだというのは、優しくしっくりくる考えだ。
生真面目が自己暗示ならば、それを緩める自己暗示が解決してくれるだろう。人を蹴落とさなくても良いが、せめて、人に気兼ねせず、自らのペースが保てるような精神的負担の回避を。
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いかにもメンタル強そうな佐藤優さんが、メンタルを強化するためのノウハウを語ってくれるのかなと思いましたが、若干異なりました。
ノウハウ本ではなく、現代の状況と考え方をエッセイ風に語るもの。
筆者が、収監された経験でなぜ鬱などにならなかったかというと、鬱になる因子がなかったということと、状況を客観的に把握できたから、とのこと。
宗教の話など、佐藤さんが造詣深い部分の考え方など、面白かった。
以下気になったフレーズ
_____
人類の歴史は不幸と労苦の積み重ねでもありました。人々はその間、何をしてきたか?不幸や苦しみを、社会を改善し進歩させることで減らすのではなく、ただ神に祈りを捧げ、救われることを願うことで紛らわせてきた。
(中略)
つまり、宗教は現実に対して判断停止を行わせるものだということ。そして、宗教の作り出した空想的なストーリーによって現実を説明し、一種の陶酔感の中で人々を幻想の中で納得させます。
(中略)
私はマルクスの言うように宗教というものが、人間が作り出した一種のファンタジーであり、それが客観的に現実を把握することを妨げる部分があることを認めます。
それによって人間が不幸や苦痛から解放される幻覚を見せることも、同時にさまざまな規制と戒律で私たちを縛り、自由を奪うことも知っています。
ただし、宗教がマルクスの言う意味での「現実」ではなく、非合理的で空想的な百科事典であったとしても、人間が生きる上での、1つのリアリティであることも強調せずにはいられません。人間は理性と合理性だけでは割り切れない存在であり、はみ出したものを持っている存在なのです。
(中略)
私自身は宗教的な視点と、マルクスのような客観的で合理的な視点のバランスが、心折れずに、しなやかに生きる上で大きなポイントになると考えます。
____
「諦め」とはさまざまな苦い体験を経て、「人間にはどうすることもできないものがある」ということを知ることです。
自らの限界を知らない存在は傲慢になります。それは時として人を傷つけ、暴力を振るうことにつながっていきます。
(中略)
飽くことなき成長と拡大を求め、資本の最大化をつねに目論む資本主義は、その意味でいつまでたっても諦めを知らない、青臭いシロモノかもしれません。そんな社会の中では常に努力して上を目指すことが美徳とされます。
努力を続けない人間は劣った人間であり、排除されても自己責任だという論理は、諦めを知らない野暮な人間たちからしか生まれてきません。
________
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自己責任という言葉と概念を自分自身も頻繁に使ってしまっている。自由に伴い発生するものであり、努力が求められるものではなく努力の概念自体含むものでもないということは新鮮だった。相手に対してこの概念を使う時には意味合いをしっかり認識した上で使うようにしたい。
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前のめりな生き方は利用される→不安にあおられない。今あるものを大切にする。
自己責任と言う言葉に惑わされない→責任を取れると考えること自体が愚か。人間は不完全。人間にはどうすることもできないものがある。自分の限界を知る。
明日できる事は今日やらない→優先順位をつける。
やる気が起きない時→身の回りの整理整頓をする。
余計なエネルギーを使わない働き方をする→シンプルにする。習慣化する。周りの人と信頼関係を作る(アンガーコントロール→ 私を取り巻く環境・状況を客観的に把握する)
上品な人とのつながりを持つには「いき」になる→媚態(外)、意気地(内)、諦め(執着を捨てる、全体性)。
よく眠る。