紙の本
何かが決定的に欠けている
2022/11/30 10:18
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投稿者:ぱぴぷ - この投稿者のレビュー一覧を見る
インテリとか、文学者というのは、人としての何かが決定的に欠けている人が多い印象だが、この本をよんで、その思いを強くした。オースターの本はだいぶ読んできたけど、たぶん、もう読まない。マイルズが気の毒だ。ビングが、マイルズの親を評して、彼らが自分の両親でないことが嬉しいと言っているが、全く同意。
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“想像力とは強力な武器”
久しぶりに読んだP.オースター作品
ブルックリン サンセット・パークの廃屋に不法滞在する4人の男女の一年を、それぞれの視点から語った物語
なにかが起きそうだけどなにも起こらない、だけど4人の内面では確実な変化が起こり、ラストへと向かう
主要人物マイルスの父、モリス・ヘラーのパートがいちばん興味深かった
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本書の原作が刊行されたのは2010年。一方、本書の日本での刊行は今年(2020年)の2月。決して狙ったわけではないとは思うが、なんというタイミングだ。それは間隔が空きすぎているという意味ではなくて、同じような時代の息苦しさがあるタイミングで刊行されたという意味で、だ。
原作の舞台は2008年。まさに米国発の金融危機が世界を不安に陥れた時期。実際、この物語に登場する4人の若者は経済的不安を抱え、ブルックリンの空き家に不法居住して共同生活を始めるという設定。同じオースターの群像劇でも、『ブルックリン・フォーリーズ』が喜劇的な小説であったこととは対照的に、楽観できる要素はまったく見当たらず、物語の中心にあるのは若者たちが常に感じている不安だ。
そして、今。世界はその金融危機以来の危機を迎え、不安に包まれている。2008年とは要因は異なるけれども、息苦しい時代であることには間違いない。本書の若者たちが抱えるそこはかとない不安に、ほとんど違和感を覚えずに読み切ることができたのは、まさにこのタイミングでしかあり得なかったことだと思う。
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オースター「サンセット・パーク」https://shinchosha.co.jp/book/521721/ 読んだ。よかったけど、おじさんの人生クロージング、的な作品が続いた後の今回の20代の群像にしては救いがなかった。。"再生"もない(広告に偽りありでは)初期の清々しさや不条理だけどユーモラス、みたいな話はもう出てこないのかな(おわり
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新作が出れば必ず購入することにしている2人の海外作家がいる。カズオ・イシグロとポール・オースターである。
本書は2010年に発表されており、柴田元幸先生の華麗な翻訳で2020年、10年越しでようやく邦訳が発刊された(柴田先生も色々とお忙しいから・・・)。
ポール・オースターの魅力は、一言で表せば、華麗なるストーリーテリングの妙技にある。本作でも、咄嗟の暴力に手を染めて社会からドロップアウトした男を主人公として、それぞれにアクのある他3人の登場人物が、大不況下のブルックリンで廃屋を不法占拠して奇妙な共同生活を送ることになるが、各自がどうやって共同生活に行き着いたか、そしてこの共同生活が終わる瞬間のストーリーの巧みさに、唸らされる。
面白い物語をただ読みたい、というときにオースターほど、最適な作家はそうそうないと思う。これでオースターの近年の作品で未邦訳なのは2017年に出版された大著「4321」のみとなった。柴田先生には焦らず、けど適度に急いでいただいて、素晴らしい邦訳を期待したい。
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様々な人の人生が描かれて、その混沌としたどうしようもない出口も見えないような混沌とか、不安とか、悲しさとかが少しずつほぐれて、それぞれにほの明るい出口が見えかけてこたところでその出口を塞ぐ大きな重たい鉄扉が上から落ちてくる、みたいな物語だった。
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サンセット・パークのボロボロの空き家で、不法入居する4人の若者。男性、女性それぞれ2人ずつで構成される彼らは、実に不器用な生き方をしている。なかでも、中心人物となるマイルズは、高学歴であったにも関わらず、誰にも言えない過去を抱えて、親に黙って姿を消していた。ガールフレンドはまだ高校生で、とても緊張した付き合いだし、親の目線のパートもあり、この家族の再生も読みどころ。話も終盤に差し掛かり、裁判所から立ち退き命令が出るタイミングで、それぞれに良くも悪くも変化が出始め、いよいよ明るい再出発が…?と思われたのだが……
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不況下のニューヨーク。
霊園そばの廃屋に集まった若者たちの、単純なようで複雑な内面を丁寧に描出する。
相変わらずのストーリーテラーぶり。
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いつもの変わらぬオースター節。
揃いも揃って、インテリでモノに執着せず、ちょっとずつズレてて、漂うように仕方なく息苦しく生きている登場人物たち。それぞれのスタンスでニューヨークに絡んでくる…おっと、ここで終わるのか!?割と静かなエンディングの多いオースター。不法占拠の強制捜査なんて散文的(…と言って悪ければ具体的)なイベントでの幕引きは珍しい。
個人的には、こういう登場人物たちに食傷気味で、年々魅力を感じなくなっているのを自覚している。それは寂しいが、小説としては益々洗練されてきているとは思う。
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『それは強い、断固としたひと押しだった。押されたボビーはバランスを失い、よろめいて路肩から道路に出て、転倒し、アスファルトで頭を打った。そしてほぼ瞬時に起き上がり、頭をさすりながら悪態をついたが、立ち上がるよりも前に車になぎ倒され、生命を粉々に砕かれ、彼ら二人の人生は永久に変わった』―『マイルズ・ヘラー』
ポール・オースターを読むことは少し特別な行為だと思う。そのことを上手く伝える言葉を探し出すのに苦労するけれど、「物語」であることを意識しながら読む、とでも言えばよいのだろうか。すべからく小説を読むということは、そういうことなのではないかと言われればそうなのだけれど、この作家に関しては、物語が現実とすりかわりそうでありながら、過度な現実的描写によって却って虚構であるよう意識させられてしまう理由は何だろう、などと考えてしまうところがある。
例えばジェットコースターに乗って、発生する負荷を感覚的に単純に楽しむというような面白がり方ではなくて、位置エネルギーが運動エネルギーに変換されることを納得したり、この重力方向以外の負荷は加速度によるものなのだから混乱しないようにしようと考えたりする面白がり方があるとすれば、オースターの小説は断然後者だと思う。「トゥルー・ストーリーズ」を読んだオースター・ファンなら判ると思うけれど、初期の傑作の中に投げ込まれた幾つもの奇想天外なエピソードが事実に基づいているのを知って、この作家が物語の本質を埋もれがちな事実の中から鮮明に炙り出す手腕に改めて驚いた筈だと思う。それは逆に言えば「真実」なんてものは誰も持っていないという前提に立って物事は多様な面を持つものだということを受け入れるということでもある。
ポール・オースターの作品を少なからず読んできたつもりだし、最近の作品に漂う厭世観のようなものも承知していた筈だったが、この小説はこれまでのどの作品とも似ているようで似ていない。もちろん、オースターらしい人生観(至極単純に言えばそれは塞翁が馬の故事に要約され得る事物の見方)も表現されているし、相変わらずの悪趣味とも言いたくなるような性的描写も散りばめられている。それでも、ここまで悲観的な物語は記憶にはない。多くの登場人物が描かれ、一人ひとりの繋がりも伸び縮みしながらお互いの関係性が網のように広がっていく展開は見慣れた感じがする。しかし、繋がりだけでは何も生み出さないのだということが突きつけられているようでもある。
絶望的と呼んでよいような結末の話ならこれまでにも幾つもある。そこには、ニューヨーク三部作から続く孤独という主題の周りをぐるぐると巡る内省的な独白があり、その意味でこの小説も同じような文体が貫かれているとも言える。「物語」は独白でしか語れないが、それが全てではない。語り手が変われば事実の解釈もまた変わり現実の輪郭は不鮮明になる。その「現実」と「虚構」の奇妙なもつれ、というのがポール・オースターの作品を何とも捉えようのない不思議な手触りにしているのだ。対して「サンセット・パーク」では、そのもつれが、熟成され「ストーリー」となる手前の青臭い果実のように感じる。
���思議な手触りとは、自分とは全く関係のない物語であると思っていたものが、小さな偶然から急に自分の過去に結びついてくる感覚、あるいは、如何にも想像の出来事を思っていたことが実際に起きたことだと知る時に感じる思い、そんなものを指しているのだけれど、この小説にはどこかしら「訴えたい」気持ちが強くあり、それを受け止めるのかどうなのかと問われているように読めてしまう。
例えばドン・デリーロが「Falling Man」を書くようにはオースターは社会との繋がりを強調して小説にして来なかった印象がある。もちろん、随筆や自伝的文章からは市井の人としての作家の思考は滲み出てはいるものの、小説にそれが(少なくとも直喩として)投影されることはなかったように思う。それがこの小説では透けて見えるような現実(2010年出版)の米国社会、特に一人のニューヨーカーとしての目線から見える社会に対する思いのようなものが煮え切らないまま投じられているように感じる。
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オースターの新訳。原作は2010年。
この本の直前に翻訳されたインヴィジブルや冬の日誌に比べ、ストーリー性が高くて読みやすい。
原作発刊当時の金融危機を背景に四人の若者を描いた作品だが、それぞれにそれぞれの「損なわれた何か」があって、それが何となく自分にもあるような、そういう感覚を思い出させてくれる一作。
最近多忙で頭の中が仕事でいっぱいだったけれど、この本を読んで少しホッとするというか、ふと一息つけるような、そんな本です。
忙しいなぁと思っている方は、ぜひ。
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ラスト数ページでやるせなさが一気に加速…
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"何の計画も持たないこと、すなわち何の渇望も希望も持たず、現状に満足し、日の出から日の入りまで世界が分け与えてくれるものを受け容れる。"(p.8)
"というわけで、世界について彼が語るとき、指しているのは彼の世界、彼自身の人生の描く小さな限定された領域であり、世界全般ではない。そんなものは大きすぎるし壊れすぎていて彼には影響の及ぼしようもない。ゆえに彼は目の前のもの、個別のもの、日常の営みのほとんど目に見えない細部に専心する。"(p.65)
"少なくともお前は自分ほどの馬鹿はこの世にいないってわかってる。それを認めるだけの知恵がある人間ってどれくらいいる?"(p.220)
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ようやく読み終えた。
面白くないわけじゃないんだけど、とにかく読むのに時間がかかったのだ。
ポール•オースターは『スモーク』という映画で初めてその名前を知り、その後『僕の美しい人だから』の原作も彼が書いていたことを知った。
ちなみに『スモーク』はわたしの一番大好きな映画のひとつ。
小説を読んだのは初めてだったけど、訳がいいのもあって(きっと訳者も彼の小説が好きなんだろうと思わせる)原文ではないが、その空気感をリアルに感じることが出来る。
物語は、4人の若者がニューヨークのサンセットパークにある空き家に不法滞在する話だ。
4人それぞれのストーリーが語られるが、その中でも特にマイルズ•ヘラーに焦点が当てられている。
マイルズはハンサムで且つ頭脳明晰であり、人を惹きつける魅力がある。父親は出版社の社長で、産みの母親は有名な女優だ。
それなのにホームレス、住むところがなく、ちゃんとした職にも就いていない。でもそれには彼なりの理由がある。
やがて彼はそれらを克服し、問題は解決したかのように思われた。そして彼の人生に舞い降りるはずだった希望、期待、未来。
物語の中で語られる色んな野球選手の逸話。
映画『我等の生涯の最良の年』
それが実は大きな意味を持って、この物語にずっと寄り添う。
そして最後はやり切れない気持ちになった。
−未来がないのに未来に希望を持つのは意味があるんだろうか
意味はあるさとわたしは思う。
問題は持つかどうかってことだ。
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ニューヨーク、ブルックリンにある空き家に不法滞在する若者の物語。登場人物それぞれの視点が書かれながら物語は進んでいく。不法滞在する若者は主に20~30代の4人で大学院生、絵描き、バンドマン、逃亡者など。4人それぞれの苦悩や不法滞在がいつ咎められるかなどの現実的な物事など、不安の要素が多く感じられた。
あとがきでオースターの小説は、人はすべてを失って初めて自分が何ものかを見出す機会を得るという前提のようなものがあるとされていた。個人的に好きな前提。
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サンセットパークに四人の若者とその中の一人のマイルズヘラーの両親の視点を変えて語られる.それぞれの心に抱える問題がお互いに及ぼしあい,悪い方へと引きずられていくような暗い霞みがかった作品.心の動きが丁寧に描かれていてこちらにもじわじわと沁みてくる.