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瀬戸内芸術祭の作品のひとつである、漂流郵便局に届いたお手紙紹介シリーズの第二弾。涙なしには読めない。作者のあとがき内の、届け先のわからない手紙を送るということの儀式性の話がとてもよかった。
「それはまるで自分の祈りかたを見つけるための通過儀礼のようにも感じられるのです」「大切なのは意思疎通そのものではなく、意思疎通を図ろうとする、その気持ちにあるのではないでしょうか」「心に重さはないのにもかからわらず、手紙というかたちをたどることで、床をも抜かす力になったのです」
わたしが生まれ育った瀬戸内海。そのなかの小さな島に、平等に想いを受け取ってくれる郵便局があること、そこが誰かが抱えているいろいろな想いを受け止め、癒しの過程になっていることがなんだかとても嬉しい。コロナがおさまったら、またいきたい。
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久しぶりの漂流郵便局。まだ頑張ってらっしゃったんだ。
届け先のわからない手紙。
今回はお母さんへという内容。
様々な方たちのお母さんへの気持ち。
面と向かって言えなかったままだったりしても、みんな有難いと思ってるっていう気持ちが嬉しい。
私はどうなのかな?と考える。複雑な家庭環境だったから正直そういう気持ちが薄いのは確か。
だから余計羨ましいのかもしれない。
いろんな人に感謝の気持ちはあるけれど、私はどうなのか・・・
私が今漂流郵便局に亡き人に書くとしたら、関係ないけどあの俳優さんかな。
死んじゃダメだよ。
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こんな郵便局があること、知らなかった。
いつの日か、いつかのどこかのだれかに手紙を書きたくなるかもしれないし、そんな場所があると知っているだけで、心救われる気持ちになる。
手帳に住所を書き留めておいた。