パトラッシュの心情が胸を打ちます
2005/04/25 00:39
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あう - この投稿者のレビュー一覧を見る
画家になることを夢見る貧しい少年ネロと、彼と共に育ち、生涯を共に生きたフランダース犬パトラッシュの悲しくも胸を打つ物語です。
なんて救いのない悲しい物語なのか……。それでも読んでよかったと思える名作です。日本ではアニメですっかり有名ですね。話の流れとしてはアニメとだいたい同じですが、ちょこちょこ微妙に違いがあり、例えば原作ではネロは15歳でアロアは12歳と結構年齢が高かったりします。
私は子供の頃にアニメで見て以来、ずっとそのタイトルに疑問を持っていました。どうして“フランダースの犬”なんだろうと。主役はネロなんだから、“フランダースのネロ”とか、“アントワープのネロ”とか、いっその事“ネロとパトラッシュ”とした方がよほどしっくりとくるのに。パトラッシュの役割はたしかに重要だけど、このタイトルには常に違和感がありました。
でも、大人になって原作を読んでみて、やっと私のこのひねくれた疑問が解かれました。原作では、全体的にパトラッシュの心情を軸にお話が進んでいっているんです。そして、それがこの作品の魅力となっていて、不思議な読み心地になっています。パトラッシュの心情が描かれていなければ、この作品はただ暗く悲しい思いだけを心に重く残すような作品になっていたと思います。
過酷すぎる運命、ネロとパトラッシュの強い絆、とにかく泣けます。アニメでは二人が一緒に過ごした時間はたしか1、2年位だったと思いますが、原作ではおよそ12、3年を一緒に生きたものと思われます。そのことからも絆の深さは計り知れないです。そして、やっぱりパトラッシュの心情がもっと涙を誘います。
救いのない悲愴な物語ですが、パトラッシュの心情のせいか、まるっきりアンハッピーエンドとも言い切れないものを感じます。
ちなみに私がこの作品にタイトルをつけるとするなら「それでも幸せだったフランダースの犬」かな。センスないですか?(笑) なぜ幸せなのかは、是非本書を手に取りパトラッシュの気持ちを感じて欲しいなと思います。
新潮文庫版もお薦めですが、子供たちが読むには字が小さく多少の読みづらさもあるので、途中で嫌になって投げ出してしまうかもしれません。もし親子で読まれるのなら大人も子供も読むことができる本書が無難かと思います。アニメとはまた違った感動を味わってみてください。
同時収録の「ニュールンベルクのストーブ」の方は、「フランダースの犬」よりも快活さのある面白い作品です。「フランダースの犬」で暗くなってしまった気持ちを盛り上げてくれる効果もあります。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
岩波少年文庫には、本当にいい本がたくさん入っている。My Favoriteを挙げれば……エンデの「はてしない物語」、バリの「ピーター・パン」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」、それにEブロンテの「嵐が丘」(も確か入ってたと思うけど…)、そして、とっておきがこの「フランダースの犬」。
いま、いわゆる「個別指導塾」ってトコで小学生相手に国語を教えたりしていることもあって、きっとそんなことでもなければ読まなかったであろうような本を、手にすることが少なくない。で、授業で一緒に読んだりすると、子どもたちは驚くべきほどに繊細な読み方をしてくれて、大いに刺激を受ける(もちろん、というか、「残念ながら」皆が皆じゃないけれど……たぶん僕の修業が足りないのだ)。世の大人たちは、もっと子どもの声に耳を澄ましてみたらいいんじゃないかな、と思う。
子ども向けの物語は、ちょっと身も蓋もない言い方をすれば、友だちを作るのがあまりうまくないような子どもたちに対して、とても素敵な空想の世界を示してくれる。「ほら、ここにだって、こんなに楽しくて、あったかい世界があるんだよ。つまらなそうな顔してないで、一緒に遊ぼうよ。ほら、恥ずかしがってないでさ」
も少しだけ、ストライクゾーンを広げて言えば、子ども向けの物語は「子どもたちが、とても純粋なかたちで(それだけ残酷なかたちで)感じ取っている<(大人たちの)社会>への違和感に<物語>という形を与えることで、ささやかな解放感をもたらしてくれるもの」なのかなあ、と思ったりする今日この頃である。
で、その「解放感」の源っていうのは、「永遠」(「フランダースの犬」の最後にも「永遠」っていう言葉が出てくる)っていうものなんじゃないかなあ、と思っている。
「フランダースの犬」のなかから、世の大人たちにも響きそうな言葉をいくつか……
「たとえ不可能であっても美しく無邪気な夢、自分のことはあとまわしの、英雄へのあこがれでいっぱいの夢が、歩いているうちにすぐそこにあるように思えて、ネロはしあわせでした」
(ただひとりの友人、金持の娘アロワとの関わりを禁止されたネロが心の底から信じている甘やかな未来。)
「下描きのしかたや遠近法、解剖学や明暗法のことを教えてくれる人はいませんでしたが、それでもネロは、その人の年をとってくたびれきった姿や、静かにたえるようす、悲しみにやつれたところをのこらず表現しました。そうすることで、深まる夜のやみを背に、朽ちた木のうえにすわり、ひとり物思いにふける老人の姿を、ひとつの詩にしたのでした」
(心を占めるさまざまな空想のひとつを絵にする。たおれた木にすわっているひとりの老人、樵のミッシェルをモデルにして。コンクールの優勝を夢見て。)
「いっしょに横になって、死のう。だれも、ぼくたちを必要としていないんだ。ぼくたち、ふたりっきりなんだ。」
パトラッシュは、こたえるようにさらに体をすりよせ、少年の胸に頭をのせました。大つぶの涙が、悲しみをたたえた茶色い目にうかんでいました。自分のために泣いたわけではありません----パトラッシュ自身は、しあわせだったのですから。
(永遠の友情。)
いま手元の本を引っくり返してみると、対象年齢は<小学4・5年以上>って書いてあるから、まあ、<小学4・5年以上>の僕が読んで感動したとしても誰も文句は言うまい。来週の授業で使ってみようかな。どんな感想が飛び出すか、非常に楽しみである。
繰り返し読みたくなる名作
2017/10/11 14:15
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投稿者:Yuri - この投稿者のレビュー一覧を見る
一度読んで衝撃を受けたようです。子どもなりに。
大人には辛すぎる内容ですが、色々考えるものがあるのだろうと思います。
奥深い名作です。
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投稿者:手紙 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ベルギーを、舞台に描かれている、画家を夢見ながら貧しくも慎ましい生活を送る少年ネロと、老犬パトラッシュ。村八分にされたり、いろいろ苦労しますが、最後悲しい出来事が・・
パトラッシュ募金というものが在るらしいです。
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フランダースの貧しい少年ネロは、村人たちから迫害を受けながらもルーベンスの絵に憧れ、老犬パトラッシュを友として一心に絵を描き続ける。しかし、クリスマスの朝アントワープの大伽藍に見出されたものは、この不幸な天才少年と愛犬との相いだいた亡骸だった。虐げられた者への同情を率直素朴な表現でつづった少年文学の傑作。ほかに「ニュールンベルクのストーブ」を併録。
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2011.4.23読了。
ベルギー旅行の前に読んでみた。
最後ネロとパトラッシュが覚悟の自殺?だったのはちょっと
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よく知れた物語だが、あらためて読み返してみた。子どもの時は、ネロやパトラッシュ(パトラシエ)の真実な生き方に感動し、世の残酷さや不公平さに心を痛めた。ネロが流す最期の涙は悲しみの涙であり、自分も憂えの涙であった。しかし、少なからず世の中の辛苦を経験した今、この物語は違った迫り方をしてくる。
「ああ、神様、これで十分です!」と流す涙は、悲しみの涙ではなく、願いの成就とともに自らの人生を受け入れ、死をも受け入れた喜びの涙なのかもしれないと。わたしの最期の時も、「これで十分です」といえる人生でありたい。
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フランダースの犬……分かってはいましたが悲しい話でした。ネルロとパトラッシュが家を追い出されたあたりから涙が止まらなくて、左の鼻はつまるし、しゃっくりもとまらない。寝る前に読むへきではなかった。ニュルンベルクのストーブは少年の不思議な冒険が微笑ましく描かれていて良かったです。精魂込めて作られた芸術品には魂が宿るのだね。
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タイトルは知っている、結末も知っている。でも読んだことはない。そんな作品の代表ではないでしょうか。どうしてもミルク色の夜明け〜となってしまうのですが、原作のネロは少し年齢が上でした。そのため芸術に純粋にまっしぐらで、その身を捧げた若者という印象が残りました。それはいっしょに収録されている「ニュンベルクのストーブ」にも言えることで、芸術作品ともいえるストーブに恋い焦がれた若者の一途な想いが描かれています。しかし前者では全てがうまくいかず「もう、おそすぎるよ。」の言葉が示す通りの結果となり、後者はその想いが成就する。同じ作者から産み出された作品で正反対の結果となる物語が併録されている面白さがありました。
しかしこの短い物語を一年がかりのアニメ作品に昇華したのはすごいですね。もちろん原作の簡潔さもよかったのですが。
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あの有名なテレビアニメを見たことのない男の感想です。
読んでみると原作は短く、感傷的でないとは言いませんが、冗長も停滞もなく物語が進行するためあっさりとした印象でした。幸福な時期をもっと書き込んでくれた方が、この悲劇の不条理さに対する拒否感が高まって、もっと泣かされたことと思います。悲劇も不条理でしたが、逆境に負けないネロ少年の純真さも不条理でした。ありえないと思ったわけではなく、こういう不条理な純真さがありえるということも人間だよなと思いました。美しいですよね。
僕はやはり結末には泣いてしまいましたが、うちの子供たちは展開の急さに少し置いていかれたようで、え、もう死んじゃったの、という驚きが強かったようです。
『ニュルンベルクのストーブ』
心底愛するストーブを父親に売られてしまった少年の冒険のお話しです。
これはいかにも、フランダースの犬だけでは薄くて一冊にならないのでおまけに付けたみたいと思ったので、全然期待しなかったし、読み始めるのを躊躇さえしました。しかし読んでみると面白かったです。フランダースの犬よりも主観的な描写が豊かで、主人公への感情移入もしやすいようでした。さてこの物語の粗筋はというと、心底愛するストーブを父親に売られてしまった少年の冒険のお話です。と書くと突拍子なさすぎて、読んでいない人には意味不明なことでしょう。僕たちにも読み進めるまでわかりませんでしたし、序盤は彼の一見異常に聞こえる愛情がおっかしくて、ひとつの楽しみですらありました。しかしその理由が詳しく繰り返し描かれているので、ある程度感情移入できるようになりました。(もっとも子供たちは読後にも「なんでそこまでしちゃったかな?」みたいな疑問を捨てきれていませんでしたが)。すごく良かったかと聞かれたらうーんそれほどでもと答えますが、なかなか楽しめるお話でした。フランダースの犬も含めても、全体にそういう感想です。
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新版でも読了。
パトラッシェがパトラッシュ、挿絵も変わっている。
純粋がゆえに、神の元へ早く旅立つことになったネロ…。
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表題作も、収録の「ニュルンベルクのストーブ」も、少年が芸術を信じる力、その強さ・凄さが描かれていた。(理想像なのかもしれないけど)
何かを一心に信じることの貴重さや崇高さが感じられました。
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ルーベンスの宗教画に心酔する純真なこころを持つ主人公ネロと犬のパトラッシュとおじいさんの人間の生きる道をおしえてくれるお話。
涙なしでは読み切れない。
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・この本をどんどん読んでいくと少しずつ中身がわかってきて、悲しくなったり、感動する所がたくさんあっていい本でした。
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ラララ ラララ ズインゲン ズインゲン
グレイーヌ ヴリンダース
ラララ ズインゲン ヴリンダース
『あらしの前』のクリスマスシーンがすばらしかったので、次の岩波少年文庫はクリスマスシーズンにふさわしい物語にしようと思ったら、これになりました。我ながらひねたセレクトです。
ちなみに私は主題歌をずっと「ラララ ジングルベル〜」だと思っていましたが、今回、調べてみたら全然違う歌詞でした。「Zingen Zingen Kleine Vlinders」は「歌え 小さな 蝶々」という意味だそうです。
作詞は童話作家の岸田衿子(『ジオジオのかんむり』!)、作曲は『巨人の星』、『キャンディキャンディ』など数々のアニメソングを手がけている渡辺岳夫。
さらに併読した『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』によると、この部分を歌っているのはアントワープで急きょ結成された子ども合唱団。ドキュメンタリー映画制作陣がラジオで呼びかけて探し出すまで、彼らは自分たちの歌声が日本でヒットしたことを知らなかったそうです。
日本では1975年放映のアニメの印象が強すぎて(そしてそれが傑作だったために)原作をちゃんと読んだことがないという人も多いのでは。
私もアニメはリアルタイムで見てるはずなんですが、さすがにあまり覚えていない。アニメのイメージをベースにした子ども向け絵本がうちにあり、その印象が強いです。
その絵本の中でネロが風車の絵を描いていると、大人がほめてくれる場面があるんですが、子ども心にそうかこういう絵を描けば大人はほめてくれるのかと思い、実物を見たこともない風車の絵を描いていた時期がありました。我ながらひねた子どもです。
あらためて読んでみると、これが本当にひどい話(笑)。原作は岩波少年文庫で100ページという短さ。よくこんな暗い話を一年間のアニメにしようとしたもんだ。
著者のウィーダはイギリスの作家で、3週間ほど旅行したときのイメージをもとにフランダースを描いています。30匹の犬を飼うほど犬好きだった彼女にとって、犬を使役するフランダース人は野蛮で粗野な田舎者なので、その描写には手加減がない。
ネロは根拠なく有名な画家になって貧乏から抜け出すことを夢みてますが、たった一度のコンクールに選ばれなかっただけで挫折します。
原作ではネロは15歳、アロワは12歳。アロワはスペインの血をひく黒い眼をしていると書かれています。アロワの父がふたりの仲を裂こうとするのは、たんにネロが貧乏だからというだけじゃないのです。
放火の疑いをかけられて村で孤立していくネロ。それでも、大金の入った財布を届けたのだから、クリスマスに帰る家もなく、食べるものもない窮状を訴えて助けを求めてもよかったのでは。なぜ彼らは死ななければいけなかったのか。そこには作者の社会批判とともに、ご都合主義的なセンチメンタリズムを感じます。
(そこをキリスト教的受難とか日本的自己犠牲とかまで高めてしまった日本のアニメの最終回の功罪があります。)
そういったいくつかの作品上の欠点からご当地ベルギーでは『フランダースの犬』はまった��読まれておらず、ルーベンスの絵を見ながら涙する日本人観光客によりやっとその存在を知り(オランダ語訳の出版は1985年)、ネロとパトラッシュの像が建てられ、アントワープ大聖堂の前に記念碑が置かれている、というところまでは聞いたことがあります。(『トリビアの泉』でもネタになってましたね。)
そのほかの話は『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』に続きます。
以下、引用。
パトラッシュは、何世紀にもわたってフランダースで代々ひどい目にあってきた一族の出身でした。人間にこきつかわれる奴隷、貧しい人たちの犬、かじ棒と引き具につながれた動物でした。荷車があたってできるすり傷に、筋肉を痛めつけられながら生き、心臓をこわしてかたい道で死んでいく生き物でした。
フランダースはすばらしい土地とはいえず、なかでもアントワープのまわりは、おもしろみのないところでした。特徴のない平野に、麦や菜種の畑、牧場が単調にくりかえされるばかりです。
ルーベンスの墓であるこの町は、ルーベンスを通じて、ただその人のおかげで、わたしたちにとって生きつづけているのでした。