紙の本
流石ディック
2021/03/29 15:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ツクヨミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
死者が墓から蘇ってくる…でもゾンビじゃない。時間が逆に回る世界は奇想天外。食べものは皿に吐き戻す、吸い殻は咥えているうちに長くなる、文書は消去される。
生き返ったカリスマ教祖の三つ巴の争奪戦はスリリングで、ページをめくる手が止まらない。
紙の本
変な会話
2021/09/12 01:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Zidlar - この投稿者のレビュー一覧を見る
ディックの物語だからね、そりゃあ面白いとは思う。
だけど「改訳版」に釣られて買ったんだけどほんとに改訳したの?って思うくらい変な会話だらけ。日本では使わない言葉というか、昔の翻訳本でしか見たことのない日本語の違和感で何度もつまづく。
この程度の改訳を新規の定価で買うなら旧訳の中古を安く買った方が満足できたはず
投稿元:
レビューを見る
時間が逆流する現象「ホバート位相」に支配された世界。死者が墓場から蘇り、生者が胎児に返って子宮に入り、著作物が消されて忘れられていく世界で、蘇った元死者を保護して関係者に売り飛ばすことを生業とするセバスチャンもまた、かつて蘇った死者だった。40代まで若返り、美しいロッタを妻にしてそれなりに充実した生活を送っていたセバスチャンだが、ある日ユーディ教の始祖・ピーク師の墓所を発見し、蘇ったピークを保護することに成功する。ピークの復活は、現在のユーディ教を率いるロバーツ、著作物同様に宗教をも消そうとする「消去局」、金目当てのローマ・シンジケート、その他諸々の勢力にとって大きな脅威に他ならない。ピークを巡って、セバスチャンと各勢力との戦いの幕が切って落とされる・・・。
うーん・・・これは評価が難しいですね。
ストーリーの筋立ては、ご覧の通りピークを巡る丁々発止の攻防が続くサスペンス仕立てで、特にピークが意識を取り戻す中盤以降はページを繰る手がもどかしくなるほどの面白さ。一気読みできるエンターテインメント作品です。
・・・が、筋立てだけならそれなりに面白いものの、ディック作品にありがちな世界観の破綻が顕著で、要所要所のツッコミどころは満載。そもそも、舞台設定の前提であり本作品で一番大きな「ネタ」でもある「ホバート位相」が、「ネタ」として機能していません。時間が逆流しているのはほんの一握りの要素のみで、物語の大半は普通に原因→結果の順番で進行していきます。死者を蘇らせる理屈付けが必要なだけだったのかなぁ・・・という印象。
さらに評価が難しいのは、登場人物に全く感情移入できないこと。「蘇った死者」というユニークな設定のセバスチャンは、短絡的で思慮の浅いただただ愚かな男だし、彼が執着する妻ロッタは性的魅力満載ながらこれ以上ないほど頭が悪く、「消去局」と図書館の面々は権力と暴力にしか興味がない・・・そして、そんな彼らを振り回すドライバーの役割を果たすはずのピークが、抽象的な能書きを垂れるだけで何を考えているのか皆目わからない、という、この掴み所のなさ。ストーリー展開も、散々ドンパチした割に、結局何も解決せず、ただただ死者が増えるだけ、という救いようのないラストです。
うーん、ディックはこの作品で、結局何を表現したかったんだろう。
読んでる最中はそれなりに面白かったのでこまぁまぁの評価としましたが、読了後に改めて振り返ってみると、振り返るほどにわからなくなる作品ですね。
投稿元:
レビューを見る
時間が戻っていく世界、すなわち死者が墓から蘇り、どんどん若返っていき最後は子宮に戻っていく。空の皿に食べ物を吐き出し、食料が戻る。そんな時間軸の中でもストーリーとしては進んでいくのでこのちぐはぐ感は面白かった。ただストーリーがとある宗教の教祖が蘇る事を察知したそれぞれの勢力が奪い合うって話で設定が良かった分なんか勿体ない感じがしたかな。もっと広げてほしかったなぁと。巻末の解説を読んで作者の宗教観、哲学、各作品に対する主題、そんなのを踏まえて読んだ方が良さそうな感じだった…。僕の読み方が悪かったのかも。
投稿元:
レビューを見る
時間逆流現象で人々が若返っていく世界。スーパーファミコンのEMITを思い出した。赤川次郎シナリオ原案のあのゲームをプレイしたときに「そもそも設定に無理があるなぁ」と感じた感覚が、本書を読んでそのままよみがえってきた。体は逆転していっても、ビデオテープを逆再生するような感じでもなく、生活のすべてが逆まわしになっているわけではない様子。この小説が面白くなってくるのは、世界に大きな影響力をもつ教祖が蘇り、彼をめぐって3つの勢力が、スパイ小説よろしく騙し合いのアクション映画的展開を繰り広げるあたりから。男と女の話になったり、神学的要素が見え隠れしたり。秩序とエントロピーについてのテーマ性については、物語の結末がすべてを語っているのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
SFの巨匠、フィリップ・K・ディックにより1967年に発表された長編SF。時期で言えば、『パーマーエルドリッチの三つの聖痕』(1965年)と『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(1968年)、『ユービック』(1969年)の間。
<ホバート位相>と呼ばれる"時間逆流現象"が起こり出した世界。死者は生者となり、生者は子宮へ回帰する不可思議な現象。
主人公のセバスチャンは、"老生者(=再生した死者)"の保護と売却を生業としていた。ある日、セバスチャンは、生者となったユーディ教の始祖トマス・ピークを保護する。大きな影響力を持つ教祖を保護したことにより、セバスチャンは公安機関である<図書館>と<消去局>、ユーディ教、ローマ・シンジケートの駆け引きに巻き込まれていく―――。
墓から掘り出される"老成者"、逆転する挨拶、吸うと長くなるタバコ、元大人の子供暗殺者(...etc)。物語を構成するギミックは魅力的なのだが、それがシナリオ展開を面白くしているかと言われると微妙。正直、「"時間逆流現象"の設定がなくても良いんじゃね?」と思ってしまう内容。"幻の傑作"ということだが・・・まあ改訳版がなかなか出なかったのも理由があるのだなと。
巻末の解説では、ディック作品とエントロピー、(本作における)エントロピーの増大による混乱について解説されているので、(読後、「一体なにが描きたかったのか」と思われた方は特に、)是非、最後まで読み通してもらいたい。(この解説を読むと本作の深みが増す。)
投稿元:
レビューを見る
死者が墓から蘇生し、徐々に若返って最後には赤子として子宮に還っていく。口から吐き戻された食べ物や、煙草の吸殻は元の形を取り戻し、マーケットへと戻っていく。書物に至っては図書館で消去されてしまうという、あらゆる物事が逆に進むようになってしまった世界観を持つ話。
書かれたのはアメリカでキング牧師やマルコムXらが活動していた頃だと推測するが、世界観のイメージに近いのは映画『テネット』だと思う。しかし『テネット』と違い、明らかに物体が映像を巻き戻すように動き、その中で若返ったり元の形を取り戻すのではなく、あくまでも人々は普通に日常を送っており、日常を送る中で起こす行動の順序が逆行しているのが特徴的だった。
投稿元:
レビューを見る
死者の生き返り。そして退化、成長を遡っていく。
何故こんなことが起こったのか?原因は明らかにされていない。この小説のメインファクターが大きく活かされているのはピーク教祖だけ。それ以外は逆回りをほとんど意識させない。
投稿元:
レビューを見る
死者は墓から蘇り、生者は若返って子宮へ回帰する。そんな時間逆転現象が起こった「逆まわりの世界」が舞台。死者の再生と売却を請け負うセバスチャンは、ユーディ教の始祖ピークを掘り出したことをきっかけに、ピークをめぐる様々な派閥の抗争に巻き込まれ…
死者は蘇り、生者は子宮に帰る?なんというトンデモ設定。面白いのはこのトンデモ設定を実生活にまで落とし込んでいるところ。例えば、本来、生者は食物を食べて消化しますが、この世界では生者は食物を胃袋から皿に戻します。あるいは、子宮に帰る生者のためにあえてセックスをしたりと、なんだか因果関係がめちゃくちゃ。だけでなく、蘇った死者の売却権は発掘者に帰属したりと、この世界を前提にした社会構造も出来上がっているよう。ただ、ここまで実生活に落とし込まれると、読み進めるうちに、いろいろ矛盾を感じてしまって、破綻した設定に感じてしまうのですが、それはそれとして、強引に物語を展開する剛腕はディックならでは、といったところでしょうか。ディックだから許してしまえる気もします。
投稿元:
レビューを見る
初見でUBIKと似たタイプかと思ったが、予想を裏切って、男女関係や利潤追求など生々しい欲望が主体となった群像劇になっている。そのような人間ドラマのみなら他愛無いが、それぞれの異なる思惑が逆行時間、新興宗教の教祖復活、情報統制/市民弾圧組織めいた図書館という著者特有の奇妙な軸に絡むことで物語はより迷宮的になり、どう転がるのか予想のつかない回転体をずっと注視してしまうような感覚がある。
前半部はコメディ調で重苦しくもなく文句なしに抜群の面白さなのだが、群像劇スタイルが去り、焦点がセバスチャン1人に絞られる後半になると失速感が否めなかった。というのもこのセバスチャンというキャラ、個人的に身内で雑な仕事を回して利益を掠める土着業者の社長か、不都合な事実を都合よく書き換える政治家のようにみえてしまい、どうしても拒否感を拭い去ることができなかった。この1点だけは最後まで納得できなかったが、やはりそこも確信犯的に描いた核心部分だろう。
事後的にみれば物語はかなり早い段階で片はついて終わっている。図書館や消去局はほぼ無傷で残り、悪い予感だけ的中し、重要人物は殺される。奇蹟が起きることもなく運命は変えられない。
奇抜な設定であるにも関わらず、現実なんて所詮こんなもんだという現実の厳しさを突きつけられ後味は良くはない。
それでも自分の使命を続けるしかないという苦いラストは作者の自己投影なのか、は分かりかねるが、個人的な人生観や経験則が他作品より色濃く出ている内容であると思われる。
翻訳がいつもの朝倉氏ではなく、かなり細かい部分に配慮して訳している感じで、キャラも粗野さが薄めで若干紳士的になっている感じだ。しかしその丁寧さのせいで反転した時などの打算的で浅ましい人間性がむしろ際立っていて、プライベートなアプローチが強い作品には適切だろうと思う。
相変わらずソウガム(大麻的なものか?)とか図書館への脅迫的恐怖(これはかなり分かるが)意味不明な要素もあるが、死者が蘇るという単純な設定をここまで面白く仕立て上げられる者が他にいるのだろうか?
演劇調というか、会話だけで進行する部分もあり、とにかく底の知れない会話劇が面白く、その会話が混迷の度合いを深め本当に先の読めない話になっている。
図書館に行くくだりなどどうしたらこんなセリフ展開を思いつくのかと思うほど天才的なのだが、才能というよりもなにか創作への執念が達成させている感じだ。
前のめりな動的な面白さはないが、静的な味わい深さのあるの作品だ。やはり最初の部分をよく読みこむことが肝要だろう。
正直、設定はかなり雑で粗があり、最も致命的なのは人類滅亡を示唆していることであるが、そんなことは気付くだろうと思われるし、むしろそれがどうしたという科学考証や論理的整合性重視の設定先行・至上主義作品に対するアンチテーゼを感じないこともない。
この不可思議な世界観については、なんとか納得しうる答えを導き出そうと巻末で神林氏が苦心して解説しているが、それよりも終盤の展開の解釈について説明がほしかった。普段は余計なのだが、これは本当に理解できなかったのでプロの回答例が欲しいところだ。
しかしはたしてこの小説のプロットは破綻しているのだろうか?完全な完成を目指せば明らかに破綻しているが、それは完成をどこにおくか?という話で、例えば書きかけの絵が一番素晴らしいみたいな、未完成の瞬間の美みたいな形態を発見することも時にはある。その現象をとにかく書き上げてしまえば発現してみせ固定化させてしまうことが著者の真骨頂であり特異性であり真似できないところだと思う。
例えば完璧に綺麗で素晴らしいラッセンの絵なんかは芸術的価値は低いと見做されているし、論理的整合性を命題とし、それを創作の目的にしたはずのミステリー作家の多くが、不完全なSFを書いたりするのはなぜか考えれば、創作において設定主義は二次的な動機であり、そのような後続の動きによってこの小説の価値は証明されているだろう。