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紙の本
「私」のいない世界
2008/05/24 08:38
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:らいつい - この投稿者のレビュー一覧を見る
清水義範の新しい実験をまたひとつ見つけた。『他小説』である。
これは私小説の「私」に対するところの「他」なので、「私」以外の第三者の行動・心理を私小説の常套手法である一人称で綴ってみせる、という試みである。
通常、作品世界において作者は「神」である。作品中の全ての登場人物の行動・表出されない心理、文中では描かれない背景など、多次元に亘って把握することができる。しかし、一人称で地文を語る者、すなわち主人公-所詮は登場人物のひとりである-は残念ながらその限りではない。ここに今回の清水の実験の面白さがある。神ならざる者に神の役割を与えているのだ。
作品は或る俳人の或る日の起床から就寝までを描いている。しかし文中の彼の行動の描写には殆んど意味がない。起きた、食事した、買い物に出た、眠った。つまりこれらは、彼の生活を表現しているのではなく、単なる作品中の時間指標でしかないのだ。主人公が昼食後買い物に出た、と言っているのだから作中の時刻は午後の早い頃だろうと推測される、といった具合だ。また、彼自身の行動描写にはもうひとつ役割がある。不自然さを感じさせることなく表現対象を転換させることだ。自宅では彼は家人の心理描写を行い、買い物に出た先で若い店員の生活苦を表してみせる。神の身ならぬ彼が、物語の中で不自然でなく複数の第三者描写を行うには物理的に移動するしかないのだ。
このような様々な制約のうえに清水はこの物語を完成させた。それは想像通り奇妙な味わいを感じさせる短編となった。何よりも面白いのは主人公に「ドラマ」がないことだ。神の役割を与えられた登場人物にはエピソードは不要なのである。作中で主人公は十人余りの人物の心情を分析し、読者に説明する。(最後には布団の気持ちまで表現して見せる)それはそれぞれに事情を含んだ立派な「ドラマ」である。しかし主人公の彼には何もない。読者は主人公を理解することなく物語を読み進めていくのだ。当然、読者は主人公を理解できない。おそらく中年男だろう、職業は俳人。家人とふたり暮らし。これ以上の情報もなく、輪郭が曖昧な主人公について行かなくてはならない。通常なら結構な苦労だ。感情移入できない主人公の物語ほど面白くないものはない。しかし、清水は読者を取りこぼすことなく、無事に最後の一文まで送り届ける。なぜならタイトルを見せた瞬間から「これはお遊び(実験)ですよ」と宣言しているからだ。清水のファンであれば充分承知の上で最後まで話を楽しむに相違ない。
しかしやはり全体を包む奇妙な味わいは消えない。考えているうちに頭がぼんやりしてきたのでこれ以上考えるのはやめることにする。
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