投稿元:
レビューを見る
一首目、ニ首目から力強さを感じる。
「〜なのだ」と言い切っているもの、同じ言葉を繰り返し使っているものがお気に入り。
他の作品も読んでみたいと思ったが、本書が唯一の歌集らしいので、本書を思う存分堪能したいと思う。
投稿元:
レビューを見る
なんとなくまた読みたくなったので、文庫版が出たこともあり、買ってみました…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
僕も非正規雇用で働いているためか、著者の心情がよく分かるような気が…それと年齢が僕と近いということもあって、より一層親近感を持って読み進めることができたのでした…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
映画も観ましたがアレはこの歌集の内容を表現できているとは思えませんでしたね…終始、暗いだけの映画でした。ってか、もう内容ほとんど思い出せませんが…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
なんというか…恋? している? 部分は正直アレですね…こちらがこっぱずかしくなってくるというか…そんな感じでしたけれどもまあ、著者の純真さがよく表れている部分かと存じます…。
解説は又吉さんでしたね…特にこれについてはコメント無しでお願いします…(笑) ただまあ、又吉さんみたく自分も何か事あるごとにこの歌集を取り出し、酒を飲みながら読んでみようとは思いましたよ!!
さようなら…。
ヽ(・ω・)/ズコー
投稿元:
レビューを見る
言葉というのはとても素晴らしいものです。本を沢山読んでこれだけ色々な感情を揺さぶられるのは、作り手も読み手も「言葉」というもので繋がっているから。
しっかりと構築された文章を読む事を好むので、詩歌についてはあまり知らないのですが、生け花のように美しく置かれた言葉にもまた感動する事もまた気分がいいです。
作家としても名を成しておらず、これから名を成すぞと自分を鼓舞して歌作を続ける青年。色々な不安と戦いながらも前を向いている事が見て取れる言葉。とても眩しくみずみずしいです。
上梓する前にお亡くなりになってしまったという事で非常に残念です。唯一の作品集世の中に刺さっています。
投稿元:
レビューを見る
歌集とかほぼ読まないんだけど、家に転がっていたサラダ記念日を『ながら読み返し』したのからの芋づる式で突き当たり、図書館で文庫化前の単行本を借りて読了。
第一印象は、痛い。若いとは素晴らしいことではあるが、痛いことがたくさんある。年を取ってくると痛かったのをだんだん忘れてくるおかげで、若かったのって素敵だったような気ばっかりしてくるが、そんなことなかったのを生傷のように思い出させる恐ろしさである。別に経験がかぶるわけでも近いわけでもないのだが、老成した(笑)おかげで普段は忘れたふりをしていられる心の柔いところに爪を立てられるほどの所業である。痛い。
次の印象は、星野源を思い出す、である。まあたまたまプチ星野源祭りをした後だったせいもあるだろうし、こういう世代のサンプルをあまり多く知らないので、ちょっと似ているとめちゃくちゃ似て見えるのかもしれない。ミレニアル世代とかいうマーケティング的な括りはそぐわないし、同じ時代(1980年代前半生まれ)に、同じような場所(関東)で育ち、ちょっと似たような経験(中高一貫校でいじめに遭う)がある、という程度の相似では何を語ることもできない。しかしとりあえず私の中では同じ箱に入れた。決まりだ。
星野源に「お笑い」があってよかったと思う。しかも自分を下げるタイプのお笑いがあったおかげで、ずいぶん生きやすかったのではないだろうか。萩原君にも、そういうガス抜きがうまく見つかればよかったのに、と心から思う。歌が残った、という人もいるけど、彼を直接知る人からすれば、歌なんか残らなくたって、生きていて欲しかったはずだ。生きていればこそ、できたこともきっとあるから。
いろいろ痛かった。たくさんの人に読んでもらうのがよいとは思うけど、痛さを知らない人にうまく刺さるのかどうか、それは心もとない。
投稿元:
レビューを見る
書店でふいに手に取ったのは、死んだ友達に名前が似ていたから。
で、ネットの評判など何も調べることなく読んで、不思議な気持ちになった。
もとから幻想耽美人工的な短歌のほうが好きなので本来の好みとはいえないが、それでも読み続けてしまった。
「ベランダで沈む太陽観ていたら急に切なくなってしまった」
とか、自分も体験したことがある、と思ったのだが、よく考えてみたら、そんな経験ないかもしれない。
なのにこの歌を読んだことで、記憶が上書きされたかのような気がする。
彼は僕に似ている。
いや、僕が勝手に彼に似ているような気がしているだけなのだ。
同じ国で似た年齢だから似た経験をしていてもおかしくはない。
しかし当たり前だが彼は僕と別の町で、「集中を持続した」人だ。
実際この人だって
「ひとの数だけ歌がある不思議かな たった三十一文字なのに」
と歌っているくらいだし。
だからいまこんなに響いても、一か月後には忘れている。
というか自分の生活にいまの気持ちは埋没していってしまう。
それも判っている。
穂村弘が「近代短歌の、私の生の一回性」みたいなこと、あるいは「現代短歌の棒立ちの歌」のようなことを言っていたし、それがおそらく歌人に読み手が仮託して読むことの不思議さ、交換可能性を思ってしまうことと、つながっているんじゃないか。
……よくわからないことを書いてしまった。
その後ネットで、凄いブームになった作品集だということを知りそうになって、慌てて調べるのをやめた。
投稿元:
レビューを見る
いっぱい好きな短歌があった
気持ちの見える何気ない日常の歌が好きだ
好きなのを3つほど
頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
これというものみつからず苦しみし十七歳は歌に出会いき
至福とは特に悩みのない日々のことかもしれぬ食後のココア
投稿元:
レビューを見る
図書館で借りました。
同時に別の歌人の本もいくつか借りてたんだけど、それらは私には難しすぎたのか読みにくくて困ってたところ、この歌集はぐいぐい読めた。
口語だし、ことばもやさしいし、共感しやすい。
非正規雇用の嘆き、みたいなことが大きなテーマの一つと感じた。
でもときどき、お茶目な短歌もあったりして、深い悲しみの中でも、やさしさや楽しさを持とうとする人間の姿がある、と感じました。
うしろ手に携帯電話抜くときにガンマンになった気がする僕は
追記
最初、単行本(?文庫じゃない方)を図書館で借りたんだけど、文庫本では又吉が解説を書いてると知って、文庫本の方も借りました。
又吉の解説はすごく良かった。読んでよかった。
ー自戒として書くが、意地悪であることなんて簡単なのだ。ー
投稿元:
レビューを見る
現代短歌で有名(?)な歌人の萩原慎一郎の歌集で、彼が亡くなる直前に企画・編集され、死後出版された現代的な口語体の短歌を中心とした作品。芸人の又吉や文芸評論家の三枝昴之などによる解説もついている。学生時代のいじめの経験や、「非正規雇用」の中でやりがいを感じにくい仕事と生きがいとしての歌作との間の葛藤、短歌への情熱、日常の感動や虚しさなどが描かれている。「わかるわかる」と思える日常の切り取りや、「そんなふうに苦しんでいたのか」と思わせる彼の心の動きなど、人間についてこうもうまく、短歌で表せられるんだなあと感動した。彼の感性の鋭さや、表現力の高さにも驚かされるし、言葉ってすごいなと思った。
また、彼自身は過去のいじめの経験に起因する精神的な不調に苦しんでいたようであり、そういった彼の背景を想像することができ、感慨深い。
笹井宏之の「えーえんとくちから」とも感性が近いと思ったが、本書「滑走路」の方が、よりわかりやすく、共感できると思った。
投稿元:
レビューを見る
心を掴まれる短歌集。
もともと短歌に興味はない。世代だが俵万智もスルーしてきた。
ひょんなことから萩原さんのことを知り、彼の短歌を幾つか目にしたら、もう書店に向かっていた。
手に取った文庫は思ったより薄くて彼の人生の短さを感じた。
萩原さんの短歌は閉塞感や絶望感を歌ったものから、若者らしい青春のキラキラを切り取ったものまで。その全てが瑞々しく繊細で、ひたすら優しい。
それは隣で寄り添いながら背中をさすってくれるよう。だが、その掌からはとてつもないエネルギーを発している。
私はこの歌集から前に進む力を貰っている。
若い人に読んでもらいたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
昭和20年代、第二芸術論争なるものがあったと聞いている。対象は俳句ではあったが、それは短歌をも巻き込むものだった。「(作家たちは)いつも慄いている。名も知らぬ土地の人の机の引き出しの中に、世紀の傑作が眠っているのではないか、と」出典にあたっていないので正確ではないが、おおよそ以上のような主張に、おおよそ俳人とか歌人とかと言われる作家たちが一斉に反発した。
現代、歌人と称するためには何が必要なのだろうか?
公の新聞や雑誌で、歌が頻繁に公開されていること?
歌集を出していること?
定義はどうでもいい。
むかし、おおよそ130年間に詠まれた歌が一冊の文集にまとめられた。万葉集といい、それは1300年の時を経て、そのうちの一部、或いはおおよそがいまだに人口に膾炙されている。
私は、あくまでも私の意見ではあるが、そうなって初めて歌人は歌人になると思っている。
そのためには、繰り返し繰り返し「その歌」が引用されなければならない。
ここに1人の若くて優しくて脆かった青年が、その最後の最後に編んだ一冊の歌集がある。
どうなんだろ。
バブル崩壊後、リーマンショックの最中、非正規労働者として20代を過ごした青年の心の記録として、20年後、100年後、1000年後に残る歌だろうか?「現代万葉集」があれば、一首でも採用されるだろうか?現代ならば、数万回ネットに載ったか、を基準にして選ぶことが出来るかもしれない。
慎一郎さんの歌が載るかどうかはわからない。現代は、1300年前と比べてあまりにも詠む人が多いから、難しいんじゃないかな、とも思う。でも、とも思う。何かの「気まぐれ」が、この時代の何かを掬い取って、たとえば以下のような歌が選ばれないとも限らないのではないかと。
抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ
きみといる夏の時間は愛しくて仕事だということを忘れる
牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給以上だ
紐引けば花咲くように電灯のともりて学びの時間になりぬ
電車に乗りながら夜空に伝書鳩放つがごとく送信したり
あのときのこと思い出し紙コップ潰してしまいたくなりぬ ふと
ぼくたちの腹部にナイフ刺さるごと同時多発テロ事件はあった
箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる
コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生
だだだだだ 階段を駆けあがるのだ だだだだ、だだだ 駆けあがるのだ
投稿元:
レビューを見る
32歳の若さで去った歌人、萩原慎一郎さんの歌集
初めて歌集を読みました。
恋に食に労働に、命が日々暮らしている中で呟く言葉を口語体で歌われているので、凄く共感できるものが多かったです。
そして普段感じることのなかった、自分の心の奥行きを感じる事ができました。
この歌集が作品として素晴らしいモノなのかは分かりません。
ただ、生きている苦悩や乗り越えようとする足掻きが31文字に込められ、「命」だと思えました。
自分の在り方に迷っている今、この作品を手に取れたことに感謝です。
迷い道
されどもそこも
滑走路
まだ見えぬとて
先にある空
投稿元:
レビューを見る
著者がどういった人物か、一切の知識なしにたまたま手に取った。
表紙のデザインが美しかったのと、滑走路、という色々な物語を想起させるタイトルの「歌集」というものに興味を惹かれたからだ。
読み始めてみると、勢いがあって、静止があって、思考があって、日常があって、現実や当惑や希望があって、ぐいぐい引き込まれるように最後まで読んだ。
歌集を読む時の習慣で、印象に残った歌には細い付箋をつけるのだが、かなりの数の付箋がついた。
そして、最後の最後、解説や後書きを読んで、著者が32歳という若さで夭逝したことを知った。
氏が詠んだ短歌には、色々な想いが練り込まれていたに違いない。未来を感じさせる歌も確かにあった。それでも、それでも、死に直面したという事実が、またひとつのメッセージでもあるように感じた。
読み終えるまで、当たり前のように次の歌集や歌の変化を楽しみにしていた自分が、ふいに凪の海のようなところに投げ出されたように思った。この奇妙で沈痛な余韻もまた、作品の一部として受け止めるべき空白なのだろう。
好きな歌をいくつか引用しておく。
・真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい
・いつか手が触れると信じつつ いつも眼が捉えたる光源のあり
・僕たちのソファーでありし草地にて還らぬ友を想い続ける
・箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる
・シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず
・内部にて光り始めて(ここからだ)恋も短歌も人生だって
・完熟のトマトの中に水源のありて すなわち青春時代
・いまはまだショックだけれどそのうちに……そうだ、たこ焼食べて帰ろう