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この岩波文庫版は、プロローグ及びエピローグが併せ訳されており、著者オルテガが、いかなる時代状況の下で本書を著したかを窺わせるものであり、著者の思想を考える上でも大変参考になる。
また、ご遺族が書かれた「訳者あとがきにかえて」は、訳者の人生を垣間見せてもらったが、母国語以外の著作に翻訳を通して触れる一般読者の胸を、強く打つものである。
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無知無能な人間が外部に開かれた目的に向かって、ーー何の介入も受けずにーー 努力できることが自由の意味であったが、内なる欲望のままに活動できることが自由の意味にすり替えられた結果、能力を過信した人間が他者の影響を排除しながらやりたいことをやりたいようにやる権利を持っていると"勘違い"人間をたくさん生み出してしまった、、
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どこかの新聞の評論で「新聞記者になる人の必読の本」のようなことが書いてあったので、読んでみたがあまり身が入らずに途中で断念。要は愚鈍な大衆が産業革命と政治革命によって力を持ったために世界がダメになったというようなことが書いてある。書かれたのだ20世紀初頭のスペインのようなので、そのような考え方になったのか分からないが、政治は一部のエリートが担うべきというような思想。最後まで読んでいないのでもしかしたら最終的には違う結論なのかも知れないが。。。とは言え、昨今のアメリカや日本の政治的堕落がポピュリズムによるものと思っている私としては多少は得心がいくところもある。しかしながらやはり、民主主義が堕落だというような考え方にはついていけなかった。
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新しい訳であり、さすがに読みやすい。日本や中国は鼻を突き合わせて住んでいる、という言及はあったものの、やはりヨーロッパ中心、しかもスペインとフランス、イギリス中心の思想である。
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まだ読めてないのだが、あとがきが感動的だった。
言葉を新たに訳すというのは、時代を反映させるということだと思った。オルテガのこの本は決して新しい本ではないが、訳者が感じる肌感覚や蓄積した経験から、より理解しやすい言葉を選んで、今の言語に訳す。その真摯な人生を目にしていたご子息が書かれたあとがきです。
まだ読了もしてないにも関わらず、絶対に感動できると確信できる本です。
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熱狂を疑え。炎上をして、すぐに忘れるということが起こりがち。
カーニバル的熱狂は超民主主義となり、保守ではない。
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和訳がこなれているとはいえ、自分には難しく、読むのに約1ヶ月かかってしまった。
前半は、衆愚化に関する考察が長く、やや退屈であったが、社会や国家に関するくだりを読んで、著者が伝えたいことが、ようやく納得出来た。
国家とは共通の未来を共有するもの、というフレーズが特に印象に残った。
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原著1930年。
このあちこちでやたらと言及される本について、かつて読んだと思っていたが、所有はしていなかったのでこの岩波文庫の「新訳」を購入してみた。が、読んでみると、どうやら読んだことが無かったようだ。何故か読んだと思い込んでいただけらしい。
解説によると著者のオルテガは観念論的な哲学者のようで、社会学者でも歴史学者でもない。本書は本格的哲学のおもかげはなく、多分にエッセイ的な文明批評である。もともとスペインの新聞に連載された文章なので、こういう書き方になったのだろう。
ヨーロッパに台頭し街に溢れかえるようになった「大衆」について、自分だけは正しく、確実であると信じ込んでいて、遠い未来のことについては考えず、モラルも理想も欠如している、とする指摘は、なるほど、現在の日本のヤフーニュースのコメント欄や2ちゃんねるのようなところに巣くっている連中に当てはまるように思えて興味を惹かれた。
しかし、本書は社会学的な確かさを持っていないので、実際にどういう言動が見られたとかいうデータは全然なく、著者のおおざっぱな感想を延々と開陳しているだけである。ヨーロッパの歴史に関する意識も、なんだか思い込みで書いているような気がした。
読み進めていくと、だんだんこの著者が頑迷なオッサンで、巷の若者批判の持論をぐだぐだとまくしたてているように思えてきて、次第にウンザリしてしまった。
哲学者なら、もっと厳密な概念定義を行い、自らの思考をも深く考究していくべきではないのか。
そんな印象が強くなり、面白い読書体験とは感じられずに終わってしまった。
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どうも、この本は「大衆」の存在や生き方を批判した本ではないように感じた。
大衆をキーワードにヨーロッパの歴史の紐解きや社会の在り方を説いた書であるように感じた。
そうだ、社会や歴史に関する本なのだ。この本は。
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1930年にスペインで出版された、当時の政治・社会に占める「大衆」に対する批判本。正直読みにくいし、あまり頭に入って来ない箇所も多いが、本書が単なる大衆批判の裏返しとしてエリートを賛美している訳ではないことが、分かった。むしろ、著者は専門家に無責任という大衆的な要素が蔓延っていることに批判的である。また、進歩史観に否定的な点もポピュリズムによる民主主義の後退が懸念される今日においては示唆的である。
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大衆社会論の名著。デモクラシーとテクノロジーの興隆によって誕生した大衆社会は、歴史を顧みず、自己満足した空虚な人々が前面に出てくる社会だ。
大衆とは階級のことではなく、いわば精神の持ちよう。専門家であっても、総合知へ向かわず、対話しないタコツボ知識人であれば、大衆と同じだ。大衆とはいわば甘やかされた子供、「満足しきったお坊ちゃん」である。
そんな大衆が支配する社会はかつてなく野蛮なものだ。発刊から1世紀たってもなお、その指摘は重要だ。特に現代、「1億総発信」の時代だからこそ、大衆への警戒は必要だ。
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私が在籍する研究室に残された先輩の研究ノートに本書の一節が書かれていたため、手に取ってみた。
彼の言っていることをただ当時の人間に投げかけている言葉だと捉えずに、現代に生きる自分や世間の人間に照らし合わせてみれば、おそらく思い当たる節がいくつも見つかるのではないだろうか。ただ、突然やけに専門的かつ読みにくくなる章があるのでそこについては読み飛ばした。
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誰だかは忘れたけど日経の「私の本棚」で紹介されてたので読んでみた。
けど内容が難しすぎて内容の1割も頭に入ってこなかった。
なんか時間の無駄感もあったけどたまには今回のように難解な本を読むのもいいだろう。
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東洋経済オンライン20221217twより
東洋経済20221210掲載 評者:宇野重規(東京大学社会科学研究所教授,政治思想史,政治哲学)
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激高した労働者が武装蜂起、世界初の労働者政権(パリコミューン)が成立(1871)。▼労働者たちは、労働運動など集団になると一体感をもち、無意識に同一の方向に動く。個々の労働者の性質とは異なる集団の精神が生まれる。▼群衆は衝動で動き、他人の言葉を軽率に信じこむ。熱しやすく冷めやすい。大衆主導の民主主義への不信。ル・ボンLe Bon『群衆心理』1895
大衆(的な性質)。個性を持たない。同調しやすい。現状に満足している。責任感がない。わがまま。下品。社会について深く考えない。特別の資質をもたない。平均的な人たち。他の人と同じであることに喜びを見出す。自分の意志をもたず、受動的に行動する。自分の権利を押し通そうとする。こうした大衆(的な性質をもつ人々)がいま最大の権力を握っている。ファシスト党もボリシェヴィキも大衆に支えられている。自分の専門に閉じこもり傲慢で他人の言葉に耳を傾けない専門人(知識人)も「大衆」的な人々。▼エリート(的な性質)。良い意味で個性をもつ。行動が自律的。向上心がある。責任感がある。公共の利益を優先。高い品格。社会全体を導こうとする意識。常に自己懐疑を持ち、自分が愚劣に陥る危険性を感じている。▼大衆(的な人々)とエリート(的な人々)を分けるのは階級でも財産でもない。オルテガ・イ・ガセットGasset『大衆の反逆』1930
人はみな独りぼっちだと不安を感じる。仲間からの承認がほしい。そこで他人の行動を見て、自分の行動を決めるようになる。常にレーダーを張って、他人の期待や好みに敏感に反応。社会の側が個人に世界への反応の仕方を要求している(社会的性格)。▼政治に無関心か、もしくは政治について知識や情報を得ることには熱心であっても、自ら進んで政治に関わろうとしない。傍観者。デイヴィッド・リースマンRiesman『孤独な群衆』1950
自分が権力をもてる&エリートに操作されやすい「大衆社会」△。自分が権力をもてる&エリートに操作されにくい「多元的社会」◎。自分が権力もてない&エリートに操作されやすい「全体主義社会」×。自分が権力もてない&エリートに操作されにくい「共同体社会」。共同体社会では支配層と一般人が隔絶されている。ウィリアム・コーンハウザーKornhauser『大衆社会の政治』1959