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本の歴史や、人々の人生や情報までを「本」だとする考え方は面白かった。
でも、本を読むことが、他の人との情報交換・コミュニケーションする方向に偏っているように感じられてなんだかもやもやする。
読書することを「敷居が高い」と感じている人に、気軽に触れてもらいたいと思って書かれているのかもしれないけど。
これまで読んできた「学びのきほん」シリーズ(3冊くらいだけど)がじっくりと向き合うように読む本だったので、なんとなくしっくりこない…(でも、私が変に偏屈になっているだけかもしれない。)
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#本の世界をめぐる冒険 を #読了
本とは何か。「文字が書かれた紙が束になったやつ」っと思った私は浅い。手元のkindleは本じゃない?オーディオブックは?ネットは?考え始めるとなんでも本…情報を人に繋げるものは全て本なのか?そんな疑問から冒険が始まる本。全ては体験に通じている?!
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活字離れが叫ばれるなかでも、古代より形を変えてきた「本」の歴史を紐解くことで、今後の本の在り方を示唆する内容になっている。すぐに読める割にはいろいろな知識を得ることが出来るし、これからの本や本を楽しむ「場」の進化にワクワクさせられた。
本とは何かということを、従来の「紙によってできた情報伝達媒体」というものからより拡大させて解釈する試みに基づいている。
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「本の世界をめぐる冒険」ナカムラクニオ。
▼なんとなく今まで見たことがなかった本。たまたま遊びに行ったポーラ美術館のギフトショップで衝動買い。美術館(そんなに頻繁には行かないんですが)のギフトショップって、萬に浪費モードになるのは、きっと僕だけではないのでは。
▼読んで全く浪費ではなく。読書、本、の古今東西事始めから優しい言葉で駆け足で、という実に「本好きの素人向け」の一冊。
▼一般に本が読まれないというけれど、それは本の読書のカタチだけで。実はいま現在ほど、少なくとも日本人がこんなに活字を読んでいる時代はかつて無かったのではと思っていました。それが(そういう言葉ではないけど)多様に多彩に語られます。
▼読書とはひとの人生を知ることだ、という考え方で、どこか外国で「人間図書館」(だったかな)という試みをしている。図書館でマッチングして、知らん人と会って、人生の物語を聞く。相手は難民だったり、障害者だったり、いろいろだそう。(つまり、「話してもいい」という人が図書館に自分を登録している)
▼ナカムラクニオさんという方は本屋さんだそう。行ってみたいな、と。いろんな本屋さんがあって、それを楽しめるというのは大都市圏に住んでる魅力ですね。(大都市圏に住んでる悲惨、というのも枚挙に暇がないですが)
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本はどのように誕生し、どう発展してきたのか。過去を学ぶことで見えてくる、本の現在、未来、そして本好でも知らない知識の数々--。本のこれまでの「きほん」とこれからの「きほん」が分かれば、読書がいっそう面白くなる。世界の事情に最も詳しい著者による、今すぐ誰かに話したくなる、学校では教えてくれない「本にまつわる教養講座」。 (e-honより)
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本屋Titleさんの紹介で読みたくなった本。
後半、世界の図書館の事例集が面白かった。
デンマークの図書館事情を深掘りしてみたい。
そして人と情報をつなぐという意味ではSNSも本の一環だと捉える筆者の考察にしっくりきた。
(以下、本文より引用)
「インターネット上のソーシャルメディアも「本」です。さらに、ソーシャルメディアによって発信する個人さえもが「本」になっているのです。」
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第4章がよかった。本に関わる身として参考にしようかな。
全体的にもうちょい踏み込んだ内容も欲しかった。日本ではなぜ紙の本が読まれるのか、とかも、なぜ、の部分が知りたくもあり。
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これからの本に今、わくわくしています!
ブクログに感想を投稿するのも、「本」ですね。
1〜3章で現代で本に関わるために知っておくべき「きほん」について学んで、4章でこれからの本のあり方、可能性について知ることが出来ました。
身近になったからこそ、できることが増えたのですね。
これからどんな進化をするのか、自分達でもどんな楽しみ方をするのか楽しみになりました。
読書についての本だと思って飛び込んでみたのですが、本の本でした!こういう出会いも面白い。
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本の世界で働くことに憧れる。
即時性に弱く、情報にタイムラグが生まれてしまう。情報量が制限される。情報拡散力が低い。修正が難しい。重くて不便など、紙ならではのデメリットもある。が、
紙媒体はまだまだ信頼性が高く、五感を伴った体験が味わえる。保管性が高い。記憶への定着力が良い。電源が必要ない。
東京の下北沢にある「本屋 B& B」は、その先駆者的存在として有名。「ビールが飲める本屋」
三鷹の「フォスフォレッセンス」、
入場料を払うと、そこにある本が読み放題で買うこともできる六本木の本屋さん「文喫」
ベルギー、公立の図書館でも貸し出しサービスが有料。(!)
どこの国か忘れたけど、人が通る場所で本を貸し出すというアイデアも超ナイス
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〇本が「人と人、人と情報をつなぐもの」であるならば、「ワタシとだれか、ワタシと情報がつながったとき」に“本”は“本”として完成するんだな!
〇どんな媒体でも本なのだ。媒体によって、情報量や内容、表現の仕方が変わってくるのだ
〇ナカムラさんの見せてくれる本の可能性はワクワクする
◎「私たちは本のさまざまな過去を学ぶことによって、本の現在をどのようにとらえ直すことができ、それをどうすれば未来へとつなげていけるか」
1:改めて、本ってなに?
・本=音
「本」は人間だった
稗田阿礼、イソップ、ホメーロス、琵琶法師など
・音から文字へ
消える音 残る文字
・本は世界をつなぐ結び目
人と情報をつなぐ本
粘土のタブレット…火事にあっても残る
人間の生活や思考はそのまま、タブレットだけが5000年かけて電子になった
インターネットそのものが、巨大な本
なぜ日本人は紙で本を読むのか
未来のほんの楽しみ方
紙×デジタル
2:本はどのように進化したのか
・パピルス
暗記パン、ペーパー、リサイクル、アレクサンドリア、聖書、巻物(Volume)
紀元前4000年、5000年使用された
「人間は、一茎の葦にすぎない」パスカル
・羊皮紙 パーチメント
ペルガモン
ソクラテス「尊い知識を、生きた人間の頭脳から、死んだ獣の皮の上に移すのが嫌」
・紙の発明
中国
カメの甲羅、動物の骨、青銅器、石碑、木簡、竹簡
冊、編集
日本…和紙
・パルプ スズメバチの巣 洋紙
・グーテンベルクの印刷革命
レオナルド・ダ・ヴィンチ
知識を固定化する印刷より、手書き文字にこだわった
3:日本の本クロニクル
・最古の本と本屋さん
・印刷と出版文化
・江戸時代は本の楽園
ベストセラー=千部振舞
・受け継がれる「民衆のパワー」
明治・大正・昭和…活字文化全盛
現在「記録媒体」→「記憶媒体」
4:本の未来をめぐる冒険
・「場」としての本
・カフェ文化と読書
・泊まれる本屋さん
・「メディアはメッセージから、マッサージへ」
・進化する読書法
共読体験…系読、妄読、交読など
明治以降に広まった黙読、それまでは朗読が一般的
・体感する本屋さん
「本」と「場」は「所有」から「共有」へ
・進化する本のある空間
図書館の進化…世界の図書館
・本の未来は北欧にならえ
本の起源「人」
みんなでツクル「場」
「知」のテーマパークへ
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本はもともと「音で聴く」ものだったが、記録や伝達の手段として本が誕生した。つまり本の本質は「人と人、人と情報を繋ぐ情報伝達の手段」だという。そう定義するならば、何かの情報が何かの媒体に閉じ込められた瞬間、本になるのだ。電子書籍も、インターネットも。
時代で移り行く本の在り方だが、これからはどのような本との付き合い方があるのだろうか?
本における世界のキーワードは「場」である。ブックカフェや読書会、図書館など本屋さんも、体感型の「知のテーマパーク」のような存在へと進化しつつある。読書というのは情報を身体に取り入れ、肉体化する営みだから、読み方は自由なのだ。
最後には国内のブックカフェや海外の図書館の取り組みが紹介されていてとてもおもしろかった。
いろんなところで「コミュニティ」が注目されているが、読書においても誰かと共有して知を取り入れるコミュニティが必要とされているのだろう。
読書は歴史的な流れからみても非常に概念が広く、多様性に満ちているのだと知った。
もっと本にまつわることを学んでいきたい
図書館
・芸亭
・金沢文庫
・スウェーデンのお喋りカフェ
・デンマークのニューマンライブラリー
・デンマークのDOKKI1
・フィンランドのOodi
ブックカフェメモ
・フォスフォレッセンス
・火星の庭
・6次元
・代官山蔦屋書店
・北京芸術区「798」の「timezone8」
・韓国「キョボ文庫」「テオ書店」
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とっても面白かった!
本への理解と、本との様々な関わり方を知ることができました。
自分もいつかそういった拠点作りをしたいな、と思います。この本はその夢のバイブルです!
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好きなシリーズの、しかも好物な”本の本”。なのにいまひとつ楽しめなかったのはなぜ…。本シリーズの場合、一冊が短いものだし、同時並行的に複数を読み進めるより、順番に読了していくって読み方の方が良いのかも。ちょっと反省。ネット世界全体が本って、確かにそうかもしれないけど、なんかちょっと…って感じ。ついていけない訳じゃないけど、なかなか受け入れられないというか、受け入れたくない価値観、ってことかな。
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本を取り巻く歴史と現状についてコンパクトにまとまっていてたいへんにありがたいです。参考文献も多くてますますありがたい。
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499
もうひとつ、「本」をめぐる「場」で大きな変化が起きているところがあります。 それは「図書館」です。 図書館は長いあいだ、ごく少数の人たちが利用するものでした。現在のように誰 もが利用できるようになったのは19世紀の後半です。
私は、人生で大切なことのほとんどを「本」から学びました。2008年に東京の荻窪で「6次元」という小さなブックカフェをはじめて11年。その間に、読書会、朗読会、トーク、ライブ、編集講座や美術講座などのイベントを1000回以上開催し、世界の50か国以上の本屋さんや図書館をめぐり続けてきました。
「本」はもともと「音で聴く」ものでした。 いきなりそんなことを言われると、現代の私たちは違和感を覚えるかもしれませ ん。しかし、過去におこなわれていたことが、意外なところで現代に継承されてい ることがあります。 例えば、いま欧米では「オーディオブック」が流行しています。オーディオブッ クとは、音声で本を読む、いわば耳で聴く「本」。デジタル化された「携帯式の語 り部」です。ナレーターや声優が朗読した美しい文章を耳だけで楽しめるので、文 も読むのが難しい人や、電車や車での移動時間が長い人、家事や作業を どが、生活のあらゆるシーンで気軽に「本」を楽しめるようになりました。
先日、アメリカのニューヨークで、「聖書を音声で聴く読書会」に参加しました。 からオフィスの一角に30人ほどが集まって勉強するわけですが、音声で 葉を聴き、そのあと意見や感想を交換します。これならば、短い時間の中で、学び を最大限に吸収し、生かすことができます。 もしかするとこれからの未来は、本が再び人間に戻り、本を音で聴く時代がやっ てくるのかもしれません。
私は今でも本を執筆する際に、調べもので「原本」を探すことが多く、元ネタの に元ネタを徹底的に探すことがよくあります。最初は、町の本屋さん。 に町の図書館へ行きます。そこでも探している本がないと、さらに国立 館へ行って調べものをします。結局は、1冊書き上げるまでにだいたい100冊ほどの本を購入したり借りたりして、勉強 することになります。「本(もと)にさ かのぼる」という意味で、この行為こそ 「本」という言葉の本質を体現している のかもしれません。
本はいつの時代も、「人と人」「人と情報」をつなぐ「ひも」のような存在です。 著者がそこにいなくても、数百年後の読者は著者によって書かれた言葉を直接読むことができます。また、本として存在さえしていれば、現代の私たちは た考えにアクセスすることだってできます。それはあたかも、今は生き い著者に「出会う」経験のようでさえあります。
このように多種多様な出版文化が「民衆のパワー」によって開花した明治時代 出版カルチャーは、現代にも受け継がれています。「コミケ(コミックラ という同人誌の即売会が4日間で73万人を集めたり、文学限定の同 「文学フリマ」が盛り上がったり、アジア最大規模の「東京アートはブックフェア」が開催されたりしている現象とも似ています。 「本が売れない」とはよく言われることです。しかし、このよ��な盛り上がりを肌 で感じる身としては、「本当にそうなのかな?」と疑問に思うこともしばしばあり ます。
本は「人」と「人」をつなぐ接着剤として、自 己表現ツールとして、愛されていくことになるでしょう。
読書会という共読体験では、ほかにもいろんな読書法があります。 例えば、
系読。関係のある書籍を系統だてて学ぶ読書。
妄読。内容を妄想して語り合う、読まない読書。
交読。お互いに本の内容を紹介し合う読書。
自分以外の人にわかるように話して伝える努力を実際にしてみることで、はじめて 気付かされることが本当に多くあるものです。 さらに、人に話すことで自分の頭が整理され、本をより深く理解することができ ます。本を読んだあとには、「何が書いてあったのか」「自分にとってどういう意味 があるのか」を考えるべきです。大事なことは、本を読んでどんな知識を得るかよ り、読んだあとに何をするかです。いかにアウトプットするかが勝負なのです。読 書会は、基本的に会話というアウトプットをおこなう場なので、読書を自分のもの にするために非常に有効です。
ちなみに、「読む」という行為が今の私たちが普通におこなう「黙読」になった のは、明治以降だと言われています。それまでは、訓練を受けた専門家が大衆に向 かって「朗読」するのが一般的だったのです。