ここ3年間で読んだ本の中で間違いなくぴか一の本
2021/03/16 18:18
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ここ3年間で読んだ本の中で間違いなくぴか一の本
特に最後の方に書かれた以下の文章が印象的だ。
「人間の「天使のような」性質と「悪魔のような」性質の進化は、言語で可能になった高度な意図の共有から生じた。~言語は、高い殺傷能力と低い感情的反応が同居するキメラ的な人格を作り出した。比類ないコミュニケーション能力のおかげで、われわれの精神には比類なく矛盾した攻撃性がもたらされた」
著者はだからといって、人間の未来を悲観してはいないのだが、大丈夫だろうか?今、SNSは新たな比類ないコミュニケーションの能力を人間にもたらしたと言えないだろうか?
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知的好奇心を十分に満足させられた一冊であった。
傑作として名高いジャレド・ダイアモンド氏の『銃・病原菌・鉄』やユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』に匹敵する面白さである。
ガチガチの学術書であるが、その文体は非常に分かりやすくどんどん読み進めることができる。
著者のリチャード・ランガム氏はハーバード大学の生物人類学の教授であるが、著者の本書で提唱する「自己家畜論」や「処刑理論」を読むと目から鱗が落ちる体験ができる。
どのように我々ホモ・サピエンスが世界の頂点に立つことができたのか?
この難問が彼の理論できっちりと説明することができるのである。
ホモ・サピエンスは個々の個体を強化するのではなく、組織としての力を強化していくことによって強くなっていった。
本書のなかにネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いやどうやってネアンデルタール人をホモ・サピエンスが駆逐していったかが丁寧に説明される。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの脳の容積はほぼ同じであり、体格は若干ネアンデルタール人の方が大きい。個体としてはネアンデルタール人の方がホモ・サピエンスよりも強いと言ってもよかった。
しかし、ホモ・サピエンスの方が優れている部分があった。それが組織力である。
ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも言語を上手く操ることができ、仲間同士でのコミュニケーション能力が高く、組織だった行動や攻撃を行うことができ、個体としての力が強かったネアンデルタール人を組織の力でホモ・サピエンスは撃退していったのである。
この組織だった行動を生むのが「自己家畜論」「処刑理論」で説明される。
個人よりも組織を優先する本能を育てるため、個人の狂暴性は世代ごとに失われていき、協調性が高まっていったのである。
それには「処刑理論」も一役買っている。
古代では力の強いボスが組織を牛耳っていたが、言語が発達し仲間同士でコミュニケーションができるようになると、横暴なボスを他の者たちが協力して処刑することができるようになった。
つまり、力が強いだけの個体より、力は弱いけれども集団で立ち向かうことができるほうが強くなったのである。非常に納得させられる。
本当に素晴らしい本であった。
最後に著者は「処刑」の役割について認めているものの現在の死刑制度には反対している。
「処刑」が役に立ったのはあくまでも古代であり、警察や刑務所がない時代の話である。
現在は、警察や刑務所が「処刑」の役割を十分に果たしているので今の時代では「死刑」は必要ないと述べている。
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人間社会は他の霊長類に比べて暴力的になることが例外的に少ない一方、一度戦争などの紛争が起こると死亡率が例外的に高くなる事象をもって「(人間社会の)善と悪のパラドックス」と呼び、その謎に迫っている。
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読了。猿から人にどうやって進化したのかが、納得できた。言葉を獲得して、自己家畜化をすれば、集団として、強力な力を得ることができ、ネアンデルタール人を滅ぼすほどの力を得ることができる。文字のことには、なかったが、世界を見るとラテン文字(ローマ字)を使う文化圏と漢字を使う文化圏とアラビア文字を使う文化圏の勢力争いの最中なのかも知れない。産業革命でラテン文字が優勢になったが、IT革命で、漢字も力をつけている?サピエンス全史も読んでみよう。
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12739179275.html
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「人間はボノボのように忍耐強く、チンパンジーのように凶暴だ。」
自己家畜化をキーワードに、われわれホモ・サピエンスの歴史をVirtureとViolenceとして解き明かした生物人類学者リチャード・ランガムの意欲作。
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家畜化症候群が起きる過程とその生理的メカニズムを説明したうえで、人間の自己家畜化が進んだ原因を推測する。人間は反応的攻撃性が低いが、能動的攻撃性は高いとの指摘が興味深い。
ドミトリ・ベリャーエフは、毛皮農場のキツネの中からおとなしい個体を選んで交配させ、その子ギツネの中からおとなしい個体を選んで交配させることを繰り返した。すると、30~35世代で70~80%が犬のように尾を振ったり、クンクン鳴いたりするようになった。メスは繁殖の季節性が失われ、年に複数回出産するようになった。人間が管理する過程で、必然的に攻撃性の低い個体が選ばれる。家畜化は、反応的攻撃性を抑える選択によって生じることがわかる。
受精卵が分裂を繰り返して原腸を形成すると、神経堤細胞が形成されて様々な部位に散らばる。家畜にみられる体毛の白いぶち模様は、メラミン色素を産生するメラノサイトの欠乏によるものだが、それはメラノサイトが大きな影響を受ける神経堤細胞が体の末端まで届かないことが原因。神経堤細胞は副腎にも影響を与え、そのホルモン産生率が減少すると感情的反応は抑えられる。他にも、顎の発達や歯の大きさ、垂れ耳(内部の軟骨の長さによる)も神経堤細胞の影響を受ける。従順な個体を選択することによって、感情的反応に影響する生体の変化が生じ、それが他の特徴に二次的な影響を及ぼす。
ボノボとチンパンジーの生息域は、どちらにも果実が豊富にある熱帯雨林があり、気候や植生に大きな違いはない。チンパンジーは食べ物を得るためにゴリラと競う必要があるため、散らばって単独行動をするが、ボノボの生息域にはゴリラがいないため、小集団でゆっくりと移動しながら食べる。小集団内のメスは安定した結びつきを築いて防衛的な協力体制をつくってオスの威嚇を撃退することができ、オスの攻撃性が低下して、自然下での自己家畜化が進んだ。
チンパンジーによる他集団の殺害行動は、一方的に行われる。加害者側にはほとんど負担はかからず、競争相手を殺せば自分たちの利益になる。ローレンツの主張に反して、オオカミでも群れの間での殺害が多く確認されている。殺害の要因となる個体の連合は、群居性の肉食動物と霊長類だけに発生する。
人間は他の霊長類と比較しても、日々の生活でカッとなって暴力をふるう反応的攻撃性は低いが、戦争などの計画して行う能動的攻撃性は高い。人間は、30万年前のホモ・サピエンスになった頃までに反応的攻撃性が弱まり、従順さが増した。反応的攻撃性がどのようにして淘汰されたかはわかっていないが、処刑仮説がある。狩猟採集民などの小集団では、社会の規範に従わない反応的攻撃性が高い者や独裁者になろうとする者を処刑することによって自己家畜化が進み、平等主義の社会が生まれた。処刑が人間の自己家畜化にどれくらい重要だったかはわからないが、その要因となったと考える証拠はそろっている。共謀の力で他人を計画的に殺すには、言語が必要になる。言語は10万~6万年前に現代のように洗練されたレベルに達していたという見解がある。
チャールズ・ダーウィン、ジョナサン・ハイト、クリストファー・ボーム、サミュエル・ボウルズ、フランス・ドゥ・ヴァールは、集団志向の道徳的反応は、集団にとって有利に働くために発達したと論じている。だが、道徳的反応によって個人は有益な協力関係を築くことができ、処刑を恐れたことが道徳性を促したのかもしれない。
人間は、いくつかの無意識のバイアスの影響を受けている。不作為バイアスは、責任を回避するために何かをするより何もしないほうを選ぶ。副作用バイアスは、故意に被害をまねかない方向に働く。非接触バイアスは、危害を加えられている人に触れるのを避ける。いずれも、行為者と行為の間に距離を置くことによって、悪事を働いたと非難されることを避けるためなのだろう。
人類の祖先では、連合による社会集団内に向けた能動的攻撃性によって、自己家畜化と道徳が進化した。現代では、それによって国家が機能しているが、戦争や虐殺などの暴力ももたらされた。戦争には2つの形式がある。ひとつは、国家以前の小規模社会で起き、時間は短く、奇襲によるもので、ひとり以上を負傷させるか殺した後、すみやかに逃げる。もうひとつの戦争は、政治的リーダーシップがある社会で起こり、方針を決定する指揮官と、その命令に従う兵士が関与する。兵士には参加するか否かの選択権はなく、戦うことで生き延びるチャンスが広がることや、親しい仲間に軽蔑されないために戦闘に加わる。指揮官は、自軍が敵より圧倒的に強い場合に攻撃を開始し、戦闘を始めた側が勝利する傾向にあった。しかし、その確率は1850年から低下し始め、1950年以降は45%になっている。
カルネイロは、自治政府数の減少傾向や世界28大帝国の拡大から、西暦2300~3500年に世界国家が樹立されることを推定している。
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人類の自己家畜化について知見を広げたく手に取った。集団による支配により個の力が抑えられ反応的攻撃性が優位を保てなくなったとの考察は納得だが、処刑による排除や個々の抑制の結果、遺伝的に組み込まれるようになったとの論にはいまいち首肯しかねる。能動的行動性の強化についても同様。また能動的攻撃性と戦争回避の可能性については本題から外れるので触れなくて良かったのではないかと思う。
参考文献が恐ろしいほどの量で、著者の費やした時間とエネルギーには頭が下がります。