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論理明快な文章。実作者からは感覚的に当然と思っていることを、快刀乱麻を断つ形での説明をしてくれる。和歌は和するものということ、叙景という概念を意識させてくれたのはありがたいし、批判的意識としての菅原道真や女性の和歌・今様という点からもとらえているのが的確と思う。
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この知識量にまずは圧倒された、圧倒されたと同時に、でも自分の詩の深め方とは全く方向が違うのだなということも同時に思った、自分なりの深め方でやっていくしかない。
あとは、今蓄積している日本の詩歌の伝統(主客未分と叙景)と、芭蕉、山頭火、民喜などを井筒、上田閑照、ハイデガーなどの哲学的論考とつなげてみたいとも思った。
僕は正統の「文学史」よりも、それからはずれつつ、しかし日本の和歌の本質が捉えてきたものを、現代的に復元したい。そのアプロ―チとして、僕の場合には、哲学的な時間や空間の視点がある。
「歴史的にこういう運動があり」という文学史からの流れではなく、空間や時間、哲学からの根源的現象としての「詩」の究明、ある意味で、詩の制度から離れたところからのハンマーのような、でもたしかに自分の詩論としては明確に確立されている、そういう屈強な論理が書きたい
以下引用
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和歌ー作者の自己消去
和歌の和は、「互いになごやかに和らぐ」という意味がある
調和の原理そのものによって、超自然的な恐るべき存在までも、やわらげ、人間化してしまう
夏と秋と行きかふ空のかよひ路は片方すずしき風や吹くらむ
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
和歌-相手の心をとらえ、説得するための実用的手段であった。決して純粋に文学としてではなく、実用上の必要からそうなった
日本詩歌の特徴的ジャンルの叙景詩
跡もなき庭の浅萱にむすぼほれ
露のそこなる松虫のこゑ
日本の抒情詩にあっては、和歌にせよ俳句にせよ、外界の描写を内面の表現と一体化させようとしている場合が多いのです。全てがそうではないが、そういう傾向がある。
押韻は日本では成立しない。一定のリズムだけ、音数だけあった
日本の和歌や俳句における独特な詩法―目に見える外界の事物を、混沌たる内部世界の比喩、あるいは象徴として、いわば主客未分の状態において表現することです、もしこの方法をみごとに駆使するなら、和歌あるいは俳句のような、外見的にはひどく短い詩型でも、与える情緒は多義的で深い
春の夜のやみはあやなし梅の花
色こそ見えね香やはかくるる
日本では、恋歌がそのままの姿で風景詩でもあれば自然詩でもあったところが、たぶん世界のどこにも見られない独自の性格だったのです
日本では、風景や自然を歌う「叙景詩」は、じつは本来恋心を歌う「抒情詩」として機能すべきものである場合が多かった
月や出づる星の光の変わるかな
涼しき風の夕やみのそら
山もとの鳥のこえより明けそめて
花もむらむら色ぞ見えゆく
詩人の自我意識は限りなく無に近づき、ひたすら澄明な眼差しになろうとしている
集中的放心
抒情詩、叙事詩、劇詩。
このカテゴリーに分類しきれないジャンルの詩が日本には大量にあった。それは風景そのものの描写による叙景詩。自然詩
叙景詩、自���詩が、日本のあらゆる形式の詩の中で、古代から現代にいたるまで、ずっと中心部分をなしてきた
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自身も優れた詩人である著者の
漢詩、和歌、中世歌謡を論じた日本詩歌論。
海外講演のために、日本的な感覚(現代日本人には理解にかなり努力が必要)を、論理的な文章にまとめているのがさすが。
日本文化論としても興味深い記述が多数。
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重税への怒りを詠う
平安時代の学者で政治家、菅原道真といえば、学問の神様として名高い。毎年正月になると、道真をまつる福岡県の太宰府天満宮は初詣の受験生でにぎわう。学者として異例の出世を遂げたが中傷のため太宰府に左遷され、失意のうちに死んだことから、死後、祟りをなしたという伝説もある。
しかし菅原道真がそれだけのエピソードで有名なことは、はなはだ残念だと著者は嘆く。道真は偉大な詩人でもあったからだ。それは単に多くの詩を残したとか、宮廷内で称賛される詩を書いたとかいう意味ではない。
道真は漢詩人として、重税に苦しむ庶民に同情・共感する詩を多く書き、為政者の不正・腐敗を弾劾する詩を残した。近代以前の日本において、このような政治的・社会的主題の詩は、道真の詩を除いてはまったく書かれなかったという。
道真がこれらの詩を書くきっかけとなったのは、讃岐国(現香川県)知事として送った4年間の地方生活だ。生まれて初めて、庶民の生活の苦難に満ちた実態に触れ、その見聞を詩にとどめた。
重税を逃れようと他国に逃れたが、どうにもならず舞い戻ってきた男。冬になっても薄い衣服で輸送に従事する馬丁。いつ釣れるかわからない魚を釣って租税を払おうとする漁師。「寒早十首」と題する連作で、重税に苦しむ貧しい人々を描いた。
高い地位にいる役人は、原理的に言って、ほとんどまったく、税に苦しむ貧者への同情・共感を持ちえなかった。なぜなら、まさにその税を取り立てる側の人間だからだ。その意味で道真は「ほとんど類例を見出せない役人であり、そしてまた詩人」だったと著者は記す。
テレビや雑誌で戦前の政治家が作った漢詩を見せ、「教養があった」などと感心して見せる企画がよくある。しかしそれらの詩の中に、菅原道真のように、税への怒りを詠ったものが果たしてどれだけあるだろうか。
真の教養とは、単に芸術の表面をなぞることにあるのではなく、そこで何を表現するかにある。そんなことも考えさせられる一冊だ。
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社会の状況と関連させつつ議論しているので、分かりやすい講義録になっている。女性注目した3章と5章(女性歌人と中世歌謡)がとくに印象に残った。