投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ブルシットジョブというキラーワードで、資本主義、民主主義、宗教・道徳が産み出した仕事の意義や価値観の歪みに、真っ向から斬り込んだ良書。普段大手企業の中間管理職として、働くサラリーマンの自分としては、ドキッとする内容の本でした。
ブルシットジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化し難いほど、完璧に無意味で、不必要で有害でもある有償の雇用形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている仕事。
シットジョブは、肉体的にハード、劣悪な環境に対し、低報酬である仕事。しかし、人の役に立っている自尊心があることが、ブルシットジョブとの違い。
典型的な5つの型
1.取り巻きの仕事
組織や雇用者の貴族性を高めるための仕事
例、ドアマンや、ゴールドコーラー、受付など
2.脅し屋の仕事
本来必要のない欲求を人を脅すことで作り出すための仕事
例、シャンプーのCM映像制作会社やネットでもわかる簡単なPC操作を教えるパソコン教室など
3.尻拭いの仕事
存在してはならない組織の問題を解消するための仕事
例、社内文書校正する人や人員の手配がすぐにできないことを謝罪するためだけの人など
4.書類穴埋めの仕事
ある組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するための仕事
例、見栄えだけよく中身が読まれることのない報告書を書くような仕事など
5.タスクマスターの仕事
仕事を振るだけ仕事やブルシットジョブを創出するための仕事
例、管理職、戦略立案家
ブルシットジョブと人々の苦しみ
意味のない仕事はその仕事に従事する人を惨めにする。例えば家族のためとはいえ、1日に100の穴を掘り、その100の穴を埋めることで少しもおかしくならない人はいない。
ブルシットジョブが増える背景
・金融や情報産業などブルシットジョブに繋がりやすい産業の拡大している
・雇用や働くことは宗教的、道徳的に良いこととされている
・ブルシットジョブでもないよりはマシだ
・何もやっていないことを大っぴらにすることはよくないことと思われている
社会的意義と報酬の逆転
ケアワーカーや教師など社会的意義の大きい仕事の報酬は少なく、ブルシットジョブのような社会的意義が少なく、それによる精神的苦痛を受ける仕事の報酬は逆に高い。
ブルシットジョブの問題を解決する方法
→ベーシックインカム導入によって生活と労働を切り離すこと。
本当に普段意味のある仕事をしているのか、意味あるフリをしていないか、ブルシットジョブというキラーワード視点で自分の仕事を見直したいと思いました。賛否はあると思いますが、自分の仕事観を形成する一つの視点の獲得として、非常に有効な書でした。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
事例が続くが、長いので途中で飛ばし飛ばし読んであまり読み込めなかった。経済学系の翻訳読み物が好きな人にはいいかもしれない。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
難読であり、読みがいのある本だった。
数年、ペラペラなビジネス自己啓発本しか読んでいなかったから、骨太の印象だった。
7章構成
1章 ブルシットジョブの定義
2章 ブルシットジョブの種類
3~6章 ブルシットジョブがもたらす影響
7章 ブルシットジョブを解消するための一案
本書の大半のページ(3~6章)が、ブルシットジョブが産み出す仕組みと労働の定義、道徳的時間などの解釈に当てられている。完璧主義を貫くことで、タスク細分化し、タスクマスターや取巻きが生まれ、労働者はブルシット化する。自己が富とは何か?勤務時間とは何かを考える事が大切である。
7章に普遍的ベーシックインカムを紹介しているが、著者はブルシットジョブを解消する方法と誤解するな。と記している。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
前半の、様ざまな労働者の証言がならべられるところはちょっと冗長に思うが、五章あたりからそれらの証言をより包括的で抽象的な議論に持ちこみ、現在の労働がかつての封建制と贖罪の側面を引きずり苦痛であることに価値を固定していること、有益なケア労働は有益であるという恩恵を受けていることによって低賃金に縛られていること、あるいは経済は本来人間どうしの生存のための仕組みなのにいまはまったく転倒していてもはやそれが古い概念ですらあること、など様ざまの魅力的な主張が繰り広げられる。最後には政策の提言が目的ではないことを入念に断わりながらベーシックインカムの可能性が語られる。過度に発達した科学技術と行き詰まった資本主義の問題がいっそう意識されるパンデミックのこの時代において、あるいはこのひとはなら、と思ったが昨年に亡くなっているとのことでなんとも悔やまれる。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
-エッセンシャルワーカーが低賃金な謎を解き明かすラディカルな本
医療、福祉、家事、教育、育児 etc。
コロナ禍でエッセンシャルワーカーと持ち上げられ感謝されるが、そこに実質的な市場の原理は働かず、なぜか低賃金、時に無償労働になるケア・ジョブ。
エッセンシャルゆえに彼・彼女らが消えれば明日にも大混乱になる。一方でロビイスト、XXアナリスト、XXストラテジスト、トレーダーが明日消えても、世界に実質的に与える混乱はないが、高額な報酬を得る。
この神の見えざる手が及ばぬバミューダ海域は長年の疑問だったけど、本書はピューリタリズムで広まった無償の神性労働と有償の苦痛な労働の固定観念まで遡って解体していく。その過程がロックで心地よい。
ラッダイト運動の説明は目からウロコ。単に機械への恐怖心による反抗だと思っいたが、実際には工業の黎明期に雇われた女性、子供の収入が、家長である男性(職人)の所得を上回ったために発生したジェンダー闘争?の側面があった(結果、男性を工場で雇用することが義務化された)
一般的に言われることは、機械が人間の雇用を奪うというのは迷信で、実際にはサービス業への労働人口の大移動をもたらし、先進国の統計上はほぼ完全雇用が達成されたとされる。
しかしそれはまやかしであり、政治的に生み出された巨大な官僚資本主義により、人為的に生み出された迷宮のような「仕事ごっこ」=「ブルシットジョブ」がその穴埋めをしていただけだった。
これは今の日本人に1番刺さる内容ではないか?
省エネ家電、GOTOなんちゃら、オリンピック等々で生み出された事務局の数々とその官僚的複雑さが人為的に生み出す無意味な穴埋め仕事の山。
資本主義は長らく「生産」要素をファクトリーの尺度でしか測らず、サービス=ケアワークの観点を無視してきた。
生活をするために仕事をする=生活するために「無意味であっても」仕事的ななにかを作り出さねばならない。
この矛盾を断ち切る手段が「生活と労働の完全な分離」=ベーシックインカム というのは、若干飛躍が過ぎる気がして、まだ府落ちてないけど、同時に反論する根拠もない。
なにしろ労働は突き詰めると神学問答、というのはゾクっとした。その固定観念を揺るがした力強い知見。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、貫壁に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならいように感じている、というのが定義だそうです。
こんな仕事でなくてよかった、と思ったのと同時に、そう感じている人が4割もいる、というのが衝撃ですね。
無意味な仕事と割に合わない仕事とは区別して欲しいという著者の言で、具体的には、5つに大別できるとのこと。英語での表現が日本語のニュアンスにするのが難しく感じたが、例えば、尻拭いとして、意味ない書類を延々とチェックするというのがそう。現在の仕事自体はブルシットではないが、ブルシット的な作業はどこにでも誰にでも経験はあるはず。
ブルシットを生み出しているのは、複雑な組織で運営される経営管理主義やイデオロギーで、マネジメントを皿輪回しのように維持するだけが仕事のホワイトカラーだというのは爽快です。
とにかく意味を感じられないのに、そのフリをしなければならないのは、精神的にもおかしくなる。これは、先進国でよくみられる事象であり、鬱などが増えている原因とも思われるので、少なくともブルシットな仕事にはつかねーぞ、と強く思った。日本でもよく言われている大企業病や官僚主義等の一部もこのブルシット現象だろうと思う。
ブルシットな状況な人が、この本を読んで解決することはないけれど、一つの示唆として、数量化できないもの、本書ではケアリングと呼んでいたが、その部分を、無理に数量化し、自動化を導入することで、自動化しなかった部分の効率が下がることだというのがありました。自動化して得られるものと、自動化するために人がカバーしなければならない範囲を見極めようと強く思いました。
それにしても、この本、もう少し短くできたんじゃないか、って感じます。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
働くということの意味を良く考えて見るべきかもしれない現代人に必要な一冊かもしれません。「何でこんな意味の無い仕事ばっかり増えんだよ!」とか、「こんな仕事ばかり増えるのは本末転倒だよ」って思っているオフィスワーカーは多いんじゃ無いか思う。少なくとも自分はそうです。上品にいえば雑用、正直言えば実にクソくらえなお仕事、手段が目的と化したような仕事の増大。こんな仕事ばかりやってても何の意味も無いし、こんな仕事ばかりなら正直社会に不要じゃないか?とか。こんな仕事、辞められるなら辞めたいけど、現状でそこそこ給料もらって生活はできて安定しているし・・・と思いながら、でも何かおかしいとおもいつつもやもやとしていたり。コロナ禍でエッセンシャル・ワーカーなんて言葉も溢れ増した。そう言う仕事に限ってなぜか低賃金。そして、自分は仕事休んでも何にも社会に影響ないってことで、自分は不要不急な仕事をしていたことが明白になったり。
この世の中にそんなブルシットジョブ(シットジョブではない)が溢れているという現状を明らかにし、また、それを定義し、なぜそのようなことが起きているのかを多くの人から寄せられた証言と歴史的な背景から明らかにしていこうというのが本書です。著者によると、現代は(金融)経営封建制とのこと。そう捉えるとこの20〜30年の種々の組織の変化もいろいろとスッキリ納得できます。
著者は文化人類学者なので基本的に現在の社会の様相をあぶり出すことを行っています。また、反政府・アナーキストということなので、そのような立場での世の中の見方を反映していることを念頭に読む必要はあると思う。でも、多くの人モヤモヤと抱えている悩みを言語化し、あぶり出している一冊と言えるでしょう。著者は「ではどうしたら良いのか」という政策提言は通常は提言しないことにしているそうですが、本書では最後にひとつのアイディアを示しています。
想像してたのと違ってかなり学術専門書に近い・またかなりの分量。そして、元々の英文を反映しているとは思うが、日本語翻訳がかなり読みにくい。翻訳作業が大変だったとは思うけど、この日本語訳をもとにもう一度読みやすい日本語にして欲しくなる。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ムダで無意味だと思いながらも,働いているふりを強いるブルシット・ジョブ。クソッタレな仕事がどれだけ世の中にあふれているのか,なぜ増え続けているのか。文化人類学者のグレーバーによる本書はポスト・コロナの世界で,仕事や経済のあり方,生き方を考えるためにも,ぜひ読んでおきたい1冊です。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
もうタイトルを見たときにこれは読まねばならないと覚悟を決めつつも超分厚い上に電子書籍なしのストロングスタイルだった。しかし気づくと電子書籍が発売されており即購入してチビチビ読んで遂に読了。日々著者が言うところのブルシットジョブに直面しながら、ブルシットジョブに関する話を延々と読まねばならないのは苦痛を伴いつつ読んで良かった。
そもそも本になる前に小論を発表していて、それが反響を読んだことから本になったらしい。この本のすごいところは皆が心のどこかで思っていたけど、相対的な視点で考えられたことがなかった点を練り練りに練りまくった論考が提示されていて興味深かった。ブルシットジョブの定義から始まり、ブルシットジョブの種類、ブルシットジョブがなぜ増えているのか?、ブルシットジョブと政治の関係など。そもそもブルシットジョブとは何か?本文の定義を引用する。
ブルシットジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。
単純に嫌な仕事やしんどい仕事ということではなく、仕事のための仕事や完全に無意味な仕事をさせられることを意味している。自分の仕事も広い視点で見れば社会に貢献しているが、目の前の仕事は完全にブルシット!と言いたくなることが多い。官僚システムに巻き取られれば巻き取られるほどブルシットに遭遇する確率が上がっていくのは自分の仕事人生に照らしてみて実感を持って理解できた。市場原理と仕事のあり方の話が一番興味深かった。「そんなブルシットジョブを市場が許すはずがない」という反論が著者の元に来るらしいが、それに対してオバマケアなどを引き合いに出しつつむしろ市場維持のために存在しているのであるとカウンターを決めるのは鮮やか。またもし市場原理がはたらいているのであればエッセンシャルワーカー(本著でいうところのケアラー)の給料が高くならないとおかしいという議論も確かにと思えた。そういったケアラーは仕事自体の満足度、充実度は高くて社会に貢献している実感が強い。そういった充実感と給料は両立しないのだから給料安くて当たり前。こんな議論は刺激的すぎるけど、事実として眼前に存在するからぐうの音も出ない。さらにそれをサドマゾヒズムと結びつけてみたり。議論の展開がアクロバティックで最後辿り着くのはベーシックインカムというのも興味深かった。読んでいる間にメンタル削られるけど、読む前と読む後で自分の仕事との付き合い方を見つめ直せる良書。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
訳が悪すぎて途中から読み飛ばし。
「-」で囲ってる状況説明とかの箇所、いやそれに関しては原文通りの箇所に挿入するの明らかに読みづらくて変やろ、って自分も翻訳をする機会が多いからか一々突っ込んでしまった
内容に関して、確かに面白い点もある。
私は広報の仕事(業務内容が社内報作成と、無意味で何の売上も伸ばさないような認知度向上の為だけのCM作成に限られてる広報担当者の業務)は、大体ブルシットやと思ってる。
一方で、本書の内容に関しては
①日本とは実態が離れすぎている、②説得力を高めるはずの材料により逆に説得力が無くなっている
という2点に気になった。
①毎日遅刻して酒飲んで気付かへんorお咎め無しって、普通の日本企業にはあり得ない。
自分の仕事をブルシットやと考える約3割の人がこんなことしてるとは思えない。よってこれは例外の抽出に感じる。
②レジ打ちは機械化できる仕事、ブルシット。一方でトイレ清掃は意味のある仕事。ってあるけど、トイレ清掃もどう考えても機械化可能よね、って思ってしまう
最後に、筆者が両論併記を多用してることも気になった。主張ははっきりしてるけど、例を挙げる時とかに両論併記を多用しすぎてなんかウーン、、ってなった
素人目線です。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
クソどうでもいい、自分の仕事なんて大した社会的な価値もない、と感じることは多くの人にとってあるあるだと思う。本書は、このクソどうでもいい仕事について、定義、種類、生まれた背景について述べていく事で、我々の労働観を揺さぶる。
本書で最も印象的な点は、「なぜ、ブルシットジョブが存在していることは世界中で認識されているのに、それが問題に上がらないのか?」という著者の問題提起だ。世界中からブルシットジョブ(クソどうでもいいと労働者が感じるが、そうではないように取り繕う仕事)のエピソードを紹介し、読者に対して共感を与えた後に、「では、なぜこのブルシットジョブを認識しているのに、問題にならないのか?」と問い掛ける。
ここから、労働観を巡る宗教的な背景に触れていき、我々が「仕事ってある程度しんどくても仕方ないよね。」と何となく合意するまでの経緯を紐解いていく。この問題への答えとして、仕事は高貴なもの、働くこと自体に意義があるものであり、苦行に近いと著書は主張する。ゆえに、教師や看護師など、社会的価値の高い仕事はそれ自体に意味があるので、高給を求めることは無かった。
自分の仕事への考え方を再考できた。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
先進国の40%程の人が自分の仕事の存在を社会的に無意味でしかも有害であるとさえ認識している、という衝撃的な事実。一方で真に必要とされるような仕事(エッセンシャルワーカー)は薄給のまま。その背後には、古代・中世から続く「生産」概念によって、現代の労働の中心である「ケアリング」な仕事が無視されている事実があって…と真実を暴いてく過程が痛快。
人は生産したものを通してではなく、消費したものを通して自らを表現する。この事実は資本社会の消費主義と大きく結びついている。あたりまえの常識の穴を大きく突かれた感じ。
これからのキャリアというか、生き方について本質的に何を大切にするべきかの指針を示してくれた、新社会人1年目に読んでよかった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ページ数1/3くらいならもっと楽しめました。
とても冗長です。
途中までだからどうすればいいの?
が続きましたが結論はベーシックインカムです。
人間らしく生きるには衣食住が必要であり、それらを得る為にはお金が必要である。
現代社会においてはお金を得るには仕事が必要だが、富裕国の多くの人間は仕事にやりがいを感じていない、もしくはやりがいを感じていても報酬が少ない。
もっとも良いのは報酬が高くてやりがいが感じられる仕事である。
ただその仕事は現代的な貴族階級によって独占されており、一般人はその仕事を得ることはできない。
報酬が少なくてもやりがいのある仕事をするなら、生活基盤が築ける財産があれば好きなことができる。
その基盤を築くには万人に対して公平なベーシックインカムを導入すれば良い。
ブルシット・ジョブの5つの分類
1.取り巻き フランキー
組織の中で権力のある立場にいる者が、部下を名誉の印とみなしていることに起因する
2.脅し屋 グーン
他人よりも一枚上をいこうとする動機を原動力としている
3.尻拭い ダクト・テーパー
問題を解決するより結果に対応しておく方が簡単とみなす場合が組織にあるがゆえつくられる
4.書類穴埋め人 ボックス・ティッカー
大きな組織の中では、ある活動がなされたことを証明するペーパーワークの方が実際の活動それ自体より、しばしば重要とみなされる背景がある
5.タスクマスター
様々の形態の非人格的権威のもたらす副次的効果
他者のなすべきブルシットをでっちあげる人々
何故ブルシット・ジョブが存在するのか
→そもそも社会通念として ジョブ = なくてはならない行為としての善 というコンセンサスがある。その為ブルシットでもジョブはジョブである
何故、個人的な次元においてブルシット・ジョブをやることに同意し耐えているのか
→仕事をすることで得られる重要なものとして、生活のためのお金と世界に積極的な貢献をする機会を得る。
ブルシット・ジョブでは後者が満たされない。
何故、社会的・文化的次元においてブルシット・ジョブが増えているのか
→社会的便益とそれへの報酬が反比例している。
ブルーカラーのリアル・ジョブによる企業の収益は、ブルーカラーにではなく新たなホワイトカラーを創出している。
何故、文化的・政治的次元において経済のブルシット化が社会問題とみなされないのか
→リベラル・エリート=新たな貴族階級、特権階級の誕生=世襲の権利を独占し、それによって豊かな暮らしと高い目的に寄与しているという充実感の両方が得られる職を得ている。
労働者階級の人間は金は稼げても文化的エリート集団の一員にはなれない=ライフサイクル奉公のエイブラハム・リンカーン版に回帰している。
社会的不平等の解消の為に
→万人に平等に充足される原則を確立し生活を労働から切り離す
→ベーシックインカムの導入
ベーシックインカムを導入すると人間���働かなくなるのでは?
→すでに自分の仕事が、もしくはサポートがブルシットだと感じている層が富裕国の37-40%から構成されている
→そんな嫌気が差している人間が生活基盤となるお金を手にして、社会に貢献できる仕事を何某かするだろう、労働の配分が非効率になることはないだろう
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
BULLSHIT JOBS
https://www.iwanami.co.jp/book/b515760.html
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
目的 ブルシットジョブの全容を知る
感想 ブルシットジョブの実例が書かれていて、あぁあの仕事のことかと合点がいった。ただ途中から労働とはという概念的な話が多くなりかなり難しく感じた。
自分の行動 自分の仕事の意義を常に考える