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朝日新聞の模擬入試の欄で紹介されていた。
フランスでの講演及び日本の明治の日本語について。さらに漱石までは納得できるものであったが。最後で福田の引用をしてから文調がおかしくなってきた。最後は日本精神ということになってきてあまり論理での説明が省略されてきてしまった。4章の日本語という国語の誕生、までは読んでなるほどと納得させられることがあるが、それ以後はだいぶ怪しい。漱石の三四郎や文学論の引用はなるほどよく勉強していることはうかがえるが、英語教育についての論は少し勉強不足なのかもしれない。
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シャドーイングの題材で紹介されたことから興味を持った。
英語化が進む中で日本語がどうなっていくのか、ということが書かれているが、冒頭の随想部分で挫折してしまった。
またどこかで読みたい。
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総合政策学科 伊藤由希子先生 推薦!
たとえ論文発表は英語であるとしても、日本語は私たちの思考を表現する大事な資産。
言葉で論じる職業にある以上、日本語を大事に使おうと考えさせられます。
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言葉とは思考であり、文化であり、歴史であり、国の存在そのものである。個人的には英語は話せるようになりたいが、国語教育が蔑ろにされるのはやめてほしい。以前、山田詠美だったと思うが、教科書に自身の著作が載ることになったときに、教科書でしか読めない文豪の作品を載せるべきではないかと言っていたように記憶している。まさにその理由がここに書いてある。
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久しぶりに痺れる本に出会った。
著者の水村美苗は学者であり作家である。名門イェール大学・大学院でフランス文学を専攻し、アメリカの大学で日本近代文学を教えながら日本語で小説を書いた。本書の発刊は2008年。5年をかけて書き上げたことからも著者の情熱が伝わってくる。
書き出しは著者の体験が小説のように綴られる。もうすでにこの文体が心地よい。しかし、そこからは緻密な調査と考察が積み重ねられ、一つの結論に向かっていく。それは「日本語は亡びうる」という結論である。
島国日本では連綿と日本語が使われてきた。それは時代に応じて変化はすれど、なくなるとは想像していない。しかし、日本語はなくなる可能性がある。
インターネットが出現して、英語一強の傾向が加速した。中国でも韓国でもアメリカの大学に行かせるのが流行っている。「もっと英語を」の声は日本でも高まり、小学校でも英語が必修になった。この流れに抗わなければ、日本語はなくなってしまう。
では、そのためにはどうすれば良いか。具体的には日本近代文学を読めと著者は言う。明治維新の後、欧米の書物を翻訳する中で、日本の書き言葉は昇華した。言葉と向き合い、日本と向き合い、日本人と向き合ったからこそ、明治・大正・昭和初期までの文学こそ読む価値がある。そこから日本語を守ることを考えよと著者は言うのだ。
結論までの道程では河合隼雄や坂口安吾を切りながら力強い論拠を積み上げていく。それは学者・水村美苗の明晰な頭脳を示している。
小説家であり学者でもある著者の力を存分に発揮した本書。著者の筆力に痺れる一書であった。