前期高齢者として
2022/05/19 16:31
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
前期高齢者の繰り言かもしれないが、自分だけの場所・方丈を求めて、酒場をはしごして、本や趣味を語る。ひとり時間をいかに豊かに過ごすかが、高齢者の持つ悩み事かもしれない。自分自身が高望みどころか望みといえるものはないことに気づく。夜、お酒を飲むことができれば十分と思える日もある。著者の生き方をまねるつもりはないが、遠くの山を見るように眺めることはできた。
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なるほど、方丈記。これからの70歳は、こんなに悠長な生活できるかな?まだ、ガンガン働いているのかも?と思いつつ読了。
早く居酒屋ひとり飲みの生活が戻るといいな。
居酒屋遺産も再度メモ_φ(・_・
それに、おばさんは、70歳になる前から湯豆腐だけど。
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まえがきに、表題に込めた意図をしたためている。
齢70を過ぎた。仕事、家族、自分の目標等、おおよそ形になった。これから我が人生に残された日々に求めるのは『心の安泰』。その安泰を保つには何かしらの『指標』が必要。その視線に先にあったのは『豆腐』。豆腐はそれ自体でも美味い。鍋には欠かせず、最初は清らかな姿、最後はいろんな出汁を吸って、色を纏い一番美味しい姿に変わる。
それって人間の営みそのものではないか-。『肉はいらないから、残ったその豆腐をくれ!』という人もいる。脇役な豆腐であるが唯一主役を張るのが『湯豆腐』。昆布を敷いた鍋に豆腐を沈め、ことこと煮るだけ。単純ではあるが味は奥深く、食べ飽きない。70歳、これからは湯豆腐だ。
一茶は蛙に、ノムさんは月見草に、市井の人は根性大根に自身の生きる様をなぞらえたり、奮起を促す対象物としてながめる。それは古人がイワシの頭を信心することと同根かも。
さて、本書。
著者も齢74。表題が物語るように著者もいよいよ
『老境』に至り、この手の随筆なら定番の『これまでの来し方』、日々の暮らしでの愉しみ、社会に向けては忌憚の無い意見を開陳、シニア男性には『自立』『ひとり遊び』の稿で『独酌作法』を伝授し、自分を肯定する場所として居酒屋での一人飲みは最適であり、男たるものバーの止まり木でカクテルを飲まないでどうすると扇る…、いつもの居酒屋評論ではない多面的エッセイとなっている。
この中で、興味深く読んだのはシニア男性に向けて『妻離れ』の提言。白洲次郎の夫婦円満の秘訣『できるだけ一緒にいないこと』に倣い、著者は安アパートで良いから自宅近所に自分のアジトを作れ、妻と旅に出ても日中は別行動、夜は居酒屋で一日の行動を報告し合うぐらいが良い。リタイアしたのだから、妻に世話を焼かしてならない。現に著者は自宅から徒歩15分程の場所に職場を持ち、朝9時半〜夜9時まで過ごす。昼夜の食事は自炊。自宅で夫婦で食事するのは年に10回程度。そう、ほとんど別居状態。それが太田家の円満の秘訣と語る。
とは言え、著者の場合、居酒屋評論家の第一人者として執筆依頼も多く、年金とは別の収入がある。
老齢になっても、お座敷(仕事)に声がかかるということは社会との接点があり、適度な緊張感が老化の抑止となる。
結論として、齢70を超えて健やかに生きていくには…
①自身の趣味と飲み代を支える程度の一定の稼ぎ
②身の回りのことは自分でこなす
③ひとり時間を楽しめる趣味と空間
なんだかんだと言っても、結局先立つものの確保に行き着く。仕事を通じて社会との接点を持つことは健康維持にもつながり、趣味や交友範囲が広く行動力のある妻に向ける眼差しも穏やかになり、それは夫婦円満に結びつく。
ここまで書いて頭をよぎるのは『衣食足りて礼節を知る』の諺。繰り返すが、心がけではどうにもならない。肝腎要は『生活の充実』。これが余生をゴキゲンに過ごすことになるってこと。
一気読みの感想が『人はパンのみにて生きるにあらず』の教えに背中を向けるような思いを抱いた一冊。
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70歳を過ぎた。晩年だ。残り少ない日々をどう生きてゆこうか?今、求めるのは心の安泰だ。それを何に託そう。その答えが「豆腐」だ。70歳これからは湯豆腐だ。
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力の抜け具合いが絶妙で、こういうオヤジになりたいという見本だ。音楽、映画、居酒屋、旅、どれも達人の域に達していて、毎日がすごく楽しそう。
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自分も気がつけば、あと少しで70歳になる。手本にしたい生活が、軽いタッチで書かれている。中々真似はできないが、考え方だけも見習っていこうと思う。
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70代のリアルな日常と達観した心境: 本書は、74歳を迎えた著者(デザイナー、作家、大学教授など多彩な経歴を持つ)が、自らの老い(体力や財力の限界)と向き合い、高望みを捨てて「無理をしない」隠居生活を受け入れる心境の変化を、鴨長明の古典『方丈記』に自身の現代的な生活を重ね合わせながら、ユーモアとペーソス(哀愁)を交えて綴ったエッセイ集である。日々の目標を持たない生活に「肩の荷が下りた」ような安楽を感じる一方で、運転免許証を返納するといった具体的な老いの現実も淡々と受け止めている。しかし、完全に社会との関わりを断つわけではなく、生涯学習への意欲や日課を持つことへの関心も示している。
家庭内における「恐妻家」の生態: 家庭生活においては、自他共に認める「恐妻家」としての立ち位置を確立している。妻の発言には基本的に反論せず、常に機嫌を損ねないよう気を使い、些細なことでも褒めたり感謝したりする努力を怠らない。妻の指摘は的を射ていることが多いため、素直に従うことが家庭の平和を保つ最善の策であると悟っている。その姿には、世の多くの「亭主族」への共感と、ある種の諦観、そして夫婦円満のための処世術が垣間見える。晩年の白洲次郎・正子夫妻を例に「できるだけ一緒にいないこと」が円満の秘訣だと喝破するなど、夫婦間の適度な距離感の重要性も示唆している。
老後の再出発と自己との対話: 老後は、現役時代の社会的役割から解放され、「本当にやりたかった自分」として人生を再出発させる絶好の機会であると捉えている。そのためには、一度これまでの価値観や経験をリセットし、「自分をゼロにして考える」ことが重要だと説く。多忙だった現役時代へのノスタルジーを感じつつも、これからは周囲に気を遣うことなく、自分のペースで好きなように生きたいという率直な願望も覗かせる。同時に、自身の経験を若い世代に押し付けたり、頼まれもしないのに先輩風を吹かせて口出ししたりするような「老害」にはなるまいと強く自戒している。
「個人」としての生き方への関心と葛藤: 会社勤めを終え、定年という区切りを経て、組織に属さない「個人」としての生き方(農業、個人商店、職人など、定年のない仕事)に改めて深い関心と魅力を感じている。会社員時代の人間関係の煩わしさからの解放感や、個人業の自由さを肯定的に捉える一方、その裏にある細々とした事務作業の大変さにも想像を巡らせる。長年かけて書斎に溜め込んだ大量の本や、様々な収集物といった「捨てられない物」への執着を通して、過去の自分への愛着や未練、そしてそれらを手放すことへの心理的な葛藤も正直に描かれている。
豊かで深遠なる趣味の世界: 著者の隠居生活を何よりも豊かに彩っているのは、多岐にわたる深い趣味の世界である。とりわけ「酒」と「居酒屋」への偏愛は尋常ではなく、「酒の雑誌」創刊や「日本酒応援振興会」設立といった構想を語るほど。日本全国の居酒屋を精力的に巡り、その土地ならではの酒や肴、店の醸し出す雰囲気、そして店主や常連客との一期一会を心から楽しみ、一人静かに酒の味を深く探求する時間を慈しんでいる。燗酒の温度やつけ方、徳利や盃の選び方、素材や歴史にも一家言あり、女性と酒を酌み交わす際の細やかな心遣いについても詳述される。居酒屋の定番メニューである「湯豆腐」にも並々ならぬこだわりを持ち、「日本三大居酒屋湯豆腐」を独自に選定するなど、食に対する旺盛な探求心も健在である。
文化・自然への尽きない関心: 読書もまた、著者の人生に欠かせない要素であり、書斎に山積みとなった「積読」への反省を述べつつ、若い頃に感銘を受けた文学作品(ポール・モランやド・レニエなど)への変わらぬ思い入れを語る。ラジオで偶然聴いたクラシック音楽や、懐かしい昭和の流行歌、アナログレコードの持つ魅力にも深く言及。舞台鑑賞への情熱も衰えず、特定の劇団や俳優への熱い思いも吐露される。写真撮影とその整理も趣味の一つであり、記録としての写真の価値や、色褪せた家族写真に時の流れと感慨を見出す。一方で、かつて手を出したものの長続きしなかったギャンブルやゴルフ、釣りといった趣味についても率直に語っている。近年は、それらに代わってロッククライミングやキャンプといった自然の中で体を動かすアクティビティに新たな楽しみを見出しており、特に大学のゼミ生たちとのキャンプは長年にわたる大切な恒例行事となっている。
人生観、人間関係、そして未来への眼差し: 人生における運不運(ツキ)について考察し、また「親の七光り」といったコネに対する自身の努力を振り返りつつ、複雑な感情を吐露する。年齢を重ね、過ちを素直に認めることの大切さや、若い頃とは異なる考え方の変化についても述懐する。定年退職後の人間関係の変化や、ふと感じる孤独にも触れながら、「最後の目標」として「自分という人間の完成」を静かに見据える。決して愚痴っぽい老人にはならず、むしろ他人の相談に乗り、周囲から頼られる存在でありたいという意欲を示す。そして、これからは自分のためだけでなく、「誰かのために」地域ボランティアなどのささやかな貢献を通じて、自身の存在意義を見出していきたいと考えている。
達観と前向きさが織りなす境地: 長年続けてきた週刊誌の連載コラムの終了や、世界を一変させたコロナ禍といった大きな変化をも静かに受け止め、「命は天運にまかせて、惜まず、いとわず」という鴨長明の言葉に象徴されるような、ある種の達観の境地に至っている。しかしそれは決して諦念ではなく、日々の生活の中にささやかな楽しみや学びを見出し、穏やかな心と感謝の気持ちを忘れずに、これからも前向きに生きていこうとする、しなやかで味わい深い人生哲学が本書全体を貫いている。