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あれー。主張があれすぎてあんまり楽しく読めなかった。
うーん。まあ、あれだ。自分は普通のつまんない大人になって、それはそれで悪くないな、と思ってるんだけど、その結果、以前は面白がれていたけど、今はそうじゃなくなったものもある、てことかな
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筆者はエッセイストとして面白いことを書くという動機と「仇敵は似る」ということを述べるために、レトリックを使ってトランプを支持している。
ただそれを理解するリテラシーは一般には持ち合わせていないだろう。
「冗談」は通じないし「冗談」に付き合っている暇はないのだという人が多いのではないか。(現在の状況はファシズムや戦争に近づいている証拠なのかもしれない)
実際、自分も筆者の思想に対してどういう態度を取れば良いのかリテラシーが無いのでわからなくなっている。(過去の著作は好きなので)
川島小鳥さんの表紙写真はめっちゃ、良い
あと星野源を聴きたくなる
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この人ってやっぱ享楽主義者って感じがするなぁ。トランプ支持についても色々小難しくレトリックにレトリックを重ねて書いてるし、その件でSNS上に於いて紛うことなき現代的な炎上をしていたけど、結局「なんか面白そう」みたいな理由で支持してるに過ぎないんじゃないかと思うんだよね。2度目の東京オリンピックに批判的なのも「失敗したら面白いなぁ」みたいな、当事者意識のない好奇心からその立場を標榜しているんじゃねえかな。
とはいえ、文章自体はめちゃくちゃ面白い。好きだ。爆笑した記事もある。川島小鳥さんの表紙もめちゃくちゃ好きだ。部屋に飾っておきたい本。アイーン。
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音楽家にして文筆家で、誕生日がトランプ元大統領やチェ・ゲバラ、山縣有朋、川端康成、大塚寧々と同じな菊地成孔さんの2017年4月〜2020年7月のウェブマガジン連載を単行本化したエッセイ集。
このご時世にタイトルだけ聞くと、社会派エッセイ期待するのだけど、内容はぶっ壊れたおじさんの雑文集(笑)
いいですよ。情報量多くて、でも頭使わなくてよくて、なんていうかフィジカルで。
菊地成孔さんは、僕が鼻垂れ坊主の時に、キラキラ輝いた大人だった人たち。少し上を見上げると眩しかったバブルのお兄さん。
怖いもの知らずで、かっこよかった。
そんな憧れを思い出した。
…とまあ、時に笑いを抑えられないところもありつつ、楽しく読んでたのですが、終盤になるにつれて、この本とんでもない本だと気付きました。
「コスパは突き詰めれば自殺」、「トランプは非戦派大統領」など、なかなか人が認めたがらない真実をズバリと言ったり、2019年の年末に「来年は嫌煙権から派生的に嫌咳権が生じ、あっという間に強い具体性を帯びる」とまるでコロナ流行を予言してみたり…
だんだん恐ろしくなってたら、あとがきで最強と評価していた星野源がガッキーと結婚したり…
背筋がぞぉーっとしました。
そして、東京オリンピックは負ける賭けだという。
ロクなことにならない、と。
でも、東京はまだオリンピックやるつもりなんだよな、たしか。
この本読んで、5月26日の朝日新聞社説は断固支持したい、と思った。
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タイトルにある「次の東京オリンピック」はTOKYO2020のことであり、本当はオリンピック前に読むべきで遅まきながら読んだ。粋な夜電波が無くなった今、菊地成孔的な成分を定期的に摂取したくなるのだが、その気持ちを満たすだけの冗長性、過剰さはいつもどおりそこにあって満足した。一方で「ポリコレ」的な方向で言えば、さすがにちょっとToo muchかも…という気持ちになった。
究極のニヒリストゆえに常に逆張りをかましていく姿勢、しかもそのかまし方がユニーク。本作では手を替え品を替え、ひたすらSNSひいてはスマホに対してブチ切れていてオモシロかった。デジタルミニマリズムとかスマホ脳とかデータ主義のアプローチとは全然異なる屁理屈をひたすら並べていてそれを読むのが楽しい。もはやSNSやスマホがない世界は1mmも想像できないわけで、そんな中で彼がいかに抗っていたのか、戦いの記録でもあると思う。なんでも事前に検索してしまう癖に関する指摘はその通りだなと思う。どこに行くにせよ、食べるにせよ、どんなものか事前に検索してしまう。裏切られることも少ないが、期待を超えることも少ない。予定調和を自ら生んでいることに気付かされた。
オリンピックがうまくいかないだろうという逆張りを2017年から始め、他にも予言めいたこと(オールドジャニーズの退所ラッシュ、嫌煙→嫌咳への流れなど)がいくつか当たっているところが怖い。ニヒリストの逆張りが現実に出現してるのだから。
特にSNSは使用者が幼児化/退行することやアディクションという意味で酔っているのと同じ状態だと主張していたのだけど、実際にTwitterに降臨してしまった今年の2月、著者は自らを持ってそれらを実証してしまっていた。木澤氏は冗談めかしてパフォーマンスなのでは?と言っていたが、その少ない可能性に同じくすがりたい1人の読者である。自分の声が公共の電波に乗らなくなり、SNSアンチを標榜していたがゆえに世間とコネクトする手段を失ってしまった。それがあのズレた一連の対応の大きな原因なのではと思う。(ラジオ番組が無くなったことは本当に誰も得していない…)公の番組とかに戻ってくるのは難しそうだし相性の良さそうなYoutubeも中指立てるだろうから、まだ読んでない書籍を細々と読んでいきたい。最後にオリンピックに捧ぐ鎮魂のライン。
私はオリンピックに有意義さがあるとすれば、期待するだけしてコケる、という経験が何かを奮い立たせる効果、にしかないと思っている。勝利を!その前に壮大な期待はずれと痛みを!(Vサイン)
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真・女神転生をやったことのある人はご存知かもしれないが
退行というものには二種類あって
すなわち、カオスへの退行と、秩序への退行である
東京オリンピック招致を決定したとき
石原慎太郎はこんなことを言った
「歌舞伎町を浄化する」
「あんな三国人だらけの街」
「世界じゅうのお客様に見せられますか」
そこから菊地成孔さんの退行が
限定的・抑制的にせよ、開始されたのかもしれない
歌舞伎町在住で、歌舞伎町をこよなく愛する彼が
いくら菊地秀行の弟だからって
「魔界都市じゃねんだぞ」
なんてことはさすがに言わないだろうけど
おそらくはその退行により
オリンピックがロクなことにならない未来を幻視した
それから10年ほどあって
アメリカでトランプが大統領に就任したころ
ここに収められたエッセイの連載が始められた
ちょっとプロレスに詳しい人なら
「ヒールは善人」という定理に思い至るだろうが
その意味で、信用できると言わないまでも
トランプがまっとうな人物であるという直感めいたものは
僕の中にもあった
そしてそれ故に躓くのであろうという直感も
しかしとりあえずそんなことには関係なく
菊地さんのエッセイは表面上、都会的な洒脱さを装いつつ
文体も内容も、カオスの度合を深めていた
だが新型コロナの蔓延にともない
東京オリンピックの延期が危ぶまれるに至って
二面性に綻びが生じる
過酷すぎる状況がかえってオリンピック成功のハードルを下げる一方
逆に最悪の事態が笑い事ですまなくなってしまった
笑い事ですまないということがカオスを抑圧し
SNS社会を退行的秩序に誘う
その頃の菊地さんの文体は、やたら感傷的だったり
妙に下品で攻撃的だったり
クールを保ちきれない印象が強かった
ところで
石原慎太郎を嫌悪し、トランプを擁護する菊地さんにとって
両者の違いはなんであろうか
ドメスティックな主張など、一見して非常に似ているし
勇ましいことを言いながら、結局戦争はできないというところで
やはり同じエンターテイナー出身を思わせるものの
その資質に、性格の二面性を感じさせるか否かが分かれ目ではなかろうか
僕が考えるに
バカバカしい存在としてふるまうことを
美徳と信じるかのごときトランプの有り様は
三島由紀夫が選びえたもうひとつの可能性だったかもしれない