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知的創造の条件、方法について述べられているけど、AI社会が加速していくなか、我々は世界をどのような視点で眺め、その中でどのように物事を考えるべきなのかを考えさせられた。
シンギュラリティは来ないはずなのだけど、実質的にAIが人を超える状態を作り出さないためにも我々は関係、対話、身体性を大切にして行かなければと思う。
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知力の大切さ、知力で働き、知力で生きていくことの大切さを痛感します。
それは今まで生きてきて、自分以外の一切すべてのどんなところとでも知力で生きて、コミュニケーションしていくことの大切さがわかるようになりました。
自分自身みたいな精神的にも身体的にも到らない、おかしい人達であればあるほどに、余計に少しでも知力を養って、知力で働き、生きていけるようにしていく以外にはなかったです。
知力を養っていく方法とやり方として、自分自身では、少しでも〈記錄〉として、どんなことでも接していくようにしています。
「記錄」として接していくようにしていけば、少しでも余計なことを抱え込まないですみますから。自分が加害者や被害者にもならないためにも。
ニュースを読んだり、見たり、聞いたり、本を読んだり、社会や他人と接するときでもです。
はじめにー知的創造の条件とは何か
第1章
はじまりの一歩
第2章
知的バトルのススメ
第3章
ポスト真実と記錄知/集合知
インターネットは人をかならずしも賢くはしない。
主体性や判断力を備えていかなくては、惑わされたり、思い込んだり、余計なことを抱え込んだりしてしまう。
第4章
Ai社会と知的創造の人間学
この国の人々は「失敗から学ぶ」ことがほとんどできないまま、新しいブームに飛び込み続けるのです。
おわりにー知的創造の歴史的主体とは誰か
知的創造の時間は、惹かれたり、出会いのあった方々たちとの、今までの共通の思考、同じ方向を向いていました。そして自分自身、すでに六〇歳を過ぎ、人生の未来よりも過去のほうがずっと大きな割合を閉めています。
しかし、こうした次元とは別、というかこうした人生の時間に対して垂直に屹立しています。
知的創造の時間は、条件が整えられるならば、様々な地域、世代の人々が、時代の危機に直面するなかで、挑戦として編み出していくものです。その条件とは、本書で論じてきたような意味での出会いや対話、信頼を醸成する条件です。ある時は、それは小中学校での授業のクオリティであったり、子どもたちが享受できる自由の時間であったりするでしょうし、あるときには図書館やミュージアムから都市の中の劇場、広場、開かれた様々な文化的有知(コモンズ)の存在かもしれません。またあるときは、インターネットのなかで多様性や対話、過去の遺産の敬称や活用を可能にする仕組みでしょう。これらすべては、二一世紀的危機の時代の中での知的創造の条件として機能します。つまりそれらは、知的創造の主体としての〈われわれ〉が生まれる続けるために基盤なのです。
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AIは連続的な出来事に関する予測は得意だが、非連続の事態には無力である。例えば、大災害・戦争・感染症など。
非連続に立ち向かう力こそが知的創造力で、それは人間にしかできない。この先AIがどんなに発展しても。。。
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逆に言えば知的創造力を必要としない職業は全部AIがとって変わるだろう。遠くない将来、世の中の大半が失業者になるだろう。(私は元々ニートなので高みの見物をさせていただこう/(^o^)\)