紙の本
内田百けん氏が哀惜をこめて思い出を綴った追悼文集です。
2021/04/01 11:05
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、大正から昭和にかけて活躍され、『冥途』、『旅順入城式』、『南山寿』、『贋作吾輩は猫である』、『実説艸平記』、『阿房列車』などの小説や、独自のユーモア溢れる随筆『百鬼園日記帖』、『御馳走帖』、『新方丈記』、『百鬼園随筆』、『ノラや』などを残された内田百けん氏による作品です。同書は、師の臨終に立ち会い号泣し、奇禍に倒れた友の事故の様子を丹念に取材し記し、幽霊でも良いから夢に出てこいと弟子へ呼びかけるという内容です。夏目漱石氏、芥川龍之介氏、鈴木三重吉氏ら一門の文学者から、親友宮城道雄氏、教え子、飼い猫クルツまでが登場してきます。その死を嘆き、哀惜をこめて思い出を綴る追悼文集です。
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副題のとおり、百閒の追悼に関する文章をまとめて一冊としたもの。
師、漱石についての文から始まる。岡山の中学校時代、満州に漱石が旅行するとの記事を見て、汽車に乗車している姿を一目見ようと駅に出かけた話から、初めて会いに病院に訪問したときのこと、また金を貸してもらうよう依頼に旅先の湯河原まで行った話が綴られつつ、臨終の時の様子が描かれる。全体を通して、漱石への畏敬の念が窺われる。
友人であった芥川との思い出、投稿していた博文館「文章世界」の選者であった花袋との快気祝いでの邂逅、その他漱石山房先輩格の三重吉や、海軍機関学校同僚だった豊島与志雄との思い出が語られる。
しかし、本書の圧巻はやはり、不慮の事故でなくなった宮城道雄に対する文章である。通夜にも葬いにも行くことの出来なかったその心情。やっと2年後に、現場の東海道刈谷駅の供養塔の前にいる百閒。そこに至るまでに行こうか行くまいかと度々逡巡する思いが切ない。
こうしてまとまって追悼の文章を読むと、敬愛や愛情を抱いた人たちへの百閒の真摯な思いが、ジワジワと胸に沁みてくる。
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Ⅰ章は百間(と仮におく)のオフィシャルな部分。それよりⅡ・Ⅲ章のプライベートな付き合いの方に惹かれた。
宮城道雄との親交は初めて知った。鉄道を愛した百間だが、刈谷を通過する時は哀惜の念に耐えなかったであろう。
又、同窓生や教え子への追悼は若くして黄泉路に旅立った人々に対する、残された者からの寂寥の感を感じた。
※蛇足だが、森まゆみ氏の解説はピントがずれている、或いはそもそもの人選ミスか。この文集はⅡ・Ⅲ章が要諦であるのに(少なくとも自分はそう思う)、森氏は解説のほとんどを氏の専門であるⅠ章に費やし、「こんな風に書いているときりがない」とⅡ・Ⅲ章をほぼ触れない。挙げ句、「日本の植民地主義による傀儡政権満洲国は朝日新聞を舞台に、国民作家漱石を起用して宣伝活動を行った」とある。漱石の没年は1916年、満洲国の建国は1932年。直すとすれば、満洲国ではなく南満洲鉄道であろう。
ジュンク堂書店天満橋店にて購入。
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夏目漱石、芥川龍之介ら文学者から、親友・宮城道雄、学生、飼猫クルツまで。哀惜をこめてその死を悼み、思い出を綴る。文庫オリジナル。〈解説〉森まゆみ
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小川洋子さんのラジオで紹介。百閒先生の誠実さと愛情深さが伺える。夏目漱石、芥川龍之介、田山花袋、寺田寅彦、飼猫のクルツまで。中でも親友宮城道雄の追悼は胸を打つ。訃報を受けたあとは欠伸の数を勘定した。死神の迎えを受けて目をさましたと始まる「東海道刈谷駅」は圧巻。芥川の自殺について「余り暑いので死んでしまったと考え、またそれでいいのだと思った」と語っているのが哀しい。
(検校(けんぎょう)は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称)
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冥途や東京日記などの不思議な小説で好きになり、鉄道と借金の愉快なエッセイで笑って、そして漱石先生臨終記でぼろぼろに泣いて、この人は天才だと思った。
そんな百閒先生の追悼文集、偏屈な著者写真からは想像できないくらい情に溢れた文章ばかりで、胸がいっぱいになった。
宮城さんの演奏や写真を見ることですら「だめになってしまふ」だったのに、どんな日々と感情を経て、あそこまで詳細な事故の様子を書いたんだろう。