紙の本
日本は平和国家?
2021/02/07 11:19
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
太平洋戦争後日本は平和国家になったのでしょうか。憲法第九条では、交戦権を放棄していますね。しかし、戦後も「戦死者」が合ったという事実は、隠されてきました。もちろん日本政府が積極的に朝鮮戦争に関わったのではありませんが、事実上朝鮮戦争で武器を取り戦闘に参加し戦死したり捕虜となった日本人がいるのです。これで、戦後は日本は戦争してませんと言えるのでしょうか。それを思い知らせてくれる一冊です。
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朝鮮戦争を戦った日本人
著者:藤原和樹
発行:2020年12月25日
NHK出版
1950年6月25日、北朝鮮は南北の境界だった38度線を突破、3日後にソウル陥落、さらに南進を続けた。実質は米軍の国連軍は9月15日に仁川上陸作戦で巻き返し、韓国軍とともに38度線を越えて北進、10月20日に今度は平壌を落とした。休戦協定が結ばれたのは、1953年7月27日。
3年に及ぶ朝鮮戦争が始まったころ、日本はまだ米軍の占領下であり、GHQにより基本的に国民は外国に行けなかった。もちろん、日本国憲法により戦争ができない国でもあった。しかしながら、この朝鮮戦争に確認できただけでも70人が参加したことが分かっている。その多くは、1950年6月25日から半年間に集中していたと推測される。彼らは、どういう理由で朝鮮戦争に参加し、どのように戦地に渡っていったのか。
パターンその①は、GHQ占領下での米軍基地で働いていた若者が、朝鮮戦争勃発とともに一緒に戦地に渡ったというもの。彼らは兵士ではなく、士官の身の回りの世話をするハウスボーイや、炊事係などの後方支援だったが、大田など現地の激しい戦闘の中でカービー銃を持たされ、襲いかかってきた北朝鮮軍や中国人民義勇軍に銃口を向けた。行くことを強制されたわけではなく、仕事ぶりがよくて信頼された者だけが声をかけられて、希望する者だけが行けた。元々彼らは基地に雇われているというより、士官に雇われていた要素が強いので、一緒に行かないと職を失うことになる立場でもあった。ただし、現地ですることはあくまで後方支援という話だったが、行ってみると違っていて、戦闘に参加させられ、間一髪で帰国できたということになる。最初からそう意図されていたのかどうかは、触れられていない(追及していない)。彼らは勇敢で米軍としても誇りに思っているらしい。
なお、このパターンは日本で職がない若者が多く、中には12歳の戦争孤児もいた。
パターン②として、国経由で地方自治体が船員を募集し、実はそれが朝鮮戦争への参加だったという話が紹介されている。米陸軍から船員の募集が日本政府にあり、地方に募集を委任。神奈川県の募集に応じたある一等航海士は、船員手帳の昭和25年8月3日に「神奈川県庁の雇用 勤務地:近海」としているが、実際は近海ではなく、北朝鮮への海域、雇用主は米軍だった。船は大型曳船で、釜山まで米軍の工作船を曳航する仕事だった。そこから日本に戻る予定が、どうしてもということで北朝鮮の元山までクレーン船を曳航することを頼まれた。防寒の用意がないので断ったが断り切れず、仕方なく向かったが、機雷に触れて曳船は沈没、22名の日本人船員が死亡し、遺体は引き上げられず遺骨も残らなかった。生き残ったのは5名のみ。件の一等航海士も死亡したが、船員手帳には「海難死亡」とされた。
死亡の連絡は神奈川県から来た。アメリカの軍事機密に属することなのであまりハッキリとはいえない、絶対に口外しないように、と言われて、実は朝鮮戦争で死んだことを遺族は聞かされた。不十分な説明と遺骨もない死亡通知。
平和憲法下で戦争協力ができるのか?あくまで日本政府は、占領軍への協力をしたにすぎない、で突っぱねた。
同じようなことは、ベトナム戦争でも行われたことがわかっている。民間人が運んだ物資の中には枯れ葉剤も含まれていたようだ。
また、2014年には自衛隊が民間フェリー会社と契約をし、有事の際の物資輸送を民間から借り上げたフェリーで運べることになった。運ぶのは自衛隊員だが、そこにはトリックがある。2016年から、民間船員を予備自衛官補に採用し、訓練を経て予備自衛官に任用する制度が導入されている。もちろん予備自衛官になるのは本人の意志によるが、職場で強く言われて果たして断れるのか?実質的な徴用ではないかという声も上がっている。
もう一つ、悲惨な朝鮮戦争死の実例が紹介されている。あるペンキ職人。下士官として太平洋戦争で従軍し、復員して腕がよく人柄がいいペンキ職人として人々から信頼されていた。絵が上手く、建築塗装だけでなく絵も描けた。一家の大黒柱だった彼に米軍から声がかかる。当時六本木にあった占領軍の基地で建物に絵を描いて欲しいという仕事の依頼だった。すぐに帰ってくると思ったが、そのまま住み込みで働くように。英語を独学で覚え、誠実な仕事ぶりと腕の良さで信頼され、マクレーンという大尉に見込まれて朝鮮半島へと誘われた。そこで戦死した。マクレーン大尉は日本に一時的に戻り、家族のもとに報告に来た。申し訳ないことをしたと謝罪し、彼は戦死する前に相当な敵を倒した上で胸を打ち抜かれたが、米軍兵士以上の働きぶりだった、と報告。国連軍兵士同様の扱いにすると約束した。
ところが、マクレーン大尉は、その後、朝鮮で捕虜になり行方不明に。すると、国連軍兵士同様の扱いどころか、密航で朝鮮に行ったことにされてしまい、補償なども一切受けられなかった。英雄が犯罪者にされてしまった。
同じ部隊にいた米軍兵によると、パトロールメンバーとなった彼は驚くべき能力で北朝鮮兵の位置を特定し、その位置を正確にスケッチして見せたとのこと。部隊に危険を知らせる貴重な情報になったらしい。
平和憲法下で戦争できない日本が実質的に朝鮮戦争に参戦していた事実。アメリカが日本兵を使用し、日本兵が軍事介入に参加していることは、戦後の日本の地位における国際協定および国連憲章に、アメリカが違反していることになること。こうした不都合は認めてはならないアメリカと日本。だから、朝鮮戦争に参加したことは、参加した本人も厳重に口止めされ、記録も一切が機密扱いになっていた。バレかけたアメリカは、慌てて半年ほどで日本兵を引き上げさせた。
この本は、2019年に放送されたBS1スペシャルの番組書籍化本。もちろん、大幅な追加取材を行っている。以前から、朝鮮戦争に日本人が参加していたことはその一部が知られていたが、実態は、長い間、アメリカで極秘扱いされ、また、日本の政府や自治体でも隠されてきた。取材時、機密扱いにされていた公文書が機密扱いでなくなり、それを説明することで当時従軍した米兵からも貴重な証言を得ることができた。すなわち、NHKの取材により日本人の朝鮮戦争参加について大きく解き明かされた貴重なノンフィクションとなった。ただし、全体的には少し冗長な気もする一冊だった。
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言うまでもなく、朝鮮戦争には日系アメリカ人も参加していた。当時の写真を見て、日系アメリカ人か日本人かが分かると当時の米兵は言う。それは軍服の着こなし。急場しのぎで軍服を与えられた日本人はサイズが合っていない。
朝鮮戦争で味方の韓国人を虐殺した事件がいくつも確認されている。例えば、韓国人の避難民が北朝鮮軍から逃れるように来る、北朝鮮軍が背後からそれを撃つ、国連軍も前からそれを撃つ。中に北朝鮮兵士が混ざっている可能性があったから。最も有名なのが1950年7月26日「老斤里事件」。民間人も敵とみなして発砲せよ、と少将による指令。
小倉は朝鮮戦争の最前線基地だった。
韓国軍第7歩兵師団の第32連隊が日本に移送され、日本で戦闘訓練を受けてから前線に戻っていた。1950年8月19日~23日の5日間でのべ9箇所から、使用客車73両で輸送されたことからみると、相当の韓国軍が日本に上陸し演習したことになる。
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貧しさから占領軍に仕事を求めた日本人が朝鮮戦争に向かった経緯や、今でも在日米軍の基地には再び朝鮮半島が交戦状態になったときは国連軍の使用施設になる後方司令部の機能が残っており、朝鮮戦争と日本の関わりを認識しておく必要を感じました。朝鮮戦争が終結しない要因のひとつには日本の後方支援の余地が含まれるのだと思いました。