紙の本
世界中が愛し合っているみたい、っていう冗談
2004/10/02 23:18
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投稿者:ツカサ - この投稿者のレビュー一覧を見る
96年に、やまだないとが様々な雑誌で発表した短編が収録されている。
その中でも、表題にもなっており最後のシメも担っている『エロマラ』が秀逸だ。
やまだないとは、マックで漫画を描く。それゆえ、線やコマ割が独特である。また、登場する女の子は唇が暑く一直線の眉毛に大きな黒めがちの目をしていて、エロティックな魅力をふんだんに漂わせている。
『エロマラ』の主人公トリコは、18歳になっても生理が来ず、訪れた病院で「常に男性と性交渉をもたなくては成長できない体」だと告げられる。
そこでトリコは「つまりあたしは、ペニスがないと生きていけない体なんだわ」と納得する。
成長しないことが死であるという極端な認識をしたトリコだが、愛とセックスを切り離している彼女にとっては、今現在に感じられるものしか求める対象にはなかった。
つまり、愛という不確かなものを排除し、快楽欲しさにコールガールをする日常を淡々と過ごすことに、何のうしろめたさもない。
しかし、快楽は快楽、愛は愛、という線引きをしていた彼女だが、シゲルという美術学校のモデルとしてやってきた男とセックスをし、そこで初めて愛のようなものを感じ、彼と同棲し始める。
その後、感染したら100%死に至るという病が世界で蔓延し、次々と友人たちが感染していくが、トリコの生きている日常とは別のところで起こっているように描かれる。
死がリアルではないというのは、トリコだけではなくトリコの周りの人間にも言えることであったが、ついにシゲルまでも感染してしまう。
物語は、トリコの語りで終焉を迎える。数カ月後に自分もシゲルも死んでしまうことを語りながらも、「なんだか世界中が愛し合ってるみたいだった。なんてね」とほくそ笑むトリコ。
死に侵されていく世界が、それでも快楽を捨てきれられずに滅亡へ向かっていく、ではなくて、不安や死がうずまく中で愛が散らばっているという様子を、そう言ってしまえる感情に衝撃を受ける。
衝撃とは、言うまでもなく、物語の中におけるトリコという人物像を明確に描く上での決定的な魅力の要素についてだ。
不安や孤独、恐ろしいものである死というものが、それに対峙しても朗らかにほくそ笑むことのできるトリコを、この台詞で描ききっている。
やまだないとという漫画家は、スタイル重視のオシャレ漫画家だと言われがちだが、こういう感覚一つとっても、素晴らしく力のある作家だと感じた。
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1997年の秋、友人との待ち合わせ。時間が空いたので、今は亡き、東急文化会館6階のまんがやさんで、わたしはこの本を見つけて、やまだないとと出会った!なんじゃこのフランス語は?裏返すと『愛の教育』だとか、『バルスーズ』だとか、なんとなく、フランス映画やゲンスブールを連想させるタイトルが並んでいる。ジャケ買いでした。そして、わたしは、ないちょせんせいにはまっちゃうのでした。(きょうはアニュエスbのボーダーなんてはいちゃってますよ〜ぅ、まるで、初期のないちょせんせのまんがにでてきそうですよ。)
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ミューミュー鳴くんだよな、くらいの記憶だったのですが、読み直してみたらすごかった。別世界なのに温度がリアルで、コミュニケーションということばをすごく反芻しました。感触のある漫画。
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欲望のまんまに生きて最後に辿り着く答えがとても温かいのにどこかかなしい。誰だって人の体温がないと生きていけない。
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愛とか恋とか。
そういう奇麗事だけでなく
セックスしたい気持ちに
正直な作品。
私は賛成だ。
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「つまり あたしは
ペニスがないと生きていけない体なんだわ」
そんなオンナノコのための本。
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ero・malaに出てくるあれがすんごいすんごいすんごーーーいかわいい!
どのお話も、外国の短観映画のような焦燥感にまみれています。
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このタイトルを見て、ちょっと柄にもなくいったん手が止まり。
いやだ〜奥様ったら。
ほほほほ、奥様こそ。
うふふふふ。
‥そんなわけ、ねぇ。
‥あるわけないですわよ、ねぇ。
‥
のようなやり取りが実際にあった訳ですよ、あたしの脳内では。
知人と待ち合わせしていたブックオフで、
「ごめん、場所変えよう。で、ブックオフいるならさ、もしあったらでいいから、
買ってきてくれない?」って頼まれて買った一冊がこれ。
やまだないとという人を全く知らないできた、
(注:私の守備範囲は少年ジャンプやマガジン、サンデー系です)
いや、少女マンガをごっそりスルーしてきたあたしには、
なかなかこの、女性特有のどろどろした内向的な情緒的な描写は苦手なのです。
でも、この作品は比較的すかっとわかりやすかった。
もちろん‥そういう内容も多々あることは否めない。
だけど、ここで表に出てしまっているのはむしろ、
描写過多による減退効果のように思う。
その描写がないとたしかに、なりたたない部分は多いのだけれど、
その描写が過激に大量にあるが故に、
むしろそれ以外の部分に視点を集めさせると言ったような。
本作品集であたしは不可解な病気の物語と、
冒頭にある、不条理な漫画が一番好きだったのだけど、
特に病気の物語で最後に、主人公の独白で、
「あたしがその病気にかかって死ぬのは、それから〜日後のことだった。」
と、主人公の死すら客観視して、
読者の視点と作者の視点と同じ高さに主人公の、
漫画世界をもってきた浮遊感にはがつんとやられた。
これって計算なのだろうけれど、漫画という絶対的なフィクションに、
視座のぶれをこういった形でもってこられたことにビックリした。
やまだないとはその作画が非常に特徴的で、
線が一切安定せずに、あるいはパソコン処理をして恣意的に画像をぶれさせるのだけれど、
そのビジュアルの浮遊感と最後のテキストによった視座の複雑な交差、
これにぎくりとさせられました。
手元に残したい作品かって言われると難しいんだけれど、
でも、もっと他の作品を見てみたい(文字通り「見て」みたい)
そんなふうに思いました。
タイトルはすげーけど、なんじ、ひるむなかれ!
です。特にジョシ諸君。
大丈夫だ、あたしがついてる!(え?)
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わたなべあじあ先生の事を考えていて、ふと、ないと先生のことを思い出し、押し入れを探して見つけ出した1冊!
懐かしさよりも先に、これだー!!って感じだったよね。
表題作の「エロマラ」が恐ろしく衝撃的で大好きで、今読んでもやぱり好きで、むしろ「コロナ」とリンクする部分があって感動するって言うねw
『世界中が愛し合ってるようだった なんてね』が好きよね。
そして、当時から、この世界で描かれている世界観とか、真理とかが、自身の感覚に近くて、嬉しかったのを思い出した。
ないと先生はやっぱりすらばらしいな。