紙の本
指揮官の冷静な視点で描かれた硫黄島。
2011/05/05 10:54
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投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者自身、戦地を駆け巡った経験があるからだろうか、不思議と薬莢、砂塵、爆音、血の匂いがしてこない。意図的に戦場の凄まじさを消すことで、栗林忠道という最高指揮官の戦略を際立たせたかったのだろうか。
もしくは、すでに数多くの日本軍守備隊とアメリカ海兵隊との戦いについて作品があるので、作戦という観点から硫黄島を解説したかったのかもしれない。
硫黄島で戦う目的、目標、戦術など、戦場での出来事をビジネス市場に置き換えたらば、どうだろうか。あえて、戦場での爆音や砂塵が省かれたことによって、最高指揮官が何を基準に幕僚の意見を取り入れ、判断、決断しているのかを理解できるが、ライバル企業との市場獲得競争としてみても面白い。摺鉢山に国旗を掲げることで戦場における優位性を誇示する姿は、ライバル企業優勢の市場に出店するかのよう。
かつて、太平洋を挟んでの日米の戦いはアメリカの工業生産力と日本の精神力との戦いであったと比較されるが、もう一方でマーケティング戦略の相違だったのではと思った。
そんな中、一銭五厘といわれた日本兵の命も市民権を得るために参戦した移民アメリカ海兵隊員の命も、単なる紙切れ一枚でしかない。戦場の匂いがしない文体だけに、逆に戦いの冷酷さを感じた。
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(2009.03.15読了)
この本の著者の作品は初めてなので、特に期待もなく読み始めたのですが、なかなか興味深く読めました。
「栗林忠道」という題名が付いていますが、個人の伝記を書くというよりは、硫黄島の闘いをドキュメントとして描くという感じです。地上戦が始まるあたりからは、アメリカ軍の硫黄島上陸作戦最高指揮官ホーランド・スミスの様子も描かれて、日米双方の指揮ぶりが分かるようになっています。
「まえがき」に栗林中将の略歴が述べられ、本章に入ると硫黄島への赴任の場面になります。赴任は、1944年6月。
6月15日、硫黄島の沖合にアメリカ海軍の艦艇が初めて姿を見せた。(41頁)そこから艦砲射撃を開始した。
硫黄島には湧き水はなく、雨水を貯めるしかなかった。しかも暑いし、滅多に雨が降らない。船で補給したいところだが、船は潜水艦によって沈められてしまう。
硫黄島にあった日本の戦闘機は、7月4日の空襲でほぼなくなってしまった。
栗林中将は、波打ち際での上陸阻止の作戦をやめて、持久戦を行うことにし、地下壕を掘ることにした。
硫黄島には、陸軍と海軍がおり、海軍は、上陸阻止にこだわったので、限られた資材の投入を分散することになった。
水や食べ物も、一般兵士と同じにしてもらい、指令はきめ細かく全員にわかりやすいように最前線まで伝えさせたようで、兵士の手帳には、同じものが記述されて残されている。
兵士たちのもとへもできるだけ足を運び、直接声をかけたり、たばこを吸わせたりして、士気高揚に努めた。
自分の方針に従わない将校は外し、自分の方針を有効に実施してくれる将校を回してもらうように、お願いしている。
11月26日、特別攻撃隊が元山飛行場に着陸した。ここで燃料を補給し、サイパン島のアメリカ軍飛行場攻撃に向かうという。(140頁)
1945年2月19日、アメリカ軍による上陸作戦が開始された。
3月16日、大本営に決別の電文を打電させた。(320頁)
3月26日に、栗林中将は戦死した。
この時点で完全に戦闘は終結したわけではないが、アメリカ軍による事実上の硫黄島占領は完結したということになる。
(東京大空襲は、3月10日なので、硫黄島の戦闘がまだ行われている段階で、すでに本土に対する爆撃は開始されていた。硫黄島で頑張っている間は、本土は安全というわけにはいかなかった。)
著者 柘植 久慶(つげ・ひさよし)
1942年、愛知県生まれ
1965年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業
在学中、カタンガ傭兵隊の一員として、コンゴ動乱に参加
フランス外人部隊の格闘技教官として、アルジェリア戦争に参加
1970年代初頭より、ラオス王国政府軍格闘技教官となり、対ゲリラ戦を指揮
アメリカ軍特殊部隊に加わり、インドシナ、ラオス等で極秘作戦に参加
1986年より作家活動に入る
(2009年4月5日・記)
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p113
「いろいろ志もあっただろうに。それが果たせず中途半端な技倆のまま死んでしまうのは心残りだと思う」
「私は全く心残りありません。閣下の傍に置いていただけたのですから」
〜藤田は元気よく話す。危険だと噂された硫黄島への不妊を、二つ返事で承知して栗林に従っていた。
p152
「ここに呼んで申し訳ないとは思っているが、中佐の知識がどうしても必要だ」
「何処で戦おうといずれは最後の決戦を迎えます。硫黄島でなくとも」
笑いながら中根は明るく応じる。大本営の誰もが仰天する人事だったが、当の本人ンは悠然と割り切っていた。
p161
「そう思います。最後の瞬間が訪れるまで、私は陣頭で戦い抜きたいと願っています」
千田は力をこめて言った。
p324
「ここまでだね、中根さん」
と、参謀長—高石大佐が声をかける。
〜彼らは自分たちに白羽の矢を立ててくれた、栗林の近くで死ねて満足だと、最後の瞬間までそう思っていた。そして戦闘には勝っていたのだと、同じことを考えながら院鉄を落としたのであった。