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『生物に学ぶ ガラパゴス・イノベーション』(稲垣 栄洋著/東京書籍)vol.603
https://shirayu.com/topstory/210622
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ガラパゴス島の生き物についての話もあるけれど、思ったよりもビジネスに関する話も多い。
ガラパゴスに学ぶビジネス書、って感じ。
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島に辿り着ける生き物は少ない。
そのため、競争相手や天敵がおらず、生物は自由に
自分の住むべきポジションを見出す。
牛がいないために、カメが大きくなり草を食べる。
天敵から逃げる必要がないため、鳥は飛ばなくなる。
こうした自由が島の進化。
そして、強み。
でも、大陸の生き物がやってきたら、
ひとたまりもない。
それが弱さ。
企業の戦いも同じではないか。
グローバルでの戦いにおいて、
自由な発想で差別化をすることが日本のあり方
ではないか、と問う。
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生き物のガラパゴス的な進化を、日本という島国が潜在的に持つビジネスの可能性に応用する。
ビジネスの話はこじつけ的なところもあるのかもしれないが、そんな穿った見方を遥かに凌駕するほど、この本は知的好奇心を満たしてくれる。面白い、読みながら何度もそう唸らせる本だった。
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稲垣栄洋氏の本は分かりやすく、未知の世界に触れられるので面白い。今回はガラパゴス諸島。しかし、植物学者の著者、本作ではビジネス本に挑戦!という趣の内容で、しかし、これが中々どうしてこの二つの分野の共通点を発見し、更に読書が面白さを増す。
ガラパゴス諸島では、体重200キロを超えるような「ガラパゴスゾウガメ」が草食動物のように草を食べている。ガラパゴスとは、そもそもスペイン語でゾウガメを意味する。ガラパゴスには、飛べない鳥がいる。赤道下なのにペンギンもいる。
ガラパゴスだけではなく、島嶼で進化を遂げた生物たちの多くは、大陸からやってきた外来種に追いやられて絶滅の危機に瀕している。島の中の競争はマイルドで、群雄割拠の大陸の環境に比べると島の生物は競争に弱い。グローバル企業の攻撃に右往左往する日本のビジネスを思い出す。
ビジネスで使われるニッチと言う言葉も、もともとは生物学の用語らしい。生物学では、生態的地位と訳される。生物の世界でも様々なものを餌にできるジェネラリストと、特定の環境や特定の餌を専門にするスペシャリストがいる。
島の法則、アイランドルールと呼ばれるものが存在する。孤立化した小さな島では、鹿や猪のような大きな動物が小さく矮小化し、ネズミやウサギのような小さな生物が巨大化する。この現象は島嶼化と呼ばれ、発見者の名をとってフォスターの法則とも呼ばれている。
読み進めながら、知らない生き物の名前に出会い、ネットで画像検索する。指に乗るサイズのミクロヒメカメレオンがとにかく可愛い。経済学、生物学、進化論、植物学と共に、動物園、いやガラパゴス諸島へのバーチャル旅行ができた気分だ。
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ニッチという考え方に興味を抱いた。各個のオンリーワンである場所。自分自身のニッチって何だろう?どこだろう?
ニッチという言葉は使命と言い換えてもいいかもしれない。自分の使命とは?そんなことを考えさせてくれる本だ。
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稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年、静岡県生まれ。1993年、岡山大学大学院農学研究科(当時)修了。農学博士。専攻は雑草生態学。1993年農林水産省入省。1995年静岡県入庁、農林技術研究所などを経て、2013年より静岡大学大学院教授。研究分野は農業生態学、雑草科学。農業研究に携わるかたわら、雑草や昆虫など身近な生き物に関する著述や講演を行っている。著書に『弱者の戦略』(新潮社)、『身近な雑草の愉快な生きかた』(筑摩書房)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHP研究所)、『雑草手帳』(東京書籍)など。
ガラパゴスはもともと、スペイン語でゾウガメを意味する言葉である。 スペインの探検家たちは、ゾウガメが草を食んでいる常識外れの光景に驚愕したことだろう。そして、驚きをもってこの島を「ゾウガメの島」と呼んだのだ。ちなみに、ガラパゴス諸島は通称であり、正式にはコロン諸島という。コロン諸島は、コロンブスの名に由来している。しかし、この島々が正式名称で呼ばれることはない。
確かに世界の潮流からはずれれば、リスクもあるし、デメリットも大きいかもしれない。しかし、物事にはマイナスもあればプラスもある。マイナスばかり見て、嘆いているよりも、プラスの面を活かすことを考えてみても悪くはないだろう。 世界の潮流から離れた進化は、世界の常識を超え、オリジナリティに満ちた進化でもある。もし、「独創的」であることや、「革新的」であることが、求められているとするのであれば、「ガラパゴスの当たり前」ほど、強さを発揮するものはないだろ う。
島の生き物には圧倒的にダメなところがある。それは、競争に弱いということだ。 もちろん、島の中でもまったく競争がないわけではない。しかし、群雄割拠の生き物たちがひしめきあう大陸という環境に比べると、島の競争はマイルドなのだ。 島の生物は、激しく競争することに慣れていないので、島の外から外来種がやってくると、見る見るうちに追いやられてしまう。そして、絶滅の道を歩んでしまうのだ。
それでは、島の生き物はまったくダメな存在なのだろうか。 さにあらず。 競争に弱いというのは、より大きくより大きくと巨大化した体で相手を圧倒した り、巨大な力で相手をねじふせるような「大陸型の競争」に弱いというだけの話であ 何もまともに正面から戦う必要はない。戦い方は一つではない。さまざまな戦い方 がある。それなのに、島の生物は戦い方がわからないから、まともに大陸の生物と戦ってしまう。そして、相手の土俵で、相手のルールで戦ってしまうのだ。 これでは、勝てるはずがない。 もちろん、生物の進化は時間がかかるから、戦略を一朝一夕で変えられるはずもない。そのため、人間が持ち込んだ外来種の前に為す術もない。 しかし、私たちは知恵のある人間である。 人間は戦略を選ぶこともできるし、戦略を変えることもできる。 それなのに、どうして大陸からやってくる強大な力を前に、正面から競争しようとするのだろう。どうして、大陸に有利なルールで戦おうとするのだろう。 島には、島の生き物の戦い方があるのではないだろうか。
たとえば、ニュージーランド島のキーウィは有名だろ��。キーウィは、ニワトリほどの大きさしかなく、まったくの無防備なように見える。しかし、島という環境であれば立派に生きていける。飛ぶというのは無駄な行為なのだ。 キーウィは自分の体の大きさに対する割合では、もっとも大きな卵を産む鳥であ る。何と、キーウィのメスは、自分の体の二割ほどもある巨大な卵を産むのだ。空を 飛ばないことで余ったエネルギーを、子孫を残すという生物本来の日的のために投資 しているのである。 大型哺乳類の存在しなかったニュージーランドには、飛べない鳥が多い。絶滅してしまったモアもニュージーランドの鳥である。また、オウムの仲間であるフクロウオウム(ヵカポ)やクイナの仲間のタカへやニュージーランドクイナなど、ニュージーランドには、さまざまな飛べない鳥が生息している。 もちろん、進化の島、ガラパゴス諸島にも飛べない鳥はいる。それは、ガラパゴス コバネウというウの仲間である。その名のとおり、羽が小さく飛ぶことができない。 世界に三〇種ほどいるウの仲間の中で、飛ぶことができないのは、このガラパゴスの ウだけである。 アフリカのマダガスカル島にも、空を飛べないノドジロクイナがいる。 そういえば、日本で唯一の飛べない鳥であるヤンバルクイナも、沖縄という島にす んでいる。 「鳥は飛ぶのが当たり前」ではない。「鳥は飛ぶべきである」も間違いである。 鳥だって飛ぶ必要がなければ、飛ばなくたっていいのだ。それが、島の論理である。
小さな動物は、敵に襲われれば物陰や小さな穴に逃げ込むことができる。隠れるに は、小さい体のほうが身を隠しやすいのだ。それに、ライオンやトラのような強大な 猛獣は、ネズミのような小さな獲物はまともに相手にはしないことだろう。 「体が小さい」ということには、それなりのメリットがある。つまり、体を小さくするということも、立派な戦略なのだ。そのため、天敵の多い場所では、ネズミなどの動物は、わざわざ体を小さくしているのである。 島では、天敵がいないので、わざわざ体を小さくすることはない。そのため、小さな動物は、島では体が大きくなるのだ。
一七九九年、オーストラリアから奇妙な生物の毛皮が英国に送られてきた。 その毛皮は、一見するとカワウソのような姿をしているが、顔には、カモのくちばしがついている。英国の研究者たちは、それを剝製師が作り上げた偽物だと考えた。 それがオーストラリアで発見されたカモノハシである。 研究者たちが偽物だと考えたのも無理はない。 カモノハシは、西オーストラリアに分布する哺乳類でカワウソのような体で水中を泳ぎ回る。しかし、その口はまるで水鳥のようなくちばしになっているのである。 当時の研究者たちはそんな生き物は見たこともないし、この世にそんな奇妙な生き物がいるとは想像もできない。人々の想像力をはるかに超えた、何とも奇妙な生物 だったのだ。 じつは、カモノハシは古い時代の哺乳類の特徴を残す「生きた化石」である。 島という環境は、競争が少ないため、古い時代の生き物がそのまま変化することなく生き延びることがある。 カモノハシはオーストラリアやタスマニア島という、他の大陸から隔離された島の 環境に分布している。オーストラリアやタスマニア島は、水の中を生息地にする哺乳 類が少ないため��カモノハシのような古いタイプが生き残ることができたのだ。
日本に続いて老舗数の多いドイツでおよそ八〇〇社、それに次ぐオランダとフランスではおよそ二〇〇社だから、日本の老舗の多さは飛び抜けている。 アメリカの企業は「今」が大切である。そのため、短期の利益を追求し短期での企 業評価を行う。人々も移動をする。とにかく「今」が大切なのだ。 驚くことに長い歴史を有する中国の企業も「今が良ければ良い」と考える傾向にあ るらしい。中国は歴史が長いとはいえ、その歴史の中では国が入れ替わり、常に大き な変化が繰り返された。そのため、将来のことを考える余裕がなかったのかもしれな このように大陸の企業は、今をいかに成功させるかに注力する。 しかし、日本は違う。 日本の老舗は、先祖代々の店を、次の世代に引き継ぐことが求められる。 つまり未来が大切なのである。老舗に代表される事業をつないでいくという考え方 も、もしかすると、ガラパゴス的な考え方なのかもしれない。
大陸の生物は、力と力がぶつかり合う厳しい生存競争を勝ち抜いた猛者ばかりである。それなのに、どうして大陸の生物の土俵で戦おうとしてしまうのだろう。どうして 大陸の生物と力の勝負をしようとしてしまうのだろう。 ガラパゴスには弱みもあるが、強みもある。ガラパゴスの弱みを嘆くのもいいが、 勝ち抜くためには、ガラパゴスの強みを活かすしか道はない。
何より、日本人は清潔好きである。トイレにはトイレの神様がいて、トイレ掃除をすると金運があがり、美人になると言われる ほど、トイレを美しくすることに対して関心が高い。