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全く気が付かなかった、芸術作品が商品であり、印象派はアメリカの新興富裕層によって爆買いされていたんですね。
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美術を商品としてとらえ、その売り方が
歴史とともに変動する、と教えてくれる本。
宗教が強ければ、宗教画が
教会から注文される。
その場合、教会の権威のプレゼンテーションと
して、絵画が使われる。
王宮が強ければ、王宮画が王宮から注文される。
これも、王族の権威のプレゼンテーションが
求められる機能。
教会や王宮に権威がなくなると、市民に売る
ことになる。
受注生産ではなく、見込み生産。
市民が入り込めるように、民衆や、
風景が描かれる。
成金がでてくると、客をその気にさせるため
金縁の額にかざり、客を貴族かのように
扱い、高値でありものを売る。
美術をこういう観点で理解するのも、
面白いな、と思う。
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多摩美術大学教授で、テレビの美術系番組の企画も行う著者による、ビジネスの視点に立った美術史。西洋絵画を主体に、単に画家や美術作品そのものを評価するのではなく、ビジネスの視点から画家やそのオーナーなどが成功を収め、需要に応えることによって宗教画や自画像、印象派の絵画へと移っていったことを説明している。フェルメールもレオナルド・ダ・ヴィンチもレンブラントもビジネス的に上手く時代にはまったからこそ、現在でも高価な値がつく作品を残せたことに納得した。美術には素人である私でも興味深く読み進められた。勉強になった。
「フェルメールのように無名の少女や家政婦を主人公にした絵は、宗教改革が宗教絵画を禁止したことを機に描かれはじめた。モネが得意とした風景画や、ゴッホがひまわりを描いた静物画も、その時期に人気を呼んだ新種の絵画だった。驚くべきことにそれ以前のヨーロッパには風景画も静止画も存在していない。これらの絵画は、教会という大スポンサーを失った画家達が、生活のために市民顧客に売れる絵を描き始めた結果として生まれたのである」p4
「美術の経済的な側面にまつわる話題は芸術性に反するように見なされがちだが、もともと美術というものは、経済的な余剰が存在しないところには決して存在しない」p4
「驚くべきことには、「十戒」の戒めを最も厳格に守ったプロテスタント国のオランダがレンブラントとフェルメールという当時を代表する巨匠を生み出し、近代には印象派を代表する天才ゴッホを生み出し、現代には抽象絵画の開祖にして最高峰の巨匠といわれるモンドリアンをも生み出しているのである」p16
「教会を飾る絵画彫刻やステンドグラスは、神の権威と教会の権力をプレゼンテーションするために製作されたものであり、教会と並ぶ美術のスポンサーであった王室にとっても、宮殿を飾る美術は王の権威と権力をプレゼンテーションするためのものだった」p19
「今日では名画と聞けば誰もが思い浮かべる静物画や風景画は、当時のオランダで確立されたジャンルであり、それ以前のヨーロッパ美術にはこうした絵画は見当たらない。ルネッサンスの巨匠であるボッティチェリやダ・ヴィンチやミケランジェロが描いたとされる静物画や風景画が残されていないのはそのためである」p25
「西洋の風景画といえば風車がつきものとなっているのも、もともと風景画がオランダで誕生したからである」p28
「写真技術が登場する以前に人々が絵画に期待していた手法といえばもっぱら写実描写のみであった。写真のない時代における絵画は、今日の私たちが写真に求める画像による記録という機能を果たし得る唯一の技術であり、したがって写実を拒否した絵画などは絵画と見なされなかったのである」p39
「(ヨーロッパと東方を結ぶイタリア商人)現金で支払わずに決済が可能な為替というシステムや、利益と損失の関係の正確な把握が可能な複式簿記のノウハウを確立して会計実務の技術革新を行ったのがイタリア商人であり、やがてヨーロッパ経済は彼らによって独占的に支配されることになる」p49
「国によっては19世紀までローマ数字を会計帳簿に使っていたのに対して、イタリア商人は12世紀にはアラビア数字を導入、複雑な計算が可能なこの数字システムを活用して、経理技術を飛躍的に発展させることになった」p52
「キャンバスは絵画の代名詞として用いられるほど一般化しているが、この布製の下地材の登場は、絵画というものの存在を根本から変える大事件であった。木の枠に釘で貼るだけですぐに絵を描くことができ、軽量であるために大画面の作品も丸めて運搬できるキャンバスは、絵画という芸術に、描く場所や飾る場所を選ばないという画期的な機動性と流動性をもたらすことになったからである」p68
「ミラノ公に問いただされたダ・ヴィンチは、画家はなにもしていない時にこそ多くの仕事をしているものだと答えている」p74
「デュラン・リュエルが販売に着手した時点では、印象派の作品は人々の理解を超えた前衛芸術でしかなく、当時の新聞「フィガロ」は印象派の絵を評して猿の落書きか猫がピアノの鍵盤の上を歩いて出す音のようなものだと酷評している。市場価値は皆無に等しく、タダ同然の値段でも買い手のつかない絵だったのである」p171
「フランス絵画というアメリカ人が憧れてやまない伝統の象徴であると同時に、新時代の市民生活を賛美するという二重の効用によって、印象派の絵画はまさに新大陸の新興富裕階級にはうってつけのステータス・シンボルとなったのである」p191
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名作が生まれた裏側にあるビジネス戦略
販売戦略、マーケティング戦略、メディア戦略、広報戦略、政治戦略、写真すらない時代において、美術はその手段であり、目的であり、商品であった
とまぁ、名作を見る目が変わる一冊
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前半はそんな目新しい感じはないが、後半ギルドに対応した王立アカデミー、額縁と猫足家具を使った印象派推しのリュエルの戦略、批評のありかたなどは興味深い。
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【ビジネス戦略から読む美術史】 西岡 文彦 著
編集者が付けたタイトルと思いますが、内容からすれば「西洋史における美術」という感じです。
プロテスタントが偶像崇拝を禁じたことから商業絵画がオランダで開花。当時、「家政は国政の礎」とされて、家政婦の社会的位置づけは高く、フェルメールが「牛乳を注ぐ女(家政婦)」を描いて、パン屋の広告に使われたという話から、ダ・ヴィンチ、ナポレオンなどの史実を踏まえて、19世紀ころまでの西洋史(+米国史)を新書サイズに一気に書き上げた内容になっています。
読んでいるうちに、「これ、歴史の本じゃないの?」と思うときもままあり、金利の話やそれによるユダヤの位置づけなど、美術とはそれますが、とてもわかりやすく書かれています。
歴史と絵画との大きな流れをつかむことができて参考になりました。高尚なウンチクを語るにはお薦めの一冊です。
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絵画と歴史や経済の流れで見る、というのはあまり経験がなく、とても面白く読めた。
ただ文章がややくどいかな…。
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西洋絵画の裏歴史というべきか、画家や作品ではなく世界史から絵画の道具、さらには政治やビジネス戦略から絵画を見るとこうも切り口が出てくるのか、とワクワクした一冊です。
元々は宗教画など崇高で神聖なものとされた絵画は、宗教改革や偶像崇拝の禁止の影響で大口取引だった教会や聖職者を失い、あらたな消費者として市民へ間口へ広げていった。一方で富豪のメディチ家は自身のもうけによる罪から逃れるために、芸術への支援を行いそれが現在のアートにもつながった。
こうした歴史背景から絵画がどのように利用されていったか、続く章で考察されていきます。
絵を描くためのキャンバスの誕生が芸術に与えた影響。
ナポレオンの芸術を利用した政治戦略。
アメリカの台頭と印象派の画家たちの活躍。
そして芸術家たちのブランド化、メディア戦略と権威化。
画家や技法の変遷をたどるだけではみえてこない芸術史が見えてくるのです。
芸術となると画家や作品が前面に押し出されるイメージがあったので、世界史や当時の世相などを交えて芸術史が紐解かれていくのがとても新鮮でした。少しひねくれた視点から西洋美術をみる入り口としてうってつけの一冊だったと思います。
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ちょっと難しかった。
「リモートワーク」とか、なんか強引に、
最近のワードを使ってくるのも、
なんかな…という感じがした。
でも、印象派の話とか、
知らない事が多くて、勉強になりました。
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2023.02.22 とても興味深く、面白く読ませていただいた。美術品も商品であるわけで、であればその背景には必ずビジネスの側面がある。そこが時代の変化、技術の発展とともにどのように推移したか。とてもよく分かった。興味深い内容であった。
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絵画は生活必需品ではないので、画家が生活するには、それを支える経済的な仕組みがあるはず。この視点から、ダビンチやフェルメール、レンブラントや印象派の背後にあるビジネス戦略を解き明かす。
マルチン、ルターの宗教改革は、偶像崇拝を禁じ、それまで教会が宗教画を発注してた画家たちが食えなくなった。そこで画家たちは、当時、貿易で経済力のあった市民が買うことで、盛り上がっていった。フェルメールは、パン屋の代金代わりで、店に飾るポスター的な絵画だったとか。