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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
将軍足利義教の勘気に触れ佐渡への流罪となった世阿弥元清の、佐渡での生活が物語となる。まるで幾面かの能舞台のような場面が続き、幽玄の世界に、幾度となく引き釣り込まれる。老いた主人公にとって、過酷な流罪だが、新たな能の世界が生まれた様であり、結末は悲劇のようで、実は昇華であろう。密かに短い余生を覚え、時間に囚われる感覚を自ら変えて、自分自身の老いの中でいかに全うしようかと、真摯に向き合うのである。
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こんなラストが待っていたのか。このラストしかないか。
息子を亡くし、不運にも佐渡に流される70歳を過ぎた世阿弥。暗さの極地のようなスタートなのだが、いざ佐渡に着いてみれば、周囲の人に恵まれ、決して悲劇的な晩年として描かれているわけではない。新たなステージに歩を進めたようにも見える。
生者と死者の境目がはっきりしない幽玄な世界と、六左衛門、たつ丸たちとの微笑ましい日常が描かれる。
歴史小説は苦手で、世阿弥に対する知識も日本史の教科書の内容でさえあやふやなくらいなので、どこまでが史実でどこからがフィクションなのか私にはわからない。能に対する知識もほとんどない。でも世阿弥の佐渡での生活を、霊として見つめる元雅に近い視点で、観察するように小説の世界に近づけたと思う。
たくさん出てくる和歌や能の詞章も、古典ってやっぱりいいなぁと思わせてくれた。
奥行きのある小説で、教養があればあるほど楽しめ、もう少しいろいろな方面から高尚なことを書く方がふさわしい小説だと思うのだが、こんなことくらいしか書けずごめんなさいって感じだ。
"能は前にも、後ろにも、死がある。死の只中の、錐の一点で生きるのが、舞ではないか。" 35ページ
かぎりあればかやが軒ばの月も見つ
しらぬは人の行く末の空 後鳥羽上皇 75、120ページ
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世阿弥は72歳にして咎無くして佐渡に流されます。それは、後継者である元雅を客死させた直後のことで、配所にても喪失感は大きく心身ともに満身創痍であったことでしょう。そんな世阿弥の佐渡での日々は、穏やかな自然体で、島の人にも受け入れられ、一方で、芸事への思いも止みがたく、能楽を披露したり、小謡集「金島書」を綴ったりと精進の生活です。物語の基調としては、亡き息子に対する喪失感と親愛の情は止みがたく、実体と霊体が交錯する描写が続き、夢幻能を観ているようです。
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「能」についてほとんど知識がなく、慣れない文体でもあったが、徐々に世界に惹き込まれた。知らないうちに能の精神性に触れたような気持ちになる。
ひたむきに打ち込み、自分をなくした自然な振る舞いが真の芸、神事となる。落語や作家、舞踊など芸事の世界はもちろん、一般の仕事でも同じことが言えるんじゃないか、そんなことを感じながら背筋が伸びる思いで読み終えた。
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「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ大和魂」
小泉純一郎氏が、人気を博す、ターニングポイントだったのではないだろうか。
この作品にも、多くの和歌が書かれている。
歴史の検証を経た、素晴らしい言葉だと思う。
ただ、多くは言葉が古く、そのまま、すっと頭に入りづらいのが、難点ではあると思う。
素養があればより楽しめたのではないか、と残念にも思った。
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小説でよく取り上げられる世阿弥だが
この作品の世阿弥はとてもリアル。
当時の能楽の雰囲気って
こんな感じだったのかも、と
思えるリアリティがあった。
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絲山秋子賞で、知ったのでさっそく読んでみた。
佐渡へ行ったことがあるので、描写に沿って土地の風情など想いを馳せて読むことができた。
読み終えて数週経つけどもふと思い出す。
しみじみと良かった。
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親子愛や師弟愛のヒューマンドラマ?
能を深く知れる芸能書?
佐渡の観光本?
身の回りの人たちにどう接するかを学ぶ自己啓発書?
鎮魂のあり方を考えさせる死生学の教科書?
絶望の中での生き方を教える人生指南書?
その全て、それがこの本です。
最初期かつ最高に位置する能楽師、世阿弥。
その世阿弥の佐渡での晩年を描いた小説です。
小説内では世阿弥が舞う能が複数ありますが、特に順徳上皇の鎮魂のために演じる複式夢幻能の「黒木」を描く場面が私の印象に残りました。
*
複式夢幻能とは…
前半は現実が舞台。僧などの旅人が旅先で土地の人に出会い、土地の人がその土地ゆかりの話を語る。
後半はその旅人の夢が舞台。その土地の人が実は幽霊で、幽霊が自身やその土地の話を語る。
というものです。
この複式夢幻能という能の様式を確立した人こそ、世阿弥その人です。
*
世阿弥の順徳上皇に思いを馳せる共感力、上皇の思いを真っ直ぐ受け止める霊的な力、そして全てを取り入れて演じる能への真摯で異常とも言える向き合い方。
そんな世阿弥とともに能を演じる人たち。都からの付き人で都随一の笛方の六左衛門、妻を亡くした元武士の了隠、天真爛漫な海人の息子たつ丸、おおらかな寺の住職峯舟、そしていつも傍で見守る亡き息子元雅。彼らが本当に真っ直ぐで優しくて世阿弥に能を教えられながらも世阿弥を事あるごとに支えてくれるのです。
時の将軍足利義教による理不尽な仕打ちで佐渡島へと島流しになった世阿弥。その絶望の中でも理解と愛のある人たちに支えられて、老いていく己と向き合いながら、能を愛し演じる機会にも恵まれ、枯れることなく心に花を咲かし続けようとします。
親子愛、師弟愛、鎮魂のあり方、美しい和歌と能、四季の変化と自分の人生を結びつけるような自然と自分への世阿弥の眼差し。
様々なことを考えさせられる小説です。
そして全体を通してとても美しい文章です。
ゆっくりと声に出すように読みました。
とても至福の時間でした。
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最初、言葉の難しさに挫折しかけましたが、佐渡に着いて、たつ丸に会う頃から、どんどん面白くなって、佐渡に行ってみたくなりました。
和歌がたくさん出てきますが、それが分かるとなお深く理解出来るのかなと感じます。
年を重ねたからこそわかる事、年を重ねても、なおも分からない事。
色々な人々の中で関わりながら、生かされている自分を感じられる佐渡での暮らし、それこそ仏道の悟りの境地ではないでしょうか。
ラストでは、満開の桜の中に消えていく翁が見えました。
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元ネタの史実はもっとシリアスだと思うけど(何せ老体の配流だ汗)…ま、作者が好い人なんだろうなあ。
それに、個人的にはあんまりハッピーエンドって好みじゃないんけど、クライマックスは西行の歌がてんこ盛り!これはなんか、こういうのもありかなと思わせられた。良かったなあ。
本間朔之進と源之丞の確執が、まさか最後の最後でついでっぽくはあるけど、回収(ってほどでもないか)。されるとは思ってなかったので、そこはビックリ。
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オードリー若林がお薦めしていたので手に取った。
世阿弥が晩年に佐渡島に流刑になった時の物語。
過去、同じく佐渡に流島になった順徳院、隠岐に流された後鳥羽上皇など、同じ境遇の方々の歌を詠じながら思いを馳せたり、己の半生を振り返ったり、島の人々と触れ合ったり。中でも、出会った島の子ども・たつ丸に小鼓を教えることが喜びとなるうち、佐渡の干ばつで祈雨願能(雨乞い能)を行うこととなり、それをきっかけに、より地域と深く結びつき、流された地で、高齢を迎えて老いを感じながら、さらに能を深めていく。
世阿弥の中には、二つの大きな思いがあると思う。
一つは、息子・元雅に芸を仕込むあまりに厳しく当たり、早くに失ったことに対する後悔が、常に世阿弥の中にある。
それとともに、自身の中の老いを見つめ、全身全霊を賭けてきた「能」を突き詰めていく。
それらを抱えながら、いくつもの短歌を思い返しつつ(本当に、いくつもの歌が詠まれる)、佐渡の地で、佐渡の地の人々とともに、世阿弥一世一代の能を生み出し演じていく。まさに「最後の花」、だろう。
最後、都に戻れるのか否か、知らずに読んだ。このまま、佐渡の地で静かに生きていくのも道ではないかと思ったが、時の将軍が倒され、赦免を受け、最後の能「西行桜」を演じて、演じ切って、物語は幕を下ろす。
くり返して読んでみたい本だった。
「散る花をなにかうらみむ世の中に我が身もともにあらむものかは(古今 読み人知らず)」
-----この世に散らぬ花などありません。散ったとて、恨みに思うわけもありますまい。我が身とて生き永らえるわけでもないのですから…。
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面白かった!
最初はちょっと読むのしんどいかも?と思ったけど、どんどん少年漫画みたいな展開で面白くなっていって、それやのに内面を描くところは読ませるし、さすが藤沢周という一冊。
惜しむらくは、自分にもう少しこのあたりの教養があればもっと面白かったやろうにな・・・
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ナンチャンとオードリー若林の中で昔この本が流行ってたらしく、読んでみた。
舞台は佐渡。
著者は新潟市出身で、本書の中では流暢な新潟弁が披露されている。
自分も新潟市出身なので懐かしく読んでいたが、語尾の「だっちゃ」だけが引っかかった。
自分は聞いたことが無かった。
調べてみると佐渡弁なのだそうだ。
そういえばうる星やつらのラムちゃんも同じ語尾だし、作者の高橋留美子も新潟出身だったなと思いついた。
調べてみたのだが、ラムちゃんは仙台弁を参考にしたんだそうだ。残念!
海で発生した泡が花吹雪のように舞う「波の花」という自然現象も初めて知った。
この時代にもあったのかどうか分からないけれども西日本、東日本の文化あるあるがクスッとさせられる。
「その、馬鹿、言うのはやめてくれや。京の人間にはこたえるわ。」
アホならいいんだよねきっと。
ストーリーが重厚で悲劇的だけど、こういった小ネタやたつ丸の存在や、恋愛もちょっとあってとてもバランス取れてると思う。
また歳を重ねて再読したら感じ方が変わりそうな一冊。
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人物の心象に寄り添う表現
地の文も昔訛りの文で世界に入りやすい
ただ引っ掛けるためのひだのような棘のようながほしい
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-2023.06.16読了
齢72にして佐渡島へ流謫の身となった世阿弥の晩年を
見事なまでに描ききった感動の長編小説――
その佐渡暮らしで、世阿弥が舞ったという「雨乞能」
さらには20年余の佐渡流謫の身のまま儚くも散った<順徳院>に捧げし創作能「黒木」
そして「‥‥老木は花もあはれなり、今いくたびか春に逢ふべき‥‥」
西行法師ゆかりの、幽玄能「西行桜」――
これら世阿弥演舞の伝説が、島の民たちに能楽が普及、
時代降って江戸期には、佐渡の村々二百村に総て能舞台があった、という。
その名残は今もなお、佐渡島には30棟余りの能舞台が健在している。