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同意と反省の嵐。今自分の置かれた場所にマチズモがいかに張り付いているかよく見えた。
同時に自分は反対側にいるつもりであったが、『ただのマチズモ脱落者』で反対側で気持ち良くなっているに過ぎないこともよくわかった。これは自虐でなく出発点だと思う。
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ライターの武田砂鉄さんの本。
男性優位社会=マチズモ について担当編集者Kさん(女性)の檄文(げきぶん)から始まり、二人で考察して深く穿っていく、という内容。
「この社会は中年男性のための社会だ」と常日頃から痛感していた私としては、これを身近な男性全員に読んで欲しい、もっというなら日本中の男性に読んで欲しいと思うほどの内容でした。
この本の一番のポイントは、ジェンダー論を当事者であり被害者である女性の視点(Kさん)を取り入れながらも、男性著者(武田氏)が書いているところ。こういった内容の本でありがちな、「ほら、また女がなんか言ってる」を払拭してくれるのです。だって著者が男性だから。男性フィルターもきちんと通してますよ、というわけです。
いつも苦しい状況を「この人ならわかってくれるかも」と一縷の望みを抱いて吐露するも、「気にしすぎなんじゃない」「そんな大げさな」「被害妄想強すぎ」などと一蹴されてしまう。そういう経験は女性ならばかなりの人がされているのだろうと思います。
すべての章を読むのが面倒だなという人は、個人的には1、2、4、5、12章は必須で読んで欲しいと思います。
ちなみに本書で最も頷き度合いが強かった一文は、
【一体いつになったら、私たち(女性たち)は楽になるのか、というストレートな告発が重い。そのストレートな告発を避け続けてきた私たち(男性たち)は、もうすでに楽なのだ。】 ー 287ページ
この本を著した武田さんには「よく発行してくれました」という気持ちと同時に、「でも著者は今、同じ苦しみは共有していないんだよな」という一抹の寂しさが過ります。
男女平等問題というのは、何にもとらわれず、制約など気にせずに素通りできるフリーパスを持った存在=男性で、「それならフリーパス制度をなくしましょう!」もしくは「女性にもフリーパスを!」というシンプルな話なのですが、既に特権階級と化した男性たちは「いやいや、そんなとんでもない」と考えています(このことを著者は、(会社の人事では)「単純に実力不足」と表現しています)。その男性たちの地位の裏側には女性たちの死体が転がっていることに気づきもしないか、気づいていても見ない振りをしているのです。結局、我が身可愛さにそのまま現状が維持されればいい、苦労していた身分はこれからも自分達のために苦労していればいい、ということなのです。だから、女性が声を上げれば「ヒステリー」「被害妄想」「これだから女は」とこき下ろして何とか問題を別方向へと向けようとします。
この構造が頁をめくるたびにハッキリと浮かび上がってきて、(時折、著者が「何様のつもりだ」などと軽快に突っこんでくれるのがありがたいものの)当事者として読むと、とても重苦しい気持ちにさせられます。
「おわりに」で著者が述べているのですが、「最近、ちょっと言うだけですげー叩かれるじゃん」と被害者側にすっと立ち位置を変える男性たちにこそ、読んでいただきたい一冊です。
「個人を責めているのではなく、社会構造に疑問を投げかけている」ということを分かってもらえたら、この問題も、もう��歩、二歩くらいは先へと進められるのかもしれません。
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共感の嵐、経験したことの嵐でした。
会社生活でこういう話題は何故か御法度。男性の方が多い職場では敵が大きすぎて女性陣は誰も口に出さない。気付いているのに気付いていない振りを続けなければ自らの生殺与奪を握っている男性社員に何をされるか分からないからだ。その様はまるで中国に人権侵害をされている香港の方々やウイグル族の状況と一緒ではないだろうか。
性愛を含まない男性同士の絆、ホモソーシャルの発動。自分達の優位性、現状維持、保身を脅かされるのを恐れて裏では怯えているのに居丈高。自分達が割りを喰わないように目を光らせている。社会や組織が自分を守り続けてくれることを願っている…男性達のこういう姿勢に心当たりがありすぎます!確かにこういう男性達に女性は長年足を踏まれ続けている。そろそろ見識の高い北欧の男性達のように目覚めて貰えないでしょうか?悪いのは出産で働けなくなる女性ではなく社会の構造なのです。
ホモソーシャルという概念を模索する中でこういう記述がありました。『男性は小さい頃から、男は強くあれ、強くあれ、と幼い男児から見たら全世界であるとても叶わない母親に育てられ、実際の自分の実力と理想とされる強さをいつまでも獲得できない現実の狭間で葛藤を続け、社会に出て母親と同性である女性社員や妻を自分の地位より下に据え、ようやく自分は強くなった、と錯覚する。本来であればこういう葛藤は他者を下に据えて獲得する幼稚な手段に出るのではなく、自分の中でその葛藤を昇華させて乗り越えるのが自立した大人の方法なのだ』、という記述に出会いました。本当その通りだと思います。幼稚な男性が多い。
一方で嬉しかったことはこういう内容を男性作家が著していること。そしてこの本を沢山の男性が読んでくださり意識を変えようとしてくださっていること。それが凄く嬉しかったです。
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One for all All for oneは集団主義の日本社会では全体のために個人に我慢や負担を負わせることを正当化するために使われる。
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マチズモ、この本を手に取るまで意味をしらなかったわ。
スペイン語のマッチョが由来で”男らしさ””男性優位主義”の意味らしい。
著者の武田砂鉄はほんとうの意味でリベラルな人だと思う。
こういう人が増えてくれれば、もっと女性も生きやすくなるんだろうな。
結婚式はしたい人はして、したくない人はしないでいい。これ以上なんで?親はなんて言ってるの?
彼女のためにしたほうがいい。等は余計なお世話。
本人同士が決めたことなら、それが正解なんだね。
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読み進むうちに、腹が立ってきた。私の知らない差別がたくさん。犯罪さえも多い。魯山人みたいに昔の人の価値観は仕方ないと思う。自分でも、子供の頃から言い聞かされてるから性差別だと気づいてないこともあるのだろう。女性は必ず容姿で値踏みされるなとか、はっきり意見を言うと嫌われるとか、中学生くらいからは気付いていたが、21世紀でも変わっていないらしい。男性はこれを読んでどう思うだろう?私のまわりにはこの本を手に取る人はいないだろうと思うが、それも逆差別かな。
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「マチズモ」という言葉をこの本のタイトルを見るまで知らなかった。この言葉の元になっているらしい「マッチョ」という言葉は知っていたけど、それが「ラテンアメリカで賛美される『男らしい男』を意味するスペイン語」というのもわかっておらず、筋肉ムキムキの人あるいは状態を指すという程度に思っていた。だって「細マッチョ」とかの流れでしか聞いたことないし。
ということで、マチズモとは男らしい男が男らしさを押し付けまくる男性優位主義を指すんだそうだ。それを「削り取れ」とは、また穏やかではない。そう、この本は穏やかではない。穏やかどころか怒っている。怒りまくっているのである。
本著者は名前を見ただけでは性別がわからないが、男性である。彼に宛てて毎回女性編集者から檄文が届く。この檄文が怒っている。道を歩くだけで、電車に乗るだけで、女であることが時には恐怖の原因にもなる世の中に怒っている。この檄文に応える形で筆者が一緒に怒ったり自省したりする形で各章が展開する。
怒っている人に相対するのは疲弊する。それが文章でも同じである。なので、この本は疲弊する本であり、読後感が爽やかというわけにはいかない。若い女性であれば檄文を書いている女性編集者に共感し、普段はかき起こさないようにしている怒りの炎がメラメラと立ち上って疲弊するかもしれない。それよりも年長の女性であれば、もう麻痺したようになっている遠い怒りを思い出させられ、やるせない気持ちに鬱々とするかもしれない。
また、主にマチズモに対して怒りが生じているので、その体現主体である男性と性別を同じくする人(つまり男性)はこの本を読むとおそらく居心地が悪いであろう。別に読んでいるあなたに対して怒っているわけではないのに、この本にもあるようになぜか男を代表して居心地悪さを味わい、弁護に走りたくなるのではないだろうか。さらにちょっとくらいは思い当たることがある場合には、まさに自分に対する怒りに直撃されることになるので、本を閉じてしまいたくなるかもしれない。
じゃあいったいこの本誰得なんだろう? 各章できっちりと怒りの気炎を上げ続ける著者と編集者のやりとりを読みながら、私はそれが気になって仕方なかった。私自身にとっては特に新しい怒りがなかったからだけでなく、怒りでは人を不快にはできても説得はできないだろうと思ったからだ。そして本書を読み終わる頃には一応自分なりの結論が出た。
この本は、なんとなく不快だったり、居心地悪かったりしている全ての人に「それって本当はこういう仕組みのせいなので、怒っていいものなんだ、みんなもっと怒ろうよ」と言っているのである。もっと言えば、怒り方を教えているのであろう。
男性陣は、じゃあやっぱりこの怖い本はオンナに怒り方を教えてるってことで、オンナ向けなんだな、どうりで怖いはずだ〜クワバラクワバラ、と思われるかもしれない。いやいや、人類の半分しか怒らないのでは世の中は変わらないのである。マチズモの厄介なところは、マチズモに乗っかって成功した人のみはマチズモを維持したいという点なのだが、男性も本当は大半の人はマチズモがない方が楽に決まっているのである。
お互いに男性とか女性とか年齢とか出身とかの「属性」で判定し合うのはやめて、それぞれの「個」を尊重し合うようになれば、もっと多くの人が生きやすくなるはずである。そのきっかけとしてのマチズモへの気づきと怒りをもたらす本書、気持ちにゆとりのない時にはお勧めできないが、背筋を伸ばして読書できそうな時にチャレンジしてほしい。
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いつも利用している図書館の新着書リストの中で見つけて手に取った本です。
著者の武田砂鉄さんは以前から気になっていたライターさんなのですが、彼の著作を読むのは初めてです。
テーマは「マチズモ」。恥ずかしながら、私は初見の言葉でした。“男性優位主義”の意とのことで、武田さんはジェンダー平等意識後進国である日本における「マチズモ」の実態を次々に顕わにしていきます。
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面白かった。日ごろ感じる「男子スポーツ選手にはないのに、女性スポーツ選手は容姿や日常ばかり取り上げられる」とか、おかしいと思ってきたことをマチズモという視点で斬っている本。
細かすぎると思える指摘もあるかもしれないが、細かすぎるくらいの方が、この社会の「根」まで辿り着けるのかもしれない。
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有利な立場を生きてきた自分のこれからの生活に容赦なく響いてくる内容。
「考えすぎ」じゃないと削り取れないと思う。
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なかなか痛快で面白かった。編集者が日常で感じるマチズモを砂鉄さんにぶつけて、それを砂鉄さんが解体して文章化して炙り出してくれる。根深すぎて絶望的にもなるけど、削りとり、削りとりしていけば、、、少しはましになるのか。。典型的な自民党的なおじさんたち!自覚ないんだろうなぁ!
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マチズモとは、
「男性優位主義」を指し、男性としての優位性、男性としての魅力、特徴を誇示する、という意味合いがある。
読み切るのに「辛い」と感じてしまった。「飽きた。興味をひかれなかった。」自分が男だからなのか共感できなかった。
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具体的な社会のジェンダー問題があって、中には解決案が提示されているものもあって(痴漢の防止啓蒙、トイレの立ちションは自分で拭け、等)面白かった
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男性優位性への怒りがクリティカルな口調をまとってズバズバと表現されるため、つい「へ、へえ。」と愛想笑いを浮かべてこの場をやり過ごしたくなるが、それくらい、日本社会にとっての「当たり前」をぶっ刺してくる。
こんなにマチズモが日本社会の足元に根を張っていたのか。今日いつもの帰り道にある公共施設の前を通ったら、古びた防犯ポスターと共に「女のひとり歩きはあぶない」という立て看板があった。今まで気づかなかったけど、よく考えると謎スローガンすぎる。女にひとり歩きをやめさせるのではなく、「女のひとり歩きは危ない」社会を変えるべきなのにね。
こういう、いつもは素通りしていた「当たり前」にツッコミを入れる練習になった。
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マチズモという言葉を初めて知る。
男だって大変だとか、そういうもんだから、とか言って問題をすり替えたり、実態を伴わない女性への配慮のアピールをして満足する。
だいぶ良くなってきた、とはいえまだまだ残っているマチズモ。フェミニズムが叫ばれることで肩身が狭いと言う人は、女性蔑視な振る舞いを許されてきた過去より、許されない今をおかしいと言う。読了後、削り取れというタイトルが秀逸だなと思う。一気になくせるもんじゃないから、薄皮一枚分でも少しずつ削り取っていくしかない。地道に地道に削り取っていくしかないのだ。