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どんなことがあっても日常は続いてしまう、というのは最近の作品には多い終わり方だと思う。「オチ」があるわけではない、という意味で、この作品もそうだ。面白い終わり方でスッキリするわけではなくて、どちらかというと最後は開かれている感じ。委ねられていて不安になる。そんな終わり方。
著者の児玉雨子さんはずっと作詞家として知っていたから、読み進めていく中でどうしても作曲家の主人公を児玉さんに重ねてしまった。児玉さんは普段からああいうことを考えているのだろうか、と思ってしまった時点である意味負けだと思うけど、あえて負けにいくとするなら、児玉さんはもっと達観しているのかと思っていた。そんなことはなくて、かなり繊細な、そして確固たる意志を持って自分を自分たらしめているのだと読めた。これすらも「そう思わせる」書き方をしたのだとしたらうますぎる。私がこれを書くなら、自分がこう思ってないと書けない、というほど感情がリアルに描かれていたから。
読後の感覚の話で言うと同じ出版社から出ている「推し、燃ゆ」を読んだ時と少し似ていた。いや、全然違う、違うんだけど、これは感覚の話です。ただやっぱりこれも、この感覚すら作中のパクリ問題(これはほぼ本筋とは関係ないのでネタバレとはしません)を読むにすべて見透かされてるのかもと思ってしまう。分からない。わたしが児玉さんの歌詞を普段信用しすぎているし神格化しすぎているが故に全て「わかった上でこうしている」みたいに思ってしまう。
逆に、そこに意図がなかったとしても、そう思わせられる文章はすごいと思う。思わせるような詞を普段書いていることもすごいと思う。普段のアイドルとの距離も含めて。
色々書いたけれど、面白かったです。凸撃は結局少年がどうなったのかちょっと気になるからどこかで書いてほしい。
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話の構造面白い。極北の描写めちゃくちゃ的確。
センス溢れる罵倒。笑いながら胸を締め付けられるような当事者感。
先行する作家もいるような気はするけど、今の今、最先端に居るのではないでしょうか。
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2021年8月
今ーーー!って感じがする。コロナでマスク生活。
自分のモヤモヤを吐き出して、吐き出された先の相手はどうなるの。
ぐいぐい引き込まれて一気読みだった。
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児玉雨子さん。初読み。と言うか、たぶん一作目。
主にアイドル系の楽曲の作詞家をしており、なかなかお美しい人。
若く瑞々しい感性に満ち溢れた短編2編。
とは言っても、明るい内容ではない。むしろ若さ故の生きづらさを丁寧に描いている、という印象を受けた。
メッセージの絵文字まで文章で再現しているところには、作詞家としてのプライドを感じた。
本質を鋭い描写する方とお見受けした。
表現は更に研ぎ澄まされていくだろう。
次作がとても楽しみ。
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児玉雨子さん1993年
2021年出版だけあって、現代❣️
マスク生活の感じとか、表現とか。。
若い世代の方読んで納得かもだけど。。
人の物を盗んだ。病気。。。
文章がすーっと入ってこなかった。。。
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iPhoneやどうぶつの森、コロナに自粛生活の正に「今」の物語。
スタンプの絵柄の説明まであって、令和だなぁ〜という感じ。
表紙に惹かれて読んでみたが、著者は作詞家らしく作家ではないようだ。
そのおかげか、アイドルの裏事情がやけに生々しく、著者の言いたいことではないのだろうが、アイドルなんてろくな仕事じゃないと思った。
歌手なのに声すら奪われて、ルックスだけのポジション争いなんて、そりゃ病むだろうな。
読みながら、真子を抱きしめて「もういいよ」と言ってあげたくてたまらなかった。
真子からしたら大きなお世話で、心の中に土足で入ってこられて迷惑だろうけど。
生きているって、寂しいな。
真子がどうなるのか、また後半の少年の行く末が気になって仕方がない。
最後まで書くと情緒も何もなくなるかもしれないけど、結末がなかったのでこちらの気持ちも宙ぶらりんなのがつらい。
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著者の作詞が好きなので、今回この本を手に取りました。
自分が実生活でうっすらと感じていたことが、所々ではっきりと言語化されている2編でした。
『凸撃』p.147で宏通が少年に伝えたことは、あまり共感したくはないけれど、確かにそれが人間かもしれないな、と思いました。
(これは本の感想になのか分かりませんが…)『誰にも奪われたくない』の主人公レイカは、繊細なところが、著者が共作詞した、つばきファクトリーの『表面張力〜surface tension〜』の主人公を思わせる部分があるな、と思いました。
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「説明は、他人が知らない言葉を呪文にして威圧している気分になるから、なるべく生活する中で避けて通りたい」
どこかで急に羞恥を催す感覚すごくわかる。
誰かから突然押しつけられる「正論じみたもの」とそれに絡め取られてしまいそうな自分との折り合いをつけること。
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歌詞だと伝わってくるものが大きい。それと比べるとまだ小説はという気がする。何か「純文学」になっている気がする。
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面白いかと聞かれると答えづらいんだけど、なんか良かった。タイトルと内容がA面B面みたいな感じも良い。
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2023.8.4 読了
##NAME##が好きだったため、こちらも読んでみたが、こちらの方がもう少し文章に尖りがある比喩表現な気がする。好きな文章。みんななにかしら抱えているわねぇ。
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この作品は本当に自分にとって良い作品だった。
生き辛さを表現する作品は多いけど、この表現の仕方は斬新で面白かった。タイトルがこのように回収されると思わなくて驚いた。
「1人じゃ生きていけない」の解釈がとても面白い。
気付いたら1人で生きてなかった。みたいな感じで、自然に他者ありきの自分が成り立っていて、それは感情とか依存心的な話でもない。その点はこの本の魅力だと思う。
終盤の真子ちゃんの生き方はとても響いた。
これからは自分の力で自分を作るという強い意志がその人物にとても好感を持てた。
その反面1人で生きていくことは寂しくもあり、遠い存在にも感じてしまう。
こういったシンプルな意味でも1人で生きていけないのだと思う。
様々な何かを他者から吸収して、人が形成されるけど、じゃあその人を成り立たせるものは何なのか。
吸収され尽くしたらその人は何になってしまうのか。
せめて自分だけでも、自分が自分である為の何かを守りたいと思ってしまう。
1人では生きれないことと自分を守ることは正反対にも感じてしまい難しい。
自分個人の解釈はこのようになりました。
間違いなく読んで良かった本でした。
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著者が作詞家さんとのことで毛色の違う文章を読んでみたく。
コロナ禍、YouTube、iPhoneSE2、AirPodsPro、あつ森等が頻出し「現代の文章」を摂取した感覚。
会話の描写がテンポがいいようで流れるようにぬるりとした感覚を受けたのはLINEやチャットでの会話に慣れているからなのか、意外と目が滑らない。
自分を奪われたくない、だが無意識に自分も誰かから奪っているのか?盗んでいるのか?それがいいのか悪いのか。自己の生成とその中身を考えさせられた。
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わたしが初めて児玉雨子さんに触れたのは、アンジュルムの「乙女の逆襲」の歌詞だった。「テレビもなんにも夢さえ見てない、そうゆう世間もあたしを見てない」というちょっと後ろ向きな歌詞を、白いミニドレスで着飾ったアイドルたちに歌わせたMV映像が今でも印象に残っている。この楽曲がリリースされた2015年当時はまだ、テレビ文化は残っていただろうか。今ではもう若者たちの中心はYouTubeが台頭する動画文化にすっかり塗り変わってしまっていて、またニュース等の情報伝達もSNSのがはるかに迅速に行われているから、確かに「テレビもなんにも夢さえ見てない」時代が来てしまったように思う。
「誰にも奪われたくない」も「凸撃」も、どちらも閉塞感漂うコロナ禍を舞台に、鬱屈した感情の行き場を無くした人々の話のように感じた。「誰にも〜」の主人公のレイカは銀行員をしながら、アイドルに向けての楽曲提供を行っている兼業作曲家だ。仕事では突然の配置移動で慣れない金融商品の営業に従事させられ、その隙間に作曲を試みるも、思うようにコンペは通らない。またかろうじて採用されても、その曲は編曲の過程でレイカが思い描いたものとは違う形へと変化させられている。その中には原型がまったく残っていない箇所だってあって、実力不足に歯痒い思いをする。
仕事も作曲も、また一社会人としての生活も、毎日レイカは精一杯の努力をしている。しかしその努力が、必ずしも自分の望む形で昇華されるとは限らない。そうした誰しもが感じる現実へのもどかしさをかなりリアルに書き切っているので、自分が何かしらに行き詰まっているときに読むと、そちらに気持ちが引っ張られてしまいそうな気がする。
ヒトはそうした「ままならない気持ち」をどのように処理するのか。一番手っ取り早いのは、負の感情の掃き溜めを用意することだと思う。それは身近な家族や友人に話す、あるいはSNSの愚痴垢にひたすら書き込む等、いろいろな方法があるだろう。ちなみにわたしは愚痴垢派である。勿論人に話すことは悪くはないのだが、自分自身で処理出来なかった泥のような感情を勝手に押し付けておきながら、自分だけ楽な状態に、気持ちよくなってしまっているような罪悪感があるからだ。
所属グループに一、二曲提供しただけのぽっと出作曲家のレイカと、それを歌い踊るアイドルという立場の真子ちゃん。同性で歳も近い。全くの無関係というわけではないが、しかし、特別仲が良い訳でもない。このふたりの関係性を作中では「ちょうどよい距離感の他人」と表現されているが、わたしにとっての愚痴垢もそんな雰囲気だ。
ちょうどよい距離感の他人、まさにわたしのことが特別好きでも嫌いでもないような人だけを招待した場所。そこでひたすら自分の行き場のない気持ちを書き綴ると、少しだけ気が楽になる。勝手な感情の押し付けになりたくないから敢えて対人ではなく愚痴垢という手段をとっているので、フォロワーの誰からも反応は期待していない。しかし矛盾するようだが、自分以外誰もいないような無人のアカウントでこれと同じことをして、誰にも見てもらえていないという状況には孤独を感じてしまう。ただちょうどよい距離感で「誰かに見てもらえ���いる」という事実が、なぜだかわたしを安心させる。
しかし、レイカはそうしなかった。彼女は感情の捌け口を真子ちゃんに求めようとして、思い止まった。しかし真子ちゃんはピザパーティーの際、握手会の様子を神社にたとえながら、彼女自身がファンからの「捌け口」になっていることを語る。「握手会って神社なんですよ。合格祈願とか、結婚しましたとか報告してくるんです。お参りされてる。それか懺悔室。友達とか身近なひとに言えないけど、どうしても聞いてほしいことを一生懸命吐き出してくるところは同じだと思う」。
また、作中には彼女がSNSのエゴサーチを日常的にしているような描写もあった。そこに呟かれる内容が賞賛であれ批判であれ、真子ちゃんは一方的に様々な感情の捌け口になっていた。真子ちゃんとレイカの交流は、真子ちゃんの窃盗癖が発覚し、彼女のアイドル生命が途絶えたことで終わりを告げる。窃盗は擁護できないが、そうして多種多様な感情の捌け口になり続けた結果、真子ちゃんの精神はどんどん摩耗していったのではないか。そう思うと心臓のあたりが苦しい。
現実にもがくレイカを通して、我々も「誰にも奪われたくないし誰からも奪いたくないのに、我々は誰かしらから奪い、奪われながらでないと生きていけない」人間のままならなさに気づく。感情の捌け口を求めること、また感情の捌け口とされることで、互いの時間や気力を奪い合っているのだ。
「凸撃」はレイカの同僚、林を主人公にした短編。レイカ視点で見ればそつなく仕事をこなして、容量良く生きているような彼だったが、終業後や休日は喧嘩凸待ち生配信という薄暗い趣味に興じている。そんな彼の配信にやってきた問題児、「金キング」は16歳の不登校児。いじめが原因で中学から登校できず、人生を悲観した金キングはこのまま数々の凸待ち配信で暴れ回り、インターネットの世界で有名になることでいままで彼を害した全ての人間を見下して乞食して生きるのだと豪語する。顔や実名や住所、個人にかかわる全てを暴かれてもなおも配信の世界に入り浸る金キングに、林はいじめや性犯罪の被害を受けていた自身の過去を明かすのだが……。
「誰にも〜」で描かれた林はまあ嫌なヤツ、みたいな印象だったのだが、凸撃を読むと彼の人間像が分かってきて、そんなに悪いヤツじゃないじゃん、という気になる。配信で暴れ回り、知名度を増すごとに悪い意味での自信を身に付けていく金キングはなんとなく昔のゆたぼんを連想させられた。
「俺やリスナーは可哀想なお前でいわばオナニーしてるんだよ。あー、俺こんなチンパンみたいじゃなくてよかったーって。お前みたいな神も諦めるレベルの救いようもない低脳クソガキがハサミぶんぶん振り回してネットの世界で暴れ回ってる、そんな絶世の猿を目の当たりにするとどうしようもなく安心するんだよ。下には下がいるって。人ってそういうもんなの。だからお前は人気なの。」
林が淡々と語るこれらの現実は、まだ子どもである金キングには知り得ない世界だったのだろう。絶望した金キングの叫びが響き渡る最中、林はモニターを抱きしめる。それは行き場のない感情の捌け口をインターネットに求めたひとりのか弱い子どもを慰めるようにも思えたし、そして同じくインターネットに捌け口を求めた林自身をも肯定するかのようにも感じた。
汚いもの、薄暗いものをなにも吐き出さずに生きていられたらいいのに。人間である以上そうも生きられないのだから難しい。
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今っぽい〜!と思った。著者が作詞家ということを読んでから知って、なんか納得した。
「誰にも奪われたくない」の主人公の「わたしを林の中のわたしに変形させようとしないで」という言葉にハッとなったんだけど、「凸撃」がアンサーになってて良かった。