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結論は出ないが読む価値あり
2021/10/16 17:22
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:TTTT - この投稿者のレビュー一覧を見る
物理学者と哲学者の対談本です。
対談の議題に上がっているような哲学的な問いは大抵の人にとって考えたこともない問題であり、それに対して物理学者が疑問をぶつけるという形式ゆえに、読者のなかには「哲学者はなんて意味不明な、役に立たない仕事をしているのだろう」という感想を持つ方もいるかもしれません。
しかし、本書ではあえて両者の食い違いが大きい論点を集中的に取り上げていて、これらが科学哲学のなかで特に主要な研究テーマというわけでもないので、本書で初めて科学哲学という分野を知った人は誤解してしまう内容だと思います。
科学哲学そのものについて、より幅広く知識を得るには、伊勢田『疑似科学と科学の哲学』や戸田山『科学哲学の冒険』が読みやすいでしょう。
なお、両者の議論はほとんど平行線のまま終わります。
本書のような対談で、予定調和的に両者が何か1つの結論に到達しても面白くないでしょうし、どのような議論が存在するのかということ自体が多くの読者にとって目新しい情報なので、何が論点なのかを詳しく紹介してくれる本書には大きな価値があると思います。
両者のどちらが正しくてどちらが間違っているということは全くないのですが、1つだけ言わせてもらうと、須藤さん(物理学者)が科学哲学の分野としての意義を「自分にとっての価値」で判断しようとしている点には疑問を覚えました。
須藤さんは科学哲学に対して「何の役に立つのか」と問い、また科学哲学の議論が「科学者から見て納得できない」という点にこだわり続けます。それに対して伊勢田さん(哲学者)は、哲学者は科学者のために科学哲学をやっているわけではないと答えるのですが、須藤さんは納得していないようです。
ところが話が物理学のことになると、須藤さんは「物理学は何の役に立たなくてもそれ自体に価値がある」、「物理法則が正しいと信じる根拠は自分の美的感覚」と簡単に言い切ります。それを言い切ってOKと思うのならば、なぜ哲学に対してはそんなに説明を求めたがるのかという疑問が残りました。
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科学も哲学もよく知らずに読んだ上、ふだんからさして役に立たないことをぼんやり考えがちなので、読んでいるうちにだんだん辛くなってきたような…。 ここ数年大きな顔をますます大きくしてきた感のある「役に立たない学問」軽視は、これから先も本当に「役に立つこと」を得続けるのに不可欠な基礎部分をリスペクトしないので、薄っぺらで先細りの住みにくい世を招きそうです(で、もともと気持ちが沈みがちです)。とはいえ一方で「今すぐに役に立つ」以外の分野に社会性が少なくなりがちなことも確かにありそうで、それはそれで「だから余計大きな顔がどんどん大きくなっちゃうんじゃん!」と苛立ちたくなります(この本のことではないです)。
新聞に掲載される須藤先生の書評を楽しみにしているので、あの須藤先生から見ても「何だかなあ」的なものなのか…?、と、哲学者の先生にももっと頑張ってほしかった、というのが読んでいるときの正直な気持ちでしたが、それはもちろん本当は頑張りの問題じゃなくて、何か深いところまで行ってしまうとそこにいない人には伝える方法がなかなか見つからない、というようなことなのかもしれないです。基礎的な物理学というのもすぐに役に立つ分野じゃない、という点で世間の成り行きと闘っていらっしゃるのかな、と思いますが、まだしも哲学よりは世間に受け入れられやすいかもしれず、「科学哲学」という分野さえ初めて知った素人は混乱しながらも、でもそこのところ、せめて理系基礎分野の方々に対してもう少し伝わる幅が広がれば心強いのかな、と(誰がよ、ですが)思いました。
それはそれとして…。私にとっては言葉で他のひとと理解し合うための努力の、ある意味究極のあり方を一緒に体験させてもらえる本でした。この「解りあえなさ」を単純な解釈や結論に落とし込んで多少でも安易にすっきりする(その一番の見本が陰謀論かも…)ことをせず、どこまでもちゃんと解ろうとする、というこのストレスフルな諦めない強靭さこそ尊い、と感じます。とりわけコロナ禍とウクライナ侵攻の世の中で。
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2003年の増補版である。それはp.309-349の40ページである。もし読むのであれば、旧版でいいかもしれない。
理学部での科学哲学の重要性を指摘している。実際は科学から考えるというよりは、科学哲学をどう考えるか、ということであるので、文学部の哲学科で役立つであろう。
卒論で教育学部の物理専修で哲学で論文を書こうと思っている場合には参考として役に立つかもしれない、
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主な内容はお互いがズレた方向を見てお互いの宗教観で言いたいことを投げてるだけで、インターネットでよく見るレスバを見てるような気分。
想像と違って著者の物理学者が実はとんでもない人で、哲学を全く知らずに物理学だけが自然科学の主でそのやり方を疑うことを全て不毛だと切り捨てている。ヤバ本。
増補版にあたってはオマケの増補対談が付け加わっており、それがあるから本としての体裁が保たれている。最初の出版から8年後の二人が冷静に当時の議論を振り返っている。この振り返りが先に有ればもうちょっと有意義な議論が出来ただろうに。
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物理学者と科学哲学者が平行線の対談を繰り広げ「あー、そうなっちゃうよね」と思わせる本。
「実学」志向者が、もうちょっと他人にも伝わるように嚙み砕いた話し方をしたら? と言い、哲学の人が「それだと正確じゃない」と返す感じ…。
大学生とかのうちにこういう議論をしておく価値はあると思う。大半の人はその後は実学方面に向かうのだけど。
そういうすれ違い、簡単には決着のつかない議論を楽しむ本である。
そういう楽しみ方(?)を想定してか、両者の意見がすれ違うような話題をあえて選んだという。また、物理学者も意図的に挑発的な言い方をしているような印象を受ける。
なお、そもそも科学哲学は一枚岩ではなく
「科学哲学には、大きく分けて、少なくとも三つは違う興味の持ち方があって、形而上学的な議論(そもそも世界がどうあるのかということについて議論したい人)と、認識論的な議論(我々は世界についてどうやって知るのか、我々の知り方について議論したい人)と、そして、概念的な議論(言葉の意味について議論したい人)がいる。」
ということなので、1人の科学哲学者がそれらを代表して発言していると思って読むとわかりにくい(本人は代表という意識はないという)。
そんなわけで
「もっとバランスのとれた初学者向けの解説書としては、戸田山和久『科学哲学の冒険』(NHKブックス、2005年)、森田邦久『理系人に役立つ科学哲学』(科学同人、2010年)、伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会、2002年)などを読んでいただければと思う。」とのこと。