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甲野善紀先生を初めて知ったのが30年位前。
その当時から今までずっと第一線で活躍されている姿はさすがですね。
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古武術と言うキーワードで著者を知ったのは、中学生の頃。武術での体の使い方をスポーツに取り入れると言う観点で活躍されていることを知った。
著者や考え方や取り組みを知ったのは、この本が初めて。
やり残した事はもうないと言う気持ちとまだやることがあると言う気持ちが共存しながら死を迎えたいと言う書き出しに心惹かれて読み始めた。
途中、科学で解明されてない不思議な知恵かインチキ科学か判断難しいところもあるにはある。身を守るための受け身であったり、体の動かし方とかはとてもためになる。
また、筋トレなどジムでガチャガチャするよりかは、生きるのに必要に迫られての方が身に付くと言う考えなど普遍的なものもある。
著者は70を越えても、若い時には出来なかったことが増えているとか。
技術の紹介というよりかはエッセイだと思って読むのがしっくりくる。
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64歳でババナ→フロリダ横断を達成したダイアナ・ナイアド著の「対岸へ」を読んだので味わい深かった。
70歳になった甲野善紀さんが思うのは「最近の老人は」と思うらしい。彼が同年代以上で会いに行きたいのは野口裕之、養老先生、桜井章一、宮崎駿くらいらしい。
自分達には出来ない大きな問題を真剣に考え、いかに下の世代に託すか、人間が地球で自然に「生きる」とは何なのかと真剣に考えれば生きがいのない情けない老人にはなり得ないと言う。
彼が20代で悟った事「人間の運命は完璧に決まっていて同時に自由である」この言葉は4年間突然の癌罹患に苦しんだ筆者にとっては重い。
甲野善紀先生は70歳で「影観法」という我ならざる我という裏の意識を使った技が使えるようになったそうだ。凄い事を言うなぁと思ったのはイチローが50まで現役を続けると言ってたのに45で引退する事になったのは「どこかで自分は大したものだと満足した」部分があったからだと看破する。
甲野先生はアンチ筋トレ派である。筋トレは部分で身体を疲れやすくし筋肥大を目指す。弛緩から緊張へとグラデーションを速やかに全身を使うのが良い身体の使い方だがその使い方が筋トレでは身に付かない。必然性のない動きは身につかないとされている。
筋力、聴力、視力は衰える。だが身体の感覚、全体性、脳は多分一生成長する。この本を読んで残りの人生を身体の研究に捧げる事の決心がついた気がする。
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古武術研究家が、年を重ねて、「まだやりたいことがある」と「いつお迎えが来ても応じられる」と言う気持ちを同時に持っていることがあるべき姿だと考え、ちょっとした日常生活で使える知識や、食事法、自身の生き方と共に自分の身体感覚を取り戻す重要性を説いている。
筆者はコロナパンデミックを例にあげ、若い人の生活を追い詰めてまで自分の余命を延ばしたいと考える情けない老人が増えたことを嘆く。本人が言うように老人と言われる年代になった筆者だからこそ言える言葉だ。
紹介されているヒモトレや、身体の使い方は実際体験してみないと分からなさそうだが、残酷な現実の上に成り立っている食や腸内細菌の話などは武術だけでなく、あらゆる本を読み、また主宰する武術研究会においても、常に自分の感覚を基に、考え、行動してきた人という印象を受けた。
印象に残ったのは以下の部分。
役に立つ筋肉を作り、動きの質を高めるには必然性が必要だが筋トレにはそれがなく、身体の感覚ではなく頭でトレーニングしている状態
武術とは対応の原理であり日常生活での対応に活用できる。
相手と戦う動きを取るのではなく相手に寄せていくと相手の調子が狂う。
揚げ足を取ろうとする相手には借りを作らず、借りを作りそうになったらそく、倍返しし、距離をおく。
人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である
おかしいと思うことは多数派に流されることなく、自分で考えて生きれば少数でも共感する人が出てくる。
組織をかっちり作るより、緩くつながる。
学んでいる一人ひとりが自分流の開祖になる。