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2018年6月に起きた「新幹線無差別殺傷事件」。その加害者の動機と論理に迫るルポルタージュ。筆者がたどり着いた答えは、本の帯にあるように「国家に親代わりを求めた」ということ。
本書を読む限りでは、こうした事件を起こした要因の多くは本人の精神疾患や生育環境に因るようだが、「刑務所に入ること」に加害者は当初から異常なほど固執していた。一般的には、刑務所とは「不自由な場所」であり入りたくない場所であるが、この事件の加害者にとっては積極的に入りたい場所と捉えられている。
それは、刑務所とは人間どうしの複雑なコミュニケーションよりも明確で確固とした規則や規律によって運営されており、その規則や規律にさえ従うことができればそれでいい場所だから。死にたいと思っても、収監中の囚人は生かさなければならないということすら法によって定められている場所だから。自傷行為をしても看守が必ず止めてくれる。ハンストをしても胃に挿管されて無理やりにでも食べ物を摂取させられる。それらを通すことによって、自分には生きる権利があると実感できる。
著者自身もあとがきで触れているが、事件の被害に遭われた方、亡くなった方、そのご家族の方のことを思うと、実際の事件を題材にした文章を「消費」するように読むことは適切ではないのだと思う。刑務所が刑務所としてではなく福祉施設としての役割を担うようになっているということが言われて久しいが、本書からは刑事司法、福祉、家族とはなんだろうか、どうしたらよかったのだろうかといろいろ考えさせられた。
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2018年、東海道新幹線内で男女3人が殺傷される事件が起きた。男性が女性二人を庇う形で死亡したというニュースを覚えている方も多いだろう。犯人小島一郎の動機は「刑務所に入りたい」というものだった。よくある貧困から衣食住を得るための犯行かと思っていたが、本書を読み、小島の言う「刑務所に入りたい」はもっと深い意味があったことを知った。
小島が生まれたのは愛知県岡崎市。この頃、両親は仕事の都合で別居していた。母方の実家である岡崎には小島が生まれた年に、大工をしていた祖父が記念にと建てた家があった。小島はこの「岡崎の家」に最後まで強い執着を見せる。3歳の時、両親は再び同居し、一宮に引越すが、この一宮で父方の祖母に「お前は岡崎の子だ、岡崎へ帰れ」などと言われ(小島の話を信じるならば)酷い虐待を受ける。
小島にとって、岡崎は自分の居場所であり、決して追い出されない自分のための場所であるはずだった。しかし、就職後体調を崩し、岡崎へ戻った際、同居の叔父からは出て行くように言われてしまう。
決して追い出されないはずの「岡崎の家」から追い出された(と感じた)小島は刑務所にこそ、その代償を求めるようになる。刑務所はいくら反抗しようと、「出ていけ」とは言われないからだ。著者も書いているが、小島は家庭の代わりに国家に養育を求めたのである。最終章で描かれる、小島の刑務所内での様子はまさに「幼児帰り」と呼べるような行動で、彼の面倒を見る羽目になった刑務官たちが育て直しをさせられているかのようでもある。法律は条文通りに彼の生命を守り続ける。ガラス張りの観察室に入れられ、徹底的に保護されることで、彼は一応満足しているようだ。しかしそれは所詮満たされなかった家庭の代替行為に過ぎない。無期懲役の判決を受けた小島はこれから何十年も先、刑務所ですごさねばならないだろう。その間に、その代替行為の虚しさに気付くことはあるのだろうか。それともそれでもなお、刑務所にいることを望むのだろうか。
小島には元々発達障害があり、言われたことをそのまま受け取る特性があった。アスペルガー(今日ではASD)の得点は低く、ADHDと診断されるが、この物事を言われた通りに受け取り、融通が効かないという点はむしろASDに該当するのではないかと思う。「元息子」などと発言し、ネットで叩かれた彼の父もまたASDであるように思われる。母親はホームレスの支援活動などに精を出し、あまり息子の様子を気にかけていなかったようだが、幼少期にもっと適切な療育を受けることができたならば…と思わずにはいられない。
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2018年に東海道新幹線車内で起きた無差別殺傷事件。「刑務所に入りたい」という動機。無期懲役となった犯人の実相に迫るノンフィクション。
何とも後味の悪い作品。もちろん筆者のせいではない。犯人の意図の通り無期懲役の判決。無作為に殺された被害者のことを考えるとやりきれない気持ちになる。
筆者は3年間にわたり被告との面会、親族への取材を通じて犯人の実像に迫ろうとするが、結局犯人の本心には近づけない。
模倣犯まで生まれる無差別殺傷事件。結論こそ掴めないが事件の真相を丹念に取材した一冊でした。
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2018年6月9日に走行中の新幹線車両で、隣の席の女性と近くの席の女性に鉈で切りつけ、二人を庇った男性を襲い、死に至らしめた小島一朗への取材ルポタージュ。動機が「刑務所に入るため」で「無期懲役がよい」とのことで、無期懲役の判決に万歳三唱をしたことは話題になった。
小島被告には発達障害があり、ADHDとのこと。また猜疑性パーソナリティー障害があるとの診断だった。
著者は随分根気強く取材を行っていたのだなあ、とよく分かる。本人の中では理路整然としているのだろうが、他人からしたら支離滅裂だし、自己中心的としかいいようのない考え方。
人に迷惑をかけたくない、のに 殺人により刑務所に入ることは優先される、という。刑務所内の人権を向上しようとしているとことだが、他者の人権を制限したから刑務所に入ることになった人が大半ではないだろうか。その制限された他者の人権はよいのだろうか。
特に殺人は取り返しがつかない。どうやったって、失われた命は帰ってこない。自分が理不尽に命を奪われるようなことになったら、許せないと、小島被告は言う。でも、自分が奪った命については「自分が刑務所に入ることが(他者の命より)優先されると思った」と。反省もしないし、謝罪もしない。
母親や祖母が言ったという言葉を細かく記憶し、それに拘って、嘘をついている、とか、理不尽だと言う。
小島被告が受けた虐待の数々も家族からの暴言も、本当であるかもしれないけれど、家族にだって言い分はあるだろう。また被告が話を盛っている可能性だってある。事実、祖母と小島被告の証言は全く噛み合っていない部分がある。どんなに虐待を受けていたとしても、新幹線で他人を殺していい理由にはならない。自分の人権が守られなかったからと言って他人を殺していい理由にはならない。
彼に反省をさせることも殺人について後悔をさせることも無理なのだと思う。愛情や教育が人を更生させる、ということもあるだろうが、それらが全く効かないときも、私はあると思う。
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よくぞ、ここまで取材を重ね
よくぞ、ここまで綴られた
と思いました
読み進むうえで
何度も ふぅっ とため息
あまりに やりきれなくて
他の本に手を出し
しばらくして
また読みだすという
やりきれなさ、
まるで不可解、
理解不能、
それらを上回る
筆者の「なぜ?」の究明
に助けられて
なんとか最後まで
辿り着きました
あとがきの中で
インベカヲリさんが
ー個人を掘り下げることは、社会を見ることに繋がると 思っている
と言っておられる
確かにそうなんだろうけれど…
美輪明宏さんの本のどこかにあった
「根っからの悪人というのは いるわよ」
という言葉が浮かんできました
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ゔーん、難しい。
全然わからなかった。
誰の言っていることが真実なのかが。
どうしてこんな考えに至ったのか。
根本的には、欲しい時に彼が
思ったような形ではもらえなかった
母からの愛情がどんどん彼を拗らせたのかな。
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ちょっと言葉が出てこない。この犯人像は…。
死刑にはならないように、でも有期刑ではなく無期懲役となるように、計画的に無差別殺傷事件を起こした男を、継続的に取材したノンフィクション。ことさらに残虐な描写をすることなく、生育歴や人間関係を呑み込みやすいストーリーにまとめることもなく、取材者の実感に即して綴られている。覗き見趣味を煽るような事件ノンフィクションは苦手だが(読んでみたくなるのがイヤなのかも)、そういうたぐいではない。
犯人の小島は子供の頃から、刑務所か精神病院で暮らしたいと言っていたそうだ。理解に苦しむその願望はなぜ生まれたのか。不安定な生育環境や虐待、発達障害やパーソナリティ障害など、いくつもの要因が複雑に絡まり合っているのだろうが、それが無差別殺人につながっていくところに、戦慄を覚えずにはいられない。犯人の母や祖母がどこにでもいそうな、いや、と言うより社会的にも人間的にも普通以上にちゃんとした人に思えるのがつらい。
たまたま新幹線で犯人の隣に座り、いきなりナタで切りつけられた女性二人は、東方神起のコンサートの帰りだったそうだ。そこに割って入って犯人に立ち向かい、命を落とした男性は、後方ドア近くのすぐに逃げられる席に座っていたという。そのことが心から離れない。
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遺族が「事件の本当のところを知りたい」と言っていたが、裁判のとおりなのだろう。「刑務所に入りたいから殺人をした」
たとえ遺族が納得できなくても、それは被告人にとってまったくの真実だ。
ではなぜ被告人が刑務所に入りたかったというと、壮大な「試し行為」であったと解釈した。他人を巻き込んでまでのはた迷惑な試し行為ではあるが、当人にとってはそれほどまでに愛情に飢えていたということだ。被告人は読む本を間違えている。心理系の本まで手を伸ばせば、その結論にはいずれ到達していただろう。ただ、それを本人は頑なに認めないだろうけれども。
ここまで被告人と信頼関係を築いて多くのことを引き出せたルポ本は珍しい。称賛に値する。
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読み物として、興味深く面白く読了しました。が、著者も語っているように、被害者遺族が読んだら、怒り、虚無、とにかく許せない中身ではあろうと思いました。そういう意味で、面白いと言い切ってしまうことには、躊躇いを感じます。家族の有り様と、本人の所謂、適応障害のような資質が、このような事件を引き起こしたのでしょうか?解きほぐすには、まだまだ、情報が足りない気もします。裁判では何も明らかにならなかった、と、被害者が嘆くように、動機が不可解すぎるし、罪の意識が無さすぎる犯人ですが、著者は取材を通して、家族不適応と分析したようです。改めて、被害に遭われた方々の、ご冥福と、回復を祈ります。
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小島と向き合うことの、大変な苦痛に挫けそうになりながらも、よくも続けて来れたものだと感心した。
読みながらもほとんどが私には理解不能で、なんとか読み続けた時、最後に近い章でようやく、そうだったのかもしれないと腑に落ちた。
ヒトの心の不可思議はなんともならず、きっと家族ですらこうしておけばよかったとの思いすらないかもしれない。なぜなら、家族ですら、当たり前ながら個々のヒトであり、感情があるから。誰一人小島本人のためだけに生きているのではないから。
被害者とその家族の無念とこの先の人生の苦悩に思いを馳せると、果てしない己の無力に愕然とする。
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どうしてこういう異常な事が起こってしまったのか。
どうしてこういう異常な事になってしまったのか。
被告は電気工事士の資格も取得しています。本来なら知力的な力もかなり身につけられて、大げさではなくても、他の生き方がいくらでもできたはず。
被告は精神不安定で、発言は自己正当化です。
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正義感の底知れぬ恐怖を感じる。ありのままのわけの分からない膨大な量の文章は痛々しい。対しての家族のテンションは怖すぎる。とにかく余韻があるノンフィクション。
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犯人、頭はいいんだろうが手紙のいちいち気取った文章が鬱陶しかった。それを読んだ他者がどう思うか、みたいな想像力がなくて自分しかない。だからこその「刑務所に入ってそこで暮らしたい」との願望を叶えるための無差別殺傷事件なんだろうが。快楽殺人者ではないのに殺人を平然と行える、後から冷静に回想できるというのもそう。裁判で頓珍漢な発言をするのもそう。著者に血まみれの証拠物件を送ってくるのもそう。あるのは自分だけ。その自分がこうしたら他者からこう見られる、という想像力はない。配慮もない。
彼が襲った女性を庇って亡くなった男性は犯人とは対照的なエリートで運命の皮肉を感じる。
両親から捨てられて祖母に育てられた犯人。母親は子供を捨てて社会福祉活動なんてやってる場合じゃないだろうに本人はそう思ってないらしい。不思議な人だ。山上被告と統一教会信者の母親がオーバーラップした。母親への執着が歪んだ形で表れたような節もある。
「一人殺して無期懲役になりたい」とか「死刑になりたいから殺人する」とか言う人間から身を守る術なんてない。運だけがすべてだ。
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家族の愛情を得られずに育った小島は、
その代わりを刑務所を運営する
「国家」に求めている。
無期懲役になって死ぬまで
三食きちんと食べさせてもらい、
仕事も与えてもらい、
風呂にも入らせてもらい、
粗相をしても始末してもらい、
とことん面倒を見てもらうつもりだ。
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こんなに屈折した身勝手な理屈で、大切な家族を失った被害者家族の無念を思い、怒りに震えながら読み通した。