紙の本
今まで本の中に友だちがいると知らなかった人に、アンに出会ってほしいと願う。
2009/07/28 22:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
アンは、いったいいつからそばにいたのだろう。
「彼女」が「私」にとってどういう存在なのか書こうとすると
言葉がなかなか出てこないものである。
読んだ本について自分の言葉にするなんて意識していなかった頃から
ずっとそばにいたからだろうか。
もしかすると、本を手にするより先に
世界の名作劇場を見ていたのかもしれない。
でも、本を手にしたのはアニメを見てからそれほど後でもない。
当時、村岡花子さんの訳で、
図書館にあった紫色の本で10冊シリーズを全部読んだ。
いや、読んだ気になったというほうが正しいかも。
アンが出てこない、村の人のエピソードばかりのは、
ちょっとたいくつだったりもしたので、
あまりきちんと読まないで返してしまった記憶がある。
これらの味がわかったのは、大人になってからだった。
中学生か高校生になると、
モンゴメリの書いたほかの作品が、気になって、読んでみたものである。
お気に入りは、『青い城』だった。
アンシリーズ10冊を購入して、
もう一回きちんと全部読もうと思ったのが、4年前だった。
書評フェアの『赤毛のアン』を歩くを見ると、
こんなにたくさんの仲間とつながっているんだなぁと思う。
赤毛のアンは、訳を手がけた人も多い。
そのあたりは、まざあぐうすさんのこちらの書評に詳しい。
私は、最近まで、訳の違いはあまり気にしていなかったのだが、
『旅路の果て』を読んだときに、
掛川恭子訳は、「あいよぶ魂」という表現を使っていたことを知った。
「あいよぶ魂」の原語は、kindred spiritであるが、村岡花子訳では、
これをはっきりと「魂」と訳出していない。
bosom friendには「腹心の友」とはっきりと訳を与えているため、
子ども時代の私には、こちらの言葉は印象的で、
今でも、「腹心の友」と求めているようなところがあるくらいだ。
ちなみに、kindred spiritの訳については、
サイト上で考察している方がいらっしゃる。
赤毛のアンについては、出版されている関連本ばかりではなく、
ネット検索で、ファンのページを見つける楽しみもある。
さて、今回、私が、本書を改めて手にしたのは、
自分が赤毛のアンを再度読み味わいたいからでは、実はない。
今まで、本を読む楽しみをあまり味わってこなかった方に、
この本を手にとってほしいと願うからである。
この書評をお読みの方は、たいていは読書家の方であろう。
『赤毛のアン』の書評をご覧になるのだから、
やはりこの本を好きな方、児童書に興味のある方だろうと思う。
今回、私がこの本を届けたいのは、
そのあなたのそばにいるかもしれない、
まだ読書を趣味とはされていない方だ。
まったく興味がないわけではなくて、
本当は読みたい気持ちを持っているのだけど、
字がたくさんの本は、敬遠してしまう方だ。
印刷された活字の本を読むことが困難な人がいる。
視覚に障害のある人は、すぐに想像できるだろう。
だが、視覚にも聴覚にも障害はないのだが、
活字、音声、意味を結びつけることが苦手なため、
読書が困難なディスレクシアの方もいる。
DAISYという、
通常の印刷物で提供される図書や情報を
読むことができない人の読書を支援する
アクセシブルな情報システムがある。
マルチメディアDAISY図書は、パソコンで、音声を聞きながら、
同時に、テキストと画像を見ることができる。
『赤いハイヒール』というマルチメディアDAISYのCD-ROM付きの図書があるが、
その「立ち読み」の2ページ目で
マルチメディアDAISYの再生画面のイメージを見ることができる。
(1ページ目が該当箇所の書籍のページである。)
日本ライトハウスは、ポプラ社の協力で、
本書と『へんしんぶうたん!ぼくだけライオン』の
マルチメディアDAISY版を作成した。
2010年3月末日までキャンペーンを行っている。
マルチメディアDAISY版を希望する図書の活字版を購入し、
活字版に付いている『ダウンロード用ID・パスワード引換券』を
ハガキに貼って応募する形になっている。
キャンペーンの詳細は、日本ライトハウスのページにある。
私自身も、マルチメディアDAISYの普及に関わってきたが、
赤毛のアンのような長い作品を、
マルチメディアDAISY図書で読むのは、実は、はじめてである。
ここまで長いテキストのものができるのは、
出版関係者の協力があってこそなのである。
青空文庫から、
テキストをいただいて製作するするだけでなく、
著作権者や出版社の協力の下で、原本と同時にごくごく普通に
マルチメディアDAISY版が出版される日が来ることを願っている。
このキャンペーンにより、
マルチメディアDAISY版を必要とする方に本が届き、
また、読書に障害のある人の意見がフィードバックされて、
マルチメディアDAISY図書が進化することを願っている。
そして、今まで本の中に友だちがいると知らなかった人に、
アンに出会ってほしいと願う。
紙の本
大人になってから読み返すと
2013/03/13 20:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わこう - この投稿者のレビュー一覧を見る
久しぶりに赤毛のアン読み返してみました。
子どもの頃に感じたアンの世界へのあこがれを懐かしく思うと同時に、
今読むとすごく深い話として受け取れました。
どんな境遇でも楽しむことを忘れないでいたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
アンは、いったいいつからそばにいたのだろう。
「彼女」が「私」にとってどういう存在なのか書こうとすると
言葉がなかなか出てこないものである。
読んだ本について自分の言葉にするなんて意識していなかった頃から
ずっとそばにいたからだろうか。
もしかすると、本を手にするより先に
世界の名作劇場を見ていたのかもしれない。
でも、本を手にしたのはアニメを見てからそれほど後でもない。
当時、村岡花子さんの訳で、
図書館にあった紫色の本で10冊シリーズを全部読んだ。
いや、読んだ気になったというほうが正しいかも。
アンが出てこない、村の人のエピソードばかりのは、
ちょっとたいくつだったりもしたので、
あまりきちんと読まないで返してしまった記憶がある。
これらの味がわかったのは、大人になってからだった。
中学生か高校生になると、
モンゴメリの書いたほかの作品が、気になって、読んでみたものである。
お気に入りは、『青い城』だった。
アンシリーズ10冊を購入して、
もう一回きちんと全部読もうと思ったのが、4年前だった。
赤毛のアンは、訳を手がけた人も多い。
私は、最近まで、訳の違いはあまり気にしていなかったのだが、
『旅路の果て』を読んだときに、
掛川恭子訳は、「あいよぶ魂」という表現を使っていたことを知った。
「あいよぶ魂」の原語は、kindred spiritであるが、村岡花子訳では、
これをはっきりと「魂」と訳出していない。
bosom friendには「腹心の友」とはっきりと訳を与えているため、
子ども時代の私には、こちらの言葉は印象的で、
今でも、「腹心の友」と求めているようなところがあるくらいだ。
ちなみに、kindred spiritの訳については、
サイト上で考察している方がいらっしゃる。
赤毛のアンについては、出版されている関連本ばかりではなく、
ネット検索で、ファンのページを見つける楽しみもある。
さて、今回、私が、本書を改めて手にしたのは、
自分が赤毛のアンを再度読み味わいたいからでは、実はない。
今まで、本を読む楽しみをあまり味わってこなかった方に、
この本を手にとってほしいと願うからである。
この書評をお読みの方は、たいていは読書家の方であろう。
『赤毛のアン』の書評をご覧になるのだから、
やはりこの本を好きな方、児童書に興味のある方だろうと思う。
今回、私がこの本を届けたいのは、
そのあなたのそばにいるかもしれない、
まだ読書を趣味とはされていない方だ。
まったく興味がないわけではなくて、
本当は読みたい気持ちを持っているのだけど、
字がたくさんの本は、敬遠してしまう方だ。
印刷された活字の本を読むことが困難な人がいる。
視覚に障害のある人は、すぐに想像できるだろう。
だが、視覚にも聴覚にも障害はないのだが、
活字、音声、意味を結びつけることが苦手なため、
読書が困難なディスレクシアの方もいる。
DAISYという、
通常の印刷物で提供される図書や情報を
読むことができない人の読書を支援する
アクセシブルな情報システムがある。
http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/
マルチメディアDAISY図書は、パソコンで、音声を聞きながら、
同時に、テキストと画像を見ることができる。
日本ライトハウスは、ポプラ社の協力で、
本書と『へんしんぶうたん!ぼくだけライオン』の
マルチメディアDAISY版を作成した。
2010年3月末日までキャンペーンを行っていたが、
これは無期限のキャンペーンとなった。
原本に付いている『ダウンロード用ID・パスワード引換券』には、
受付締め切り日が2010年3月末日となっているが、
今でもこれは使える。
マルチメディアDAISY版を希望する図書の活字版を購入し、
活字版に付いている『ダウンロード用ID・パスワード引換券』を
ハガキに貼って応募する形になっている。
キャンペーンの詳細は、日本ライトハウスのページにある。
http://www.iccb.jp/rec/multimediadaisy/mmd06.html
私自身も、マルチメディアDAISYの普及に関わってきたが、
http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/book/index.html
赤毛のアンのような長い作品を、
マルチメディアDAISY図書で読むのは、
このときの赤毛のアンがはじめてだった。
(現在は、その経験はもう少し積んでいる。)
ここまで長いテキストのものができるのは、
出版関係者の協力があってこそなのである。
青空文庫から、
テキストをいただいて製作するするだけでなく、
著作権者や出版社の協力の下で、原本と同時にごくごく普通に
マルチメディアDAISY版が出版される日が来ることを願っている。
このキャンペーンにより、
マルチメディアDAISY版を必要とする方に本が届き、
また、読書に障害のある人の意見がフィードバックされて、
マルチメディアDAISY図書が進化することを願っている。
そして、今まで本の中に友だちがいると知らなかった人に、
アンに出会ってほしいと願う。
投稿元:
レビューを見る
古典。初めて読む。
花、服、髪の話題に夢中になる「女子」の話なので、「男子」にはなかなか取りつく島がないと敬遠していたのだったが、いまの私には、子供が成長する家庭とコミュニティの話として読んだ。
キラキラと止まらないアンの話を聞く時の、マシュウとマリラの誇らしさと喜びは、いかばかりかと思われた。
細部こそ異なれ、私の子供時代もこんな風だったと、皆が信じればこその「古典」なのだが、
いまでは、そんなふうに思いにくくなっているようにも感じられ、この罪のない古典が永く普遍であり続けることを願うばかりだ。
投稿元:
レビューを見る
話が長いけど100年前の生活がよく分かる。アンの生き方を読むととても勇気をもらい、参考にしたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
とおらなかった児童文学をよんでみるシリーズ。カナダの観光ガイドでは必ずでてくるプリンスエドワード島。憧れるような風景や古典的でノスタルジックな生活、アンのまっすぐで、かわいらしい性格が楽しめる。
風景も性格もど真ん中にきらきらし過ぎて、秘密の花園のようなミステリアスさは感じられず、大人には物足りない印象。
子供は、シリーズ読破すると言ってました。
投稿元:
レビューを見る
この夏休みは、懐かしいものを読もうと心に決めていたので
図書館の児童文学コーナーへ。
パッと目についた
赤毛のアンシリーズにした。
放送していたハウスのアニメは見てなかったけど
先日OPを見る機会があって
すごくよかったので
それもあってアンにした。
見てた「花子とアン」の
村岡花子さんの訳!
すご〜い、いまでもこれなのか。
〜〜しなすった
とかなかなか古い表現もあるけど
基本的には児童向け、
とても読みやすい。
(かといって字が大きいわけではないから、やはり読みやすい)
子どもだったころは
そう思わなかったけど
大人の目から見ると
アンはちょっとめんどくさい子どもだな(笑)
うちの子だったら大変だったわ(笑)
でもけっしてだめな子ではない、
がんばりやさんで聡明な子だ。
だから、これだけ続きが書かれたのだろう。
アニメみたいに
一話一話が短くて
ホントに彼女たちの生活を追って見てるような気持ちになる。
投稿元:
レビューを見る
不朽の名作。今回は少女向けの文庫で読んだ。日本語訳がかなり古いものなので、多少の違和感あるものの、やはり名作。健気なアンを取り巻く物語は、いつの時代でも愛されるべきものだと思う。
投稿元:
レビューを見る
私の人生を一冊の本にするならば、その第一章の終わりにこの本との出逢いを書きたい。そう思うくらい大切な一冊です。当時の私は挿絵の少ない本を読む経験があまりなく、また古典ものの海外文学を読むのもはじめてのことでした。少ない情報、馴染みのない世界観のなか、足りないところはその都度空想して補って読んでいきました。マシュウとアンが話しこみながら馬車に乗って行く帰り道に広がる濃い紺と銀砂をまぶしたような星星の空。舌に触れるとあまりの甘さに痺れるようなルビー色のいちご水。私とアンの二人で作った、私達だけの「赤毛のアン」です。アニメやドラマが幅広い世代で親しまれている作品ですが、文字や小さな挿絵たちをもとに自分で想像して創り上げていく。そんな読み方の楽しさを、これからこの物語に出会うこどもたちにも経験してほしいと思います。
投稿元:
レビューを見る
児童文学を読もうと手に取った、赤毛のアン。主人公のアンは孤児院で辛い思いも沢山してきた。それでもマリラとマシュウに引き取られ、ダイアナと親友になり、真っ直ぐに育っていく。アンの想像力の豊かさと持ち前の明るさは人を引き付ける魅力がある。それはマリラやマシュウがアンを見守り受け入れたからアンは安心してのびのびと居られたのだと思う。アンのおしゃべりの言葉の表現力は読んでいて明るい気持ちにさせてくれた。大人になって読むとアンももちろん魅力的だけど、マリラとマシュウの愛情の深さに感慨深い気持ちになった。