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現代における民主主義の衰退と権威主義の台頭を鋭く分析したエッセイ。アン・アプルボームは、ピュリツァー賞を受賞した歴史家・ジャーナリストであり、彼女の洞察力と経験が本書に色濃く反映されている。アメリカのトランプ政権やイギリスのブレグジット、ポーランドやハンガリーの権威主義政権の台頭など、具体的な事例を通じて、民主主義がどのようにして危機に瀕しているのかを描く。
― 本書は欧米で見られる権威主義を扱っているが、読者は読み進むにつれ、語られる多くの事象がよそ事ではないことに気づくのではなかろうか。たしかに、日本の政治状況を権威主義と呼ぶには、ポーランドのカチンスキやハンガリーのオルバーン、トルコのエルドアン、ロシアのプーチンのような際だった個性を失いている。だが、発現の仕方がいかにも日本らしく集団的であるにすぎない。民主政治の劣化は共通している。
本書で語られる権威主義とは、政治的な側面で、従い民主主義の衰退と対比される内容である。私が知りたい権威主義は、もう少し広い範囲で、人間がそれに対して畏怖して、つい従ってしまうような権威とは何か、であった。我々は何に弱く、盲目的にどのようなものに従うのか。それは例えば、高学歴であったり、資格を得ることが難しいような職業であったり、肩書きであったりする。それらは法規範と同様に、この社会のルールとして組み込まれたものとして、既に所与の前提として馴染んでいる。郷に入っては郷に従え、という気分のようなものだが、言い換えれば、電車内で発生した問題は車掌に聞け、学校で起こった問題は先生が解決する、病院では医者に従え、という社会のルールに近い。つまり権威とはルールの中で設定された役割のようなもので、この社会のルールが、“希少性の高いレッテルを権威として重んじろ”という事なのだろう。その他者の価値観を共通認識として、自らの価値観に反映させ、相互に作用させながら、序列を作り上げていく。
更に面白いのは、人に貼りつくような肩書だけではなく、放たれた言葉そのものにも権威が宿るという事だ。それは発話者から分離され、完璧な論理である場合に言葉そのものが評価される場合もあるし、発話者が権威者であれば、どんな言葉でも価値があるように感じるという場合もある。
極力、先入観をもたぬよう、権威を意識せずに判断が出来ればと思う。