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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
開高健さんのベトナム戦争のルポルタージュで、興味深く読むことができました。写真も記録として、素晴らしかったです。
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開高健(1930~89年)氏は、大阪市生まれ、大阪市立大卒の小説家、ノンフィクション作家。『裸の王様』で芥川賞、『玉、砕ける』で川端康成賞、一連のルポルタージュ文学により菊池寛賞を受賞。
本書は、ベトナム戦争初期の1964年末~65年初に100日間、臨時特派員としてサイゴン(現ホーチミン)に赴いた開高氏が、「週刊朝日」に毎週送稿したルポを、帰国後本人がまとめ、1965年3月に出版したもの。1990年に文庫化、2021年に(一緒に赴任したカメラマン秋元啓一氏の写真を新たに加えて)新装版として再刊された。
私はノンフィクション物を好んで読み、ベトナム戦争について書かれたものとしては、「安全への逃避」でピュリツァ―賞を受賞したカメラマン沢田教一を描いた青木冨貴子『ライカでグッドバイ』や陥落前後のサイゴンを記録した近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日』なども読んだが、本書は開高氏の代表的なノンフィクション作品であると同時に、様々な論議を呼んだものであることから従前より気になっており、今般新装版を手に取った。
本書は、上述の通りルポルタージュであり、(当然のことながら)開高氏が実際に現地で見、聞き、行ったことが書かれている。その中には、サイゴンの街中でベトコン少年兵が公開銃殺されたのを目撃したことや、ジャングルでの作戦に参加して九死に一生を得たこと(200人いた大隊のうち、生き残ったのは開高氏を含めて17人だったという)などが含まれ、かつ、ベトナム戦争の実態が国外へはほとんど伝わっていない戦争初期のものであったことから、日本の人々に与えた衝撃が大きかったであろうことは容易に想像できる。また、本書の大きな特徴のひとつとして、開高氏が作家であり、ルポとしての切れ味に加えて、表現力が豊かということは間違いなく言えるだろう。
一方で、本書については、以下のような批判もあったようだ。
◆吉本隆明氏は、雑誌「展望」(1965年10月号)に、(ベトコン少年兵の公開銃殺を見て、開高が吐き気をもよおす部分について)「この作家が、二十年にわたる<平和>な戦後の有難い<民主主義>とやらの現実のなかで、政治的なまた大衆的な国家権力とのたたかいのなかで敗れ、思想的に死んでいったひとびとや、<平穏>な日常生活のなかで、子を生み、育て、一言の思想的な音もあげずに死んでゆくひとびとを、<銃殺>された死者として<見る>ことができず、わざわざベトナム戦の現地へ出かけて、ベトコン少年の銃殺死を見物しなければ、人間の死や平和と戦争の同在性の意味を確認できなかったとき、幻想を透視する作家ではなくただ眼の前でみえるものしかみえない記者の眼しかもたない第三者にほかならないのだ。」と書いている。
◆ノンフィクション作家の沢木耕太郎氏は、雑誌「考える人」(2012年秋号)に、「基本的にジャーナリストというのは、現場の人々や自然にとって闖入者です。その闖入者が、平和な日本では見られないものを見て動揺したり、おののいたり、人生観が変わるようなことはありうるでしょうけど、ベトナムという現場にとって、あるいはベトナム人にとってそれはどう映るんだろう、という気がするんです。・・・自ら望んでそこに赴いた闖入者でも、苛烈な体験をして���揺したり沈思したりすることに対するもうひとつの目を持ったうえで書かれていれば、いいと思う。僕は、『ベトナム戦記』のときの開高さんはこの時、すごく無防備に書いていると思う。自分をもうひとつの目でしっかり見て描いていないという気がする。・・・あの襲撃されて命からがら逃げるというシーンには、「ああ、これでレポートを書き終えることができる」と思った感が、濃厚にある。・・・ベトナム人にとってその態度はどうなんだろうと思うんです。」と書いている。
◆ジャングルでの作戦に参加して九死に一生を得た部分について、そのノンフィクション性へ疑問(要するに、ここの記述に創作が含まれているのではないかという疑問)を呈する向きもある。
開高氏は、これらの批判も踏まえて、小説『輝ける闇』(1968年)を書いたと言われているのだが、そちらもいずれ読まなくてはならないと思っている。
本新装版には秋元氏(本書の中では「秋元キャパ」と書かれている)の多数の写真も収録されており、記録としても価値のある一冊と言えるだろう。
(2022年2月了)
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真実の在処を-仮に真実があるのならば-探して
何が起こっているのか、起こっていることの本質は何なのか
見えない何かを描写しようと開高健はもがく
そのもがきが滲み出る本著はわかりやすいルポタージュの類では全くない
かといって、難解さのために難解さを重ねたような本でもない
この難解さこそが真実なのである
これこそ作家の仕事だと痛み入った
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本当に久しぶりに、開高健の文章を読んだ。
年譜を振り返ると、平成元年に亡くなっているから、もう33年も経つのだ。
僕は開高健のエッセイが好きで、若い頃よく読んだ。
圧倒的な語彙とユーモア。そして、簡潔な表現。
釣り、食、読書など、森羅万象に通じているのではないかと思うほどだったが、その彼が、「戦争」をルポしたらどうなるのか。
目の前で少年兵の処刑(銃殺)を目撃した部分が、一番印象的で、処刑のあとすぐにその場が掃除され、あっという間に何事も無かったかのように、日常を取り戻す。
しかし、目撃者の開高健は気分が悪くなってしまう。
後に出てくるいつ撃墜されるか不安に駆られながらヘリに乗るところや、ベトコンに襲撃され命からがら逃走する場面より、処刑の場面が一番印象に残った。
光文社文庫で開高健のエッセイの多くが、復刊されている。
中でも「白いページ」は再読したい本である。
岩波文庫、岩波現代文庫でも小説が読めたと思う。
また、開高健を時々、読みたいと思う。
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60年代末の文章表現は、今ほどの社会的規制を受けていない表現の自由に嫌悪感も感じるが、戦争の嫌悪感なのか渾然一体となって区別できない感じが、芸術性を感じる。
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こちらを読んだ後、マジェスティックホテル にどうしても行ってみたくなりホーチミンに行った。ホテルのロビーの窓は赤、白、水色、黄色、緑を使ったステンドグラスがはめ込まれていて、そこから光が入って美しかった。目の前のサイゴン川には蓮の花が流れこの景色を開高さんも見ただろうかと、思いを馳せた。
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軽妙な文体でベトナムの様子が描かれる。
前半は都市部や農村部、後半は戦闘の行われるジャングルが舞台となるが、その(現代の日本で暮らす身からすると)異常な空気感がありありと伝わってくる。
特にジャングルでの戦闘に巻き込まれた時の筆者の混乱や恐怖は読んでいて胸が詰まる思いだった。
ベトナム戦争はアメリカ人の視点で描かれた映画はいくつか見てきたが、南ベトナム人の視点を紹介したものは初めてだったので、興味深かった。
古い本ではあるが、今読んでも価値のある一冊だと感じた。