紙の本
チベットを目指した仏教者の純粋
2008/10/30 20:27
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mayumi - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治時代、チベットを目指した仏教者、能海寛の足跡をたどる歴史ミステリー。
能海寛は実在の人物だが、実際彼になにがあったのかは、わからない部分が多い。それを、同じようにチベットを目指していた日本人や、西欧列強、そして西欧に踏みにじられた中国人たちの姿を通して、描いている。
能海自身は、生真面目で面白みに欠ける。そこを他の登場人物が、独特のケレンミで補っていく。
まるで、曼荼羅のようだ。
中央で、仏は何事にも動じないアルカイックな笑みを浮かべている。その回りを様々なものが、それぞれの思惑や、使命のために、浮き沈みしている。
読んでいる途中、ある意味没個性な主人公でよくここまで話をもっていけるな、と思っていたのだが、今わかった。
これは、能海を中心とした曼荼羅なのだ。だから、ただただ、能海は仏のために足を進めればいいのだ。
けれど、この歩みは狂信なのだろうか、それともあまりにも純化された信仰なのだろうか。
ともあれ、これは読み人によって様々な読み方ができる1冊であることは確かだ。
チベットの山々を越える山岳小説であるともいえるし、西欧列強に対するスパイ小説でもあり、復讐譚でもある。
そして、北村鴻の引き出しは無限であるらしい。
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出会ったときから気づいていたが,能海は肩から掛けた頭陀袋をひとときたりとも手放そうとはしない。船室から出るときはいうに及ばず,用便所で苦しんでいた最中にあってさえも,それを我が身から離すことはしなかった。はじめのうちこそ,よほど大切なものが入っているのだろう,ぐらいにしか思わなかったが,あまりの執着ぶりが揚用には奇異なものに思えてきた。むろん,旅とは危険との背中合わせである。盗人,追いはぎ,なにが襲いかかってくるかわからないのが旅であることを,揚用はよく知っている。それでなくとも旅人は,少なからぬ資金を所持している。金は絶対に肌身から離してはならないのが鉄則でもある。だが,能海の頭陀袋の中身は金ではない。目の飛び出そうな大金を,腹巻きから取り出す場面を幾度も目にしている。
では,彼が死守しようとしているものはなにか。
(本文p28-29)
※ひとこと※
歴史ミステリー。ひたすら真面目な仏教者・能海が,本人に関係なく策略に巻き込まれてしまう姿が面白くもあり,気の毒でもあり。
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“不惜身命”仏道のために一命を賭して西蔵(チベット)の聖地・拉薩(ラッサ)を目指した仏教者がいた。その名は能海寛。時は明治、近代国家形成に向け必死に背伸びする日本を取り巻く情勢は、その苛烈さを増していた。アジアにあって地勢の要衝であるチベットを制するために欧米列強の触手が伸びる。世に“グレートゲーム”といわれる覇権競争である。仏教再興のためチベット潜入という壮挙を図りながらも、思いなかばで行方を断った能海の足跡を辿りながら、“歴史のif”に挑む著者会心の歴史ミステリー巨編、待望の文庫化。
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仏教の力が弱まってきた明治時代。
原点にもどり、チベットの経典を求めて険しい道行をする主人公。
純粋な仏道のためだけにチベットを目指しているのだが、
開国し国力を強めようとする日本の思惑に結局振り回されてしまう。
主人公と同行する人達も癖があり、惹きつけられる。
面白い。
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明治、仏教の聖都西蔵(チベット)・拉薩(ラッサ)を目指した仏教徒が数人いる。
河口慧海(かわぐちえかい)、寺本婉雅(てらもとえんが)
・・・そして能海寛(のうみゆたか)。
それぞれに日本を憂い、達成すべき使命を胸に抱き
ひたすらダライ・ラマ13世への謁見を目指し、ラサへ旅立つ。
当時チベットを目指した日本人の中で、ただ一人入蔵を
果たせなかった能海寛を主人公にして、
それぞれとの関わりやチベットまでの厳しい道程を描く。
さらに明治維新を経て、列強と肩を並べようと暗躍する
大日本帝国政府の思惑や、アジア大陸の覇権をめぐる
大国の権謀術数が一仏教徒の能海を取り巻いている・・・
『さあ、拉薩へ。なあ、拉薩へ・・・』
史実を基にしたフィクション。
もともと好きな部類の冒険譚なので、真剣に読み進んでしまった。
日本人以外の登場人物が光ります。
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明治時代、チベットを目指した仏教者、能海寛の足跡をたどる歴史ミステリー。
能海寛は実在の人物だが、実際彼になにがあったのかは、わからない部分が多い。それを、同じようにチベットを目指していた日本人や、西欧列強、そして西欧に踏みにじられた中国人たちの姿を通して、描いている。
能海自身は、生真面目で面白みに欠ける。そこを他の登場人物が、独特のケレンミで補っていく。
まるで、曼荼羅のようだ。
中央で、仏は何事にも動じないアルカイックな笑みを浮かべている。その回りを様々なものが、それぞれの思惑や、使命のために、浮き沈みしている。
読んでいる途中、ある意味没個性な主人公でよくここまで話をもっていけるな、と思っていたのだが、今わかった。
これは、能海を中心とした曼荼羅なのだ。だから、ただただ、能海は仏のために足を進めればいいのだ。
けれど、この歩みは狂信なのだろうか、それともあまりにも純化された信仰なのだろうか。
ともあれ、これは読み人によって様々な読み方ができる1冊であることは確かだ。
チベットの山々を越える山岳小説であるともいえるし、西欧列強に対するスパイ小説でもあり、復讐譚でもある。
そして、北村鴻の引き出しは無限であるらしい。
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真摯で純粋な思いは、人を惹きつけるものなのかもしれない。
いつの時代も、宗教に傾倒(っていうのは語弊があるか。。。)している人は、盲目的で、周りが見えにくくなるんだなぁ。
能海は魅力的だ。
西本願寺・東本願寺の対立のこと、初めて知った。
今も対立してるのかな?
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北森鴻なのに、レビューが少ないぞ。やっぱ歴史モノは人気がないのか。そういう私もちょっとダメかも、と思ったけど、出張で他に読むのがないから読めた感じ。いや読み始めると面白いんだけどね。今回はずっと文庫で読んできたから、解説が必ずついてて、そこで作者が明治時代をよく書いていたと知る。一つ前の「絵版師…」もそうだしね。チベットといえば、河口慧海を科学と学習の伝記の本で読んだのは覚えている。我ながら、ほんと記憶力がいいよな。能海寛は全く知らなかった。でもほんとに能海の純真さには引き付けられる。チベット入りできなくて本当に気の毒だ。伝記も出てるみたいだし、図書館で探そう。
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ラストが悲しいなあ、史実だから仕方ないけど。昔読みかけで挫折している河口慧海のチベット探訪録をもう一度読んでみよう。
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同作者の『狐闇』や蓮丈那智フィールドファイルで再三出てくる税所コレクションと三角縁神獣鏡。明治の国際パワーゲームに勝つ為にチベットに南朝を復活させようという計画の為に偽造された、八咫烏が映し出される魔鏡版三角縁神獣鏡、その三角縁神獣鏡がチベットへ旅するのが本書『暁の密使』
歴史的な真偽はさておき、大変楽しいスパイ&山岳アクション&バイオレンスと信心、そしてロマンス。仏教僧アイガーサンクションって感じか。北森本にしては珍しくバランスの良いエンターテイメント小説に仕上がっておりまして、終始楽しく読みました。1900年代に入る直前、1889年(明治31年)から物語がスタート、神獣鏡を運ぶのは僧、能海寛(ただ、本人はなにも知らされていない)、キーワードを運ぶ僧、河口慧海は別ルートで、仏教学者寺本婉雅は能海と合流、軍人成田安輝は本職のアンダーカバーエージェントとして潜入、地元の中国人や少数部族の人々に助けられ能海は西蔵をめざす。歴史上の真偽は横に置いといて実在の人物たちが実際にあった出来事の間でナニをやってたかという隙間埋め型のストーリー。ジャーディンマセソン社トーマス・ヤンセン(紅茶とアヘン、そして武器商会イギリス系ジャーディンマセソン社は現在も巨大国際コングロマリットとして健在、ちなみにあの”グラバー邸”のトーマス・グラバー、グラバー商会はこちらの長崎支店)がかなりのキーパーソンになってくる。当時小ネタも満載で能海が日本アルプスを世界に紹介した登山家宣教師ウォルター・エストンに登山技術を学んでいるとかそこらへんのこともちらちら出て来て盛りだくさん。今まで読んだ北森本の中で一番面白かったです。
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明治維新後の仏教弱体化を憂う僧が仏教再興のために経典を求めて聖地であるチベットを目指すが、当時の国際情勢の影響もあってその旅路は非常に険しいものとなる。。。
これまでチベットという国に対して殆ど何の知識も興味もなかったので、本書を書いたのが北森氏でなければきっと読もうとは思わなかったはず。
維新後の神仏分離、日清戦争と日露戦争、東インド会社の暗躍など、断片的に持っていた知識に繋がりを感じることができたことが収穫です。
それだけでなく、北森作品なので物語としてもとても面白かったです。