今ここにある飛鳥・奈良時代
2008/03/08 20:19
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:碑文谷 次郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の歴史シリーズ第3巻である。5世紀から9世紀までの400年間はどういう時代だったのかを、外交、政治、文化、宗教の様々な発掘資料から丁寧な洞察を加え、読む者をその現場に引き込むスリリングな一冊。過去の歴史から現代の生き方を考えるという、距離を置いた歴史本ではなく、自分自身がその場に放り出されて、木簡に文字を書いていたり、漏刻の鐘を聞いたり、「多く穢臭」ある都の中を歩いているような臨場感が全編に浸透しているようだ。著者自身も認める通り、あっけないほど政治事件や政争の生臭い話はカットされており、著者の眼は、朝鮮半島に向いて文明を摂取していた当時の「倭」の人々が、8世紀を迎える頃から中国に向きを変えて「日本」へ向かう400年の中で大きく動いたものを見つめている。その骨太の歴史観に支えられいるからこそ、読者は安心して、唐への留学僧の望郷心や都造営のための庸(労働負担)からこっそり逃亡する雇民の気持ちにも触れることができるのであろう。又、雅楽寮から高麗楽や百済楽が聞こえてきたり、駅家につながれた何頭もの馬を見たり、双六や囲碁で打ち興じる様を見たりするのである。知識の一片であった大宝律令の奥に、なんと豊富に万葉びとが息づいているかー今ここにある飛鳥・奈良時代を深く味わうことのできる労作と言えよう。
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飛鳥・奈良時代。
朝鮮半島から中国へと国交の重点が次第にシフトしていく時代。
日本は律令国家として地方を支配下に治め、次第に「国」として機能し始めていく。
その中で、地方の豪族が国家の一機関に変貌していく様子や、戸籍や税制、役人のはじまり等、
今回も豊富な資料をもとに解説されている。
冠位十二階の制度による上級官人と下級官人の格差。
既得権を守るためにできたような蔭位の制。
税収をピンハネする地方役人。
どっかで聞いたことがあるような事柄が1000年以上も前、役所の制度が出来た途端に起こっている。
そりゃ、今更庶民が騒いだところで役人が変わるわけないよなーと変に感心してしまった。
この本に聖徳太子や蘇我親子は登場しない。
歴史の再確認のためにこのシリーズを読み出したがこの辺りが少し残念だ。
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扱っている時代は5世紀から9世紀まで。
歴史的な出来事や人物を特に取り上げたわけではなく、この400年で人々がどのように変化していったのかと言う点を説明してます。
史料のみならず、発掘された考古遺物の写真もしようされ、当時を生きた人々の息遣いが聞こえてきそうな内容です。
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奈良時代あたりを中心に当時の人々の生活文化を中心に描いている。個人的には当時の政治状況が知りたかったから、ちとミスマッチだった。
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後発の日本の通史のシリーズだけに、意欲的な巻が続く。
律令制=官僚制国家の土台となったテクノロジーである文字・暦・歴史から話を始め、東アジアの交流史や民衆史等を横目に見つつ、当時の社会状況を描く。
「国家」の成立過程とその変容を、いかに政治史上の固有名詞に頼らずに叙述するか。わたしは著者の目論見は、成功しているように思えた。
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中央図書館で読む。再読です。前回、どこで読んだのか記憶がない。このシリーズは、珍しく読破できそうです。この手のシリーズものを読破したことはありません。その意味で、非常に珍しいです。それだけ、暇なのでしょう。興味を持ったのは、日本の官僚制です。歴史の教科書では、内発的な理由で、官僚制は整備されたと指摘されています。しかし、この本は別です。外交交渉のためだと指摘している。対隋交渉は失敗しました。何故ならば、国内制度が未整備だからです。官位すらないのです。どんな権限があるのかすら分かりません。隋から見れば、文明国ではありません。そのため、日本は、官位を整備しました。その官位も、時代とともに、変化しました。最初は、韓国風でした。これは、韓国の影響が強かったからです。それに対して、中国風になります。交渉相手が変わったからです。こう考えると、格式の意味が理解できます。律令は建前に過ぎないのでしょう。
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飛鳥、奈良時代の400年は、日本という国家が確立し、整えられていく時代。暦や文字、年号が使われ、国による支配体制が確立していったのがこの頃。
仏教が朝鮮半島から伝わり、東アジアとの外交かが始まったのもこの頃で、現代にも生きているあらゆる制度や仕組み、技術が生まれた。
遠い過去の歴史を紐解き、原点を知るのに役立つ歴史が記されている。
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飛鳥時代から奈良時代ぐらいまでの
日本が国家体制を少しずつ作り上げていく期間を取り上げている。
政治関係は最低限しか書いてないので、
事前にある程度教科書的な知識を入れておかないと困るかも。
当時の人々がどうやって暮らしていたのか、このあたりが細々書かれていている。
遣隋使、遣唐使を経て、日本が試行錯誤しながら
国として形を整えていく感じがよく分かる。
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・7世紀は天智→天武→持統→大宝律令と国家体制の整備が進む。8世紀は政変や内乱の時代。長屋王の乱、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の乱、恵美押勝の乱、道鏡の失脚。長期的には藤原氏の台頭。
・古代国家は文字、暦、歴史書で人々を支配しようとした。
・対隋外交の失敗から、百済の知識を借りて冠位十二階をつくる。
・白村江の戦いのあと、天智天皇は670年に軍事体制確立のために庚午年籍を作成。ただ、武装自弁は厳しく、8世紀末には郡司の子弟からなる健児を組織。
・東北経営のため、8世紀なかばに防人は停止。766年に新羅との関係が悪化すると、政府は九州にとどまっていた東国防人を徴兵した。
・668年、唐と新羅の連合軍が高句麗を滅亡させる。朝鮮半島統一を目指す新羅は、後方の憂慮を絶つため倭との良好な関係を求める。676年に朝鮮半島統一。698年に渤海成立。10世紀前半頃まで、東アジアはこの四国体制となる。
・7世紀は朝鮮半島から制度を取り入れてきたが、大宝律令以後、中国が基準となる。
・桓武天皇の平安京遷都は山背国の渡来系氏族の力を借りるため、という一面もある。
・東北と九州は、中華思想に基づいて、自国の外側にあって服属させるべき対象となった。
・技術者集団としての渡来人と、知識人としての僧侶。国家はこの両者を抑えておきたかった。渡来人は部として監理。特殊技術が伝播してもはや特殊技術でなくなると、彼らは一般民となった。
・8世紀以降、豪族の権威を保ちながらも、国の組織が地方行政の中心に。