紙の本
『民族共同体』とスパルタ
2022/04/29 15:06
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投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
「スパルタ」というと、世代によっては「スパルタ教育」が頭に浮かぶ。タイトル「スパルタを夢見た第三帝国」、ナチスは古代ギリシアのスパルタを国家モデルと考えていたことを示している。「スパルタ」は厳しい鍛錬で男性を兵士として養成し、近隣との戦争で領土を拡大していたという「男らしさ」のイメージがつきまとう。この「男らしさ」は、近代社会成立から20世紀末まで、イデオロギーとしてナショナリズムの要素であり、ナチズム・ファシズムと容易に結びつくことはジョージ・L・モッセの『男のイメージ 男性性の創造と近代社会』(2005作品社)などで明らかにされている。しかし本書では、ナチスはそれだけにとどまらずスパルタの国家・社会のありようを模範としていたことが示される。ナチズムの世界観・政策とスパルタの関わりは、人種政策、農業政策、教育政策、占領(植民地)政策にまで及んでいるのである。これは新発見であった。例えば、スパルタ市民による「同じ広さの土地」の所有とその一子相続が純血性の確保と不可分であるとの考えは人種政策と、占領地住民を最下層の「下等人間」として扱う身分三層構造は「東方総合計画」と類似性が認められるように。
日本では「人文主義」といってもピンとこない。「人文科学」に収まらない考えである。19世紀ドイツでは、「人間は高貴であれ、親切で善良であれ。なぜならそれのみが人間を我々が知る他の存在から区別するからだ」(ゲーテ)とする人文主義思想が、多くの領邦国家に分裂していたドイツのアイデンティティを形成していた。そこでは古代ギリシア、なかでもアテネを模範とした文化的・政治的な国民形成が目指される。しかし19世紀末人文主義は国民や民族、職業生活、階級対立といった現実に疎遠であることが攻撃されて突出した存在ではなくなり、ナショナリズムへと接近していく。そして第一次世界大戦後「西洋の没落」により、伝統的な価値観であった人文主義のステイタスが低下し、これらの価値観の担い手であった中産市民層が困窮に陥ってしまう。19世紀から20世紀初期にかけて、人間性を中心とするドイツの様々な行き詰まりが問題となってゆく中で、アテネに代わりスパルタが注目を浴びてゆく。近代の啓蒙主義・キリスト教による歪みから自由とされたスパルタへの回帰は魅力的に映ったのである。
このような歴史的な脈絡でみると、ナチスと結びつきやすいということが理解できるが、これまでのナチス論で、「スパルタ」の影響を論じたものはなかったように思う。その意味では本書の指摘は新発見なのだが、なぜ「無視」されてきたのだろうか。「人種主義」「優生学」「血と大地」などの主張は、それが近代の自然科学の発展に部分的に沿うものであったにせよ、健全な人間理性にとって荒唐無稽に映った。しかし「スパルタ」という歴史上の模範に基礎付けることは、伝統的な古代ギリシア崇拝の流れの中にあるという正統性・信憑性を得るためのレトリックであったといえる。また、庶民の土着のゲルマン信仰、エリート層のプロイセン賛美の中には「男らしさ」への信奉イデオロギーがあり、ドイツ人の精神構造にはもともと「スパルタ」精神は胚胎していたともいえる。この「スパルタ精神」が発露されたのは、敗戦必至の戦争末期であったように。
そう考えると、それはナチスの「民族共同体」イデオロギーに包摂されていたと見ることもできよう。ウルリヒ・ヘルベルト『第三帝国 ある独裁の歴史』(2021角川)では「民族共同体論」「植民地支配」をキーワードとして第三帝国を読み解いていたが、ここにも「スパルタ」が隠れていたのだ。
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タイトルに惹かれて図書館から借りて、第1部序と第1章まで読んだところで放棄。いやまあ選書メチエらしからぬレベルの書で、基が大学紀要で発表済みなのに、編集者はどうして書籍化しようと思ったか謎です。
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ドイツの古典古代研究者のナチズムに対する対応と、ナチズムにおけるスパルタ称賛言説の流れを追う研究。基本的な見取り図としては、19世紀以来、ギリシアとドイツの親縁性という枠組みのもとで、古代ギリシア文化を重視する人文主義がドイツの教育プログラムにおいて支配的になっていた状況において、ゲルマン人とスパルタ人の人種的親縁性という見方が第三帝国において支配的となり、またそれを補強するような研究が奨励され、さらにはスパルタ人の生活・行動様式を第三帝国において再現しようとする流れが生じていった、というものである。こうした流れに対して、「第三の人文主義」の旗手であるイェーガー、そしてその圏内にいたハルダーが、ナチズムに対する傍観・協力を選択していったこと(とはいえ、「第三の人文主義」の可能性はナチズムに対する無力・協力に尽きるわけではない)、ギリシアを「他者」として実証的な考察の対象にしていたフリッツの例外的なナチスへの忠誠拒否という対応、そして戦後の研究プログラムにこうした対応がどのように影響したのかという点まで、かなり詳しく論じられている。著者は20世紀ドイツの人文主義の思想的弱さも指摘しながら、同時代の政治や社会に適合していく柔軟さという、ある意味では長所とも捉えられる性質も指摘している。古典古代の議論を現代においてどう活かすかということを考える者にとって、非常に興味深い事例を提示してくれている。
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現状の任命や運営の問題はさておき、日本学術会議は「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を発している。他方、本著で取り上げる人文科学は、ナチスの方針に対し無力であったばかりか、礼賛した経緯すらある。為政者を横目に正義や思想を語るのが人文科学ではなく、証拠主義で一貫せねば、学問としての本義も揺らぐだろう。しかし、歴史認識に垣間見るように、政治に侵されやすい学問であり、民族主義においての人文科学の限界を、そもそも想定しておくべきなのかも知れない。
ヴァイマル共和国の文教政策は、人文主義的な古典語教育・古典研究に深い理解があったとは言いにくかった。これに不満を抱いていた人文主義者の多くは、1933年のナチ政権の成立を歓迎した。ナチスは政権成立後、焚書を行うなど思想や文化の統制に乗り出した。こうした言論統制に先駆けてイェーガーは学問・大学の自由の侵犯を警告してはいた。
また、1942年から43年にかけて白バラと称するグループがミュンヘンを中心にナチ政権を批判し、その抵抗を呼びかける文書を、匿名で任意の人に郵送するなどした。この執筆者を特定するための鑑定は古典文献学者ハルダーが担った。ハルダーは第二次世界大戦後に記した自己弁明の中でナチズムとの共同作業によって事態を理性的な道へ導こうとする期待を抱いていたと述べている。
批判しても屈し、或いは、自らが内部に入り込み軌道修正してやろうとの人文学者も、ナチスには歯が立たない。政治に学問が敗北する。異端審問、宗教裁判を思い出せば、力関係は分からなくもない。今ですら国策捜査が存在する。
ナチズムは元来、伝統的な学問や大学に敵対的であった。ナチ政権による学問や大学に対する統制は、1933年の職業官吏再雇用法によって始まっていた。1934年大学教員を含めたドイツの官吏、国防軍の軍人にヒトラー総統への忠誠宣誓を課した。大学教員が転ぶ。物理学は悪用され、人文科学は鼻をへし折られ、都合の良いイデオローグに成り下がる。
スパルタについて。古代のスパルタはギリシアのペロポネソス半島南部、ラコニア地方に存在。ギリシア神話のヘラクレスの子孫が北方から帰還してスパルタに移住したとされる。成年男性をスパルタ市民として構成し、ホモイオイ=同等の人たち、ペリオイコイ=周辺の人たち、ヘイロータイ=非自由民、奴隷から成り立っていた。
ナチスは、ニュルンベルク人種法によりドイツ人の血と命を守ることを目的とし、ユダヤ人と非ユダヤ人との結婚及び婚外の性交渉を禁止した。それはかつてのスパルタにおける身分間、スパルタ市民と外国人との結婚の禁止と似た側面を持っていた。またT4作戦により身体的、精神的な障害者を殺害した。古代のスパルタでも弱い子供の遺棄が普通に行われていた。
ナチスの政権下、発禁処分となったヴァインシュトックの『ポリス』。同書でスパルタに関して述べた箇所が、本著の要諦だろうか。引用する。
ー今日スパルタに関心を抱く人は以下の二点を明確に認識している必要がある。
第一に絶対的な軍事国家のために全体的な戦時���制化を望むなら、生を豊かにし、美しくするすべて、すべてのより充実した人間のあり方、すなわち文化、人間のより高い尊厳を断念せざるをえない。
第二に、スパルタ的な反動はおそらく文化的な生を圧殺した。しかしだからといって、国家を救わなかった。ドーリア人の国家は自らの教育体制にもかかわらず没落した。なぜなら学問的な運動を締め出す事は、最終的に所有欲と兵士の功名心と言う利己主義的な動機を、スパルタにおいて無制限に増長させたからである。
アテナイを夢見たナチスにおいても、豊かな生は否定され、更には生の多様性を否定した事で、思考の複雑系に対応できず、単に定量化可能な権威主義のスコアゲームに没頭し、組織の規律は保てど、組織の変化への柔軟さは失った。本著は、論文形式でその事を明らかにしたものである。