紙の本
「他者」に関する哲学的エッセイ
2022/03/13 15:47
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Takeshita - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は人類学者だそうだが、内容は哲学的エッセイに近い。我々が他者とか世間とか平均的人間と言うとき、それらには実態がないこと、また自分らしさとか個人と言う考えも裏で平均的人間像と手を結んでいることを諸家の言説を引いて縷々説明している。しかしだからと言ってそれが人類学上どう理論展開するのか?哲学的装いをしたただのエッセイに見える。色々な本を読んで思いついたことを形を整えてまとめるだけでは学問にならない。学問はもっと奥が深い。
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他者と関わりながら生きるとは、どういうことなのか?
一見当たり前のような問いの本質は、人間とは?生きるとは?という人生観につながってる。
本書では様々な事例を元に、この哲学的な問いに丁寧な補助線が引かれていく。
医療における私たちが感じる選択の難しさや、様々な文化を持つ民族の考え方、コロナ禍で日々私たちを追い込んでいく数字など、読んでいて悲しくなったり驚いたりしながら、人との関わり方の多様な視座が示される。
他者と愛を持って関わりたくなる一冊。
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この本は、全体を通して「手ざわり」がテーマになっていると思います。
まず、ひとりの医師としてこの本を読んで、自分は目の前の患者の生活を過度に医療化してしまっていないだろうかと、振り返るきっかけになった。エビデンスや統計学的情報を絶対的「正しさ」として振りかざして、その人のもつ経験や物語、「手ざわり」感を、ないがしろにしてしまっていないだろうか。
後半で語られる「関係論的時間」の概念は、時間というある種無機質にも感じるものに、「手ざわり」感をもたせてくれるようで、新鮮に感じました。
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優しくて、丁寧な内容だった。「正しく考える」「正しく生きる」ということを少しでも窮屈に感じたことがある人であれば、読むことで少し自由になる(これまで立脚していた点が、さまざまある点のうちの一つに過ぎず、他にも立脚できる点があることがわかる)のでないかと思った。
情報経験だけでなく直接経験を多く持ちたくなった。また、内心怯えながらでも、多くのものや人に出会い続けて、ラインを積極的に引き続けていきたいと感じた。
個人的な備忘のために以下少し要約を記載。
味わい深い内容なので、また読み直したい。
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「自分らしさ」と聞くと一般的には、自らの内部にある考えや思いをピュアに表明することを想像することが多い。また、現代だと「自分らしく」あることが称揚される。
しかし著者は、「自分らしさ」がこのような内発的な動機や、その他大勢の意見への反抗だけでは成立せず、他者からの承認を必要とするものであり(例えば「自分らしい殺人」というのは他者から承認されにくいため成立しない)、すなわち実は「私たちらしさ」なのではないかと主張する。
その上で、実のところ「私たちらしさ」と呼ぶべきものが「自分らしさ」という呼称に隠蔽される背景には、戦後日本の個人主義的人間観(一つの身体の中に一つの個人が宿っており、それは世界からも歴史からも分離が可能であるという人についての理解)と、個人主義的人間観と(実は)相性の良い統計学的人間観(統計的に立ち現れるが実際には存在しない「平均人」を想定する人間観)があるとする。
また、統計学的人間観は、生物的な命が存続することが何よりも素晴らしいとする倫理を纏っており、それはこの人間観が、個人主義的人間観に基づいているからであるとする。
このような人間観に対して筆者が主張するのは関係論的人間観と呼ばれるもので、身体があるから個人があるという前提に立たず、自己と他者との関わりによってはじめて「私」が生じるとするものだ。
この関係論的人間観に立脚すると、他者と接合されて生まれる「自分らしさ」(実のところは「私たちらしさ」)とは他者と生きる中で立ち現れるものだとしている。
その後、最終章で、統計学的時間と関係論的時間の差異について論じており、これもめちゃくちゃ面白い。
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長々と要約じみたことを書いてしまったが、以下が個人的に心に残った。
・現代医学が多くの場合、リスクの実感を醸成することを目的としてレトリックを駆使すること
・身体的な実感を伴わない情報経験は生命としての世界との関わりを希薄にすることにつながり、結果として想像力が権威によって勝手に想起させられることにつながること
・そのような想像力の操作に抵抗するために、情報の背景にある意図や歴史、政治的事情を把握するのが重要であること
・様々な病の原因として、誰も確かめようのない狩猟民族時代の人間の脳と現代の人間の脳との対比を引き合いに出すのは、全人類にとって納得しやすい「平均人」を用いた起源の語りだから
・選択というのは、それによって変わっていく自分がその後起こる出来事に対応していくことを許容することである、ということ
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リスク認知から異なる人間観のモデル、そして他者と共に時間を生成すること。
関係論的人間観に基づく考え方が新鮮。個人という観念が実は自明ではないのではということ。
そして自他が生成される過程。
最後の偶然と必然の時間感覚の提唱はおもしろかったが、理論を俯瞰して本の最後でにわかに景色が開けたような、そんな読み口。
応用を考えてみたいところ。
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ここでは「医療」をテーマに論じられているけれど、
この「医療」を「心理学」に置き換えても本書の議論は通じる。
著者とは近い問題意識を持っているように思える。
人を「数」で捉えることはどこまで可能なのか、
他から切り離された個人は存在し得るのか、
人類学的な視点からの考察、大変勉強になりました。
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『#他者と生きる』
統計学的人間観に従ってリスク管理をするでなく、未来に向かって飛び他者と共に在る中で時間を作り出し生きていると実感できたなら、統計学的時間で測られた"長い"時間でなくとも、その人生は厚く、深く、長い。
とても良い。とても考えさせられた。
自身の生活を振り返ると、客観的な正しさに身を委ねて、日常を予測可能な範囲に留めてしまっているな。まだ来ぬ未来へ依拠する愛と信頼に基づく選択は、今ある関係性からは想像できなかった自他の生成が待っているかもしれないのだから、他者との関係性を持とう!頭を上げよう!手を挙げよう!
「私」の境界はどこか?もすごく考えさせられた。
身体の概念を持たず、「人」が関係性の中で存在すると捉えられているメラネシア社会。
皮膚を境に自己が途切れるのではなく、むしろ自己は共有されているアフリカのバカ・ピグミー。
自分だけで生きているとは思っていなかったが、所与としての人があることは無意識に考えていたと思う。他者との関係性の中で生成される自分という存在について考えた。
この興味はティム・インゴルドに向かう。
#読了 #君羅文庫
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一般的に常識とされていることや前提そのものに問いを投げかけていく。そして、数多くの学者の論文を引用しながら複数の考え方を紹介した上で、著者独自の考察を展開していく。難解な箇所も多く、じっくり読む必要があるが大変興味深かった。
・本書の中で出てくる「スマホ脳」「FACTFULLNESS」「私とは何か『個人』から『分人』へ」は既に読了したお気に入りの本たちであったが、特に前の2冊については、そもそも過去の人類を「平均人」としてある程度一律化し、当たり前のように正しい根拠として取り扱っていることについて是非を問う。自分にとっては斜め上の、相当斬新な問いであった。
・人類学や論文などを読み慣れていない私にとって、納得しながら読めたページはそう多くなかったように思う。ただし、響く考え方、フレーズは随所にあった。
・1年後くらいに再読したい。
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良書。ターニングポイントで読み返したい一冊。「自分らしさ」の考察は、先日読んだ『ダイエット幻想』の内容から発展したもの。日本人の遺体に対する考えに関する項では、原爆で亡くなった曽祖父と大叔母を「火葬できた」事に感謝していた曾祖母の言葉を思い出した。
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自分とは。そもそも人とは。他者との関係性の中で生じるということについて捉え直すきっかけになった。本著後半、特に、「自分らしさ」の孕む矛盾について記述した章と、「他者の生き方を評価することの慎み深さ」について記述した章は感銘を受けた。
全体を通して、難しい言葉が多かった。
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大事なことが書かれていることは分かるが、きちんと理解したのかと言われるとうまく説明できない。再読してみたい。
医学的なエビデンスに基づいている風に書かれている生き方、健康に関する情報が巷にはあふれている。それらの情報発信者に騙そうという意志はないと思うけれど、踊らされているのかもしれない。私たちが踊らされる前提として、統計学的人間観があるのかもしれない。そんな新しい視点が得られた。「スマホ脳」などのベストセラー本に感心し影響を受けつつも、そこはかとなく感じる違和感の正体が少し見えた気がした。
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なんかとても時期を選んで出てきた感じ。先は見えない。落ち着いては来ている。いろいろと面白かった。深い時間というのがわかったようなわからないような。
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なかなか難解
人生は長さではなく、どう生きたかである。
人生は長さではなく、深さである。
などについて説明してくれる。
共在を作るために挨拶はある。など目から鱗のはなしもたくさんあり
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「人生は長さではなく、どう生きたかである。人生は長さではなく、深さである。...対して私は、ある尺度に対し、別の尺度を持ち出して抵抗することとは違うやり方で統計学的人間観が帯びる価値への反駁を試みたい。」と帯にあったが、他人の書いた内容に、自分の考えを付け足しただけやないか。
全く面白みがなく、使う言葉もこねくり回したような、わかりにくい表現で、ひさびさに読んでつまらねー+読まなきゃよかったと思った愚書でした...
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ちょっと不思議な構成の本だった。
第一部は病気のリスクの話。
統計的なリスクと個人に降りかかることとの落差。こういうことをしたらしなかった場合と比べてこうなる人の割合は◯%アップする、とか。いや、だけどこうなるかどうかは、個人にとっては一かゼロでしょ、というのはいつもわたしが思ってることだし、対策を講じても確率的に何割かの人はそうなるわけで。平均値というのは平均でしかなくて、わたしのことじゃない。…わたしの視点に落とし込めば、そういう話が書いてある。
が、筆者が何を言いたいのかはいまいち判然としない。
第二部は自分らしさとはどんなことなのかについて。
ここでもやはり統計上の平均人と個人とは別物であるという下敷きの上で、自分らしい、その人らしいというのは一体何なのかが探られていく。
自分らしさというものは、大勢の人とは違う自分らしいものでなくてはならないと同時に、大勢の人に認められる必要があるのだ、と筆者は言う。この辺り、自分らしいとは自分が定義するものではなく他者によって定義されるものであるという筆者の立ち位置が透けて見える部分である。
そしてやはり筆者によって取り上げられる人類学者の観察した文化の異なった人たちの行動のパターンがいかに私たちとは違っているかという例、それは筆者の持つ文化パターンを浮き彫りにする。
が、第二部でも筆者が何を言いたいのか全く判然としない。
この辺りでわたしは「もしかしてこの人、めっちゃ若いんちゃう?少なくとも氷河期世代以降の人やな」との思いが強くなり、思わず略歴なんかを見てしまう