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私たちの「食」はどうなっていくのだろう
私たちの「食」はどこからやってきて
私たちの「食」はどこにむかっていくのだろう
そんなことを思わず考えてしまった
さて、本書の高橋一也さんですが
その肩の力の抜き加減が絶妙ですね
「野菜に対して、私がどれだけ無能であるか…」
なんてまず言われてしまうと
「えっ それはどういうこと?」
というふうになってしまうのだけれど
その高橋さんが出遭っていく
野菜作りの師匠たちの魅力的なこと
その師匠たちが作り出す野菜たちが魅力的でないわけがない
そして、高橋さんの
魅力的な野菜たちと美味しい野菜を求めるお客さん
との「出会いの場」をつくってしまう、その発想力、実行力がちょっと、ぶっ飛んでしまうほど素敵ですね
あと書きにかかれている
「世の中は、こうしたいと想いをもった人が、社会を作っている」と高橋さんの師匠のお一人から言われた言葉が本書を読んだ後にもじんわり膨らんでいきます。
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もっと流通してればいいのになぁ。
古来種野菜。
食べたければ、高いお金を出して買うか、
自分で作るしかない。
日本の野菜をこんな風にしてしまったのは誰だ。
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高橋一也著「古来種野菜を食べて下さい。」読了。
1970年生まれの著者が、在来種専門の八百屋を営む動機と、僕が農業をやりたいと思った動機はとても重なるところが多い。
本書には何度も、
「僕らはやがて祖先になる」
という言葉が出てくる。そんな感覚が、僕の中にもずっとある。
それにしてもなんだか最近、身の回りでサンフランシスコのオーガニックレストラン「シェ・パニーズ」アリス・ウォータースさんの名前がよく出てくる。オラファー ・エリアソンの「Kitchen」、Ueda Villageの沼本さんの書架、そして高橋一也さんのこちらの著作。何年か前に、なんとなくNHK BSで深夜に「おいしい革命」の番組を眺めていたことも思い出す。
Farm to Table、地産地食。その時にある旬のものを、あるようにいただくこと。そして美味しいとは、舌の化学反応ではなくて「美味しい関係」なのだと。
食卓と収穫を結び付けてくれる関係性、そして同じ食卓を囲んで共有する関係性の総和が「美味しさ」……そう考えると、「美味しさ」とは人間性の回復なんだと思う。
確かにお金を払えば、高い食材を使った「美味しい」とされるものは食べられる。
でもそこに関係性は、ない。
あいかわらず小さな自家菜園しかないのだけれど、いずれ僕との関係性によって美味しさを見つけてくれる人が出てきてくれるといいなぁ、と思いながら、春の作付けのことを考えている。
理想と事業性があるかは別の話だとは思う。それでも、高橋一也さんの目指す社会像を僕も目指したい。
高橋さんが今の事業を始めるのに背中を押したのが、故・山下和穂さんだという。山下さんは僕らにとって本当に偉大な人で、尊敬されるべきる「祖先」なんだな、と。
あらためていろいろ思いました。いい本です。
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p.33
2011年に起こった、3.11東日本大震災。すべてにおいて混乱状況の中、仕事がらもあるが、一番驚いたのは、自社の店舗の食品棚が空っぽになたことだ。
野菜、お米、飲料はもちろん、加工品や紙製品まで。根こそぎ、なくなった。いや、なくなったことに驚いたのではなく、人々のその買う姿、買い込まざるを得ない心理に驚いたと言った方がいいかもしれない。
「1週間後に流通は戻る。だから必要なものだけ購入してください」
と再三メディアからアナウンスが発信されたが、まったく意味をなさなかった。一般的なスーパーマーケットにも、ドラッグストアにも、近所の小さな商店にも、人々の不安が表れていた。
東京は地方に支えられている。
僕らはそれを体感した。
p.76
現代の僕たちが、日々何かが足りないと感じる気持ち。それは、僕らの中に「自分を作ってくれている野菜への祈りがないこと」なんじゃないかと思っている。隣近所の人たちと一緒に、祈り、願い、踊り、歌う。そんな動物的本能を祭り騒ぐ時間の中で共有してきたのに、いまではすっかり「祈り」から遠く離れてしまった。僕らは、いまやそんなことを経験する機会はほとんどない。
p.112
古来主野菜マーケットの構想は、サンフランシスコのクエッサをモデルにしている。
サンフランシスコといえば、もう皆さんご存じ、オーガニックなつながりというか、ローカルに人々の意識が美しい街。この街の中で人が幸せになることを、人と街が一緒になってつくりあげている。
そんな街の日常として開催されている、ファーマーズ・マーケット「クエッサ」。
そのマーケットは世界一美しいといわれているけれど、マーケットの発端となったのは、サンフランシスコ地震でもある、ということはあまり知られていない。
地震の直後、ご近所同士の安否確認と、買うものも売るものも無くなってしまった中、マーケットを通してお互いにあるものを持ち合い、支え合おうと一か所に集まりはじめたのが、このマーケットのはじまりだった。
そしてこのクエッサの立ち上げに深く関わっているのが、サンフランシスコにあるオーガニック・レストラン「シェ・パニーズ」のオーナー、アリス・ウォータースさんだ。
ここでは、農家さんが野菜を販売するのはもちろんだけど、料理人がその野菜を、お客様の目の前で料理する。農家と料理人と消費者が、その想いや理念を共有しあうのだ。
p.129
値段が高いとか、安いとか、僕はあまりそういったお金の価値だけで判断されるところで販売はしたくないけれど、ただ、どうしても、
「高いから買えない」
「だから日常使いにならない」
と言われてしまうことは、悔しい話だ。
一般的な野菜を、
「安い」
「買いやすい」
とするなら、それらは、
「じゃあ調理しやすい?」
「美味しい?」
「それで心が満たされる?」
そして、
「なぜ安いの?」
イメージしてほしい。
もし、自分でこの野菜を栽培していたら、この値段で売りますか?
p.182
さて、僕らはいずれ祖先になる。僕たちは未来の子孫へ、何を残して挙げられるだろうか。
p.185
音楽にはフェスがあるように、野菜には市が必要だ。
p.191
慣行栽培の野菜、といっても、その土地の風土を理解している農家さんであれば、農薬を使う回数は少なくてすむ。気候の変動は読めないし、生計も立てなくてはならない。悩みに悩んだ末、どうしても使わなくてはならない瞬間が訪れることもある。でも、なるべく農薬を使わないで野菜を育てたい。そうした農家さんの堂々巡りを「食べること」で一緒に共有する。
美味しいとは、「美味しい関係」なんだ!
p.243
じゃあ、再生プロジェクトをどう成功へ導くのか? その方法は?
僕の答えはいたってシンプル。
変に勝負しない。
(中略)
僕の見解としては、加工品は二の次だ。まず最低限のコミュニティ、集団を作って、そこに例えばレストランや、学校給食をつなげたら、と考えていく。そうすると、どのように維持していけるかがイメージできる。誰がどこまで動けば良いのか。その規模を理解して、それが明確な数字の落としどころとしてつかめたら、より具体的にメッセージとして伝わっていく。そして、皆が一気に動き出す。もちろん消費者を含めて。
p.281
(背中を押してくれた)一人は、高知県“有機のがっこう・土佐自然塾”の山下一穂さん。
山下さんからは、
「高橋君は自分がやりたいことのイメージができているんでしょう? 世の中は、自分がこうしたいという想いをもった人が、社会を作っているんだから、やったらいいじゃない。もしだめだったら、辞めればいいんだから」
と言ってくれた。
「世の中は、自分がこうしたいという想いをもった人が社会を作っている」。この言葉にぐらっときた。
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中国留学、調理師勤務、野菜バイヤー、古来種野菜市の立ち上げなど、エネルギーにあふれる著者の生き方が面白い。
また、本当のオーガニックというのは、おしゃれで健康に生きていくためのライフスタイルではなくて、人が自然の中の一部として野菜に寄り添い続けて次世代へその循環する環境をつないでいくことだ、とか、在来野菜を生み食文化を作ってきた「農」と、産業としての「農業」を整理してそれぞれの未来を考える必要がある、といった著者の思いが熱すぎず、温かく語られている。
自分の思いに基づいて行動する一方で、ものごとの良し悪しを決めつけすぎず、判断の余白をもった著者の姿勢にも好感が持てた。
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古来種野菜を食べてみたくなりました!
にんじんの葉っぱが好きなのですが、スーパーでは売ってなくて、、、
今は、マーケットなどで無農薬の野菜を買ったりしています。
この本で古来種野菜に興味もってくれる方が増えたらと思いました!