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「タブロー」って何?と言う情けないレベルから本書を読みました。
美術には多少の興味があり、パリの美術館で四周の壁面一杯のモネのwater lilysを見たことがありますが、著者の本を読むと毎回、その時の感情の昂りを感じます。
本書の日本に美術館を建てる目的である「日本の青少年の啓蒙と教育のために役立てたい」は、本当にそうだと思い深く感銘を受けます。
松方孝次郎および関係者の皆さんの思いを感じながら、上野の西洋美術館へ新たな気持ちで足を運びたいと思います。
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母がゴッホ好きやからなんとなくジャケ読み
はえ〜って感じの本
読み終わってから気になって西洋美術館行ったけどいつも通り眠くなった
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コロナの時もそうだったが、芸術や文化は平和であってこそ楽しめるものであって、有事の際は後回しにされがち。確かにそれが正しいのかもしれないけど、心の豊かさにはやっぱり必要なものだ。
戦闘機ではなく、タブローを。いつか国立西洋美術館に行ってみたい。
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原田マハさんのアート歴史小説(2019年5月単行本、2022年6月文庫本)。今までに読んだマハさんのアート歴史小説の上に歴史上の登場人物や背景が当然積み重なっているので、過去の小説を読んでからの方がより興味深く読めると思う。
クロード・モネに松方幸次郎と田代雄一が会いに行く場所はモネが最後に暮らしたジヴェルニーの家。小説「ジヴェルニーの食卓」と「モネのあしあと」を思い出した。
松方幸次郎、田代雄一、日置釭三郎、この三人と三人に関わる大勢の人物(友人、家族、政治家、役人、大使、軍人、財界人、画商、画家、美術館長、画廊店主、外国の要人、美術品収集家、建築家等)が松方コレクションの収集に影響を与えながら、経済危機や戦争を乗り越えて、遂に1959年日本に初めての西洋美術館が開館するまでを1921年と1953年のエピソードを中心に描かれる。
登場人物は
①松方幸次郎(1866年生まれ)、絵画コレクター。30歳で川崎造船所社長(1896年)、日露戦争(1904年〜1905年)で戦争特需、視察渡欧2回(1902年、1907年)、技術提携や特許権取得で3回目の渡欧(1911年)、神戸商工会議所会頭、九州電気軌道社長、神戸瓦斯社長、等の複数の会社の社長を兼任し経済界の重要な一角に君臨し、更に衆議院議員にトップ当選(1912年)して政界・財界両方に力を持つようになる。
第一次世界大戦(1914年〜1918年)の中、(1916年)ストックボードの商談でロンドンへの出張が運命を変えるきっかけとなる。街中に溢れているポスターの絵を見て「絵の力」に気づき、その絵を描いた画家に会いたくなり探していると、ある画廊で見た気になる絵の作者と同じ画家だと言われる。画家の名前はフランク・ブラングィン、この画家の絵を出来るだけ多く買おうと松方がタブローに衝き動かされた瞬間だった。
そしてブラングィンが松方のロンドンでのアドバイザーとなり、パリではリュクサンブル美術館とロダン美術館の館長をしているレオンス・ベネディットがアドバイザーとなって、美術館創設のため1,300点もの絵画を買い付け、日本人宝石商から買った8,000点の浮世絵共に一部は日本へ送り、(1918年)帰国する。
ところが海軍造船中将の福田馬之助が松方の元へやって来て、もう一度欧州へ行ってくれと頼まれる。松方の欧州での人脈でドイツのUボートの最新型の設計図を密かに入手してほしいというのだ。
こうして松方は(1921年)再度欧州へ出向き、若き日本人美術史家の田代雄一と知り合い、田代をアドバイザーとして主に印象派の画家達の絵画を買い集める傍ら、誰にも知られることなくスパイ活動をすることになる。スパイ活動のことは描かれていないので結果はわからないが…。松方が田代と出会い、一緒にタブロー(絵画)の収集に関わる重要な年(1921年)に松方のスパイ活動はどう考えても無理だと思う。この時から日置もタブロー収集にか関わることを松方は指示している。
(1922年)帰国するが(1927年)の金融恐慌で川崎造船所は経営不振に陥り、日本に送られた一部の美術品は処分、パリとロンドンに預けられた大部分の美術品は輸送に100%の関税がかけられることが判明し、日本に持ち込むことができなくなっていた。
(1928年)社長を辞任、美術館の開設を見ることなく(1950年)84 歳で生涯を終える。
②田代雄一(1890年生まれ)、東京帝国大学英文科で西洋美術史を学ぶ。日本を代表する美術史家。
(1921年〜1925年)欧州留学で心酔するフィレンツェに住むアメリカ人美術史家バーナード・ベレンソンの元へ行く。
(1921年)フィレンツェに留学する前に立ち寄ったロンドンで松方幸次郎に出会い、30歳で絵画コレクターとしての松方55歳のアドバイザーになる。実はその時松方と一緒にいた日置釭三郎という人物と初めての出会いがあるのだが、それは32年後の再会が歴史を動かす重要な再会になるのだ。
ブラングィンやベネディットとは違う視点で松方の絶大な信頼を得、松方が帰国する(1922年)まで絵画の収集に関わる。
(1953年)松方の死後3年、内閣総理大臣吉田茂の命を受け、松方コレクションの返還交渉にパリへ向かう。戦勝国フランスと敗戦国日本という立場の弱い難しい交渉ながら、パリで松方コレクションを戦時中も一人で守ってきた松方の部下で元海軍中尉の日置釭三郎に出会い、その献身的な壮絶な話を聞いて、今度は自分の番だと新たな決意の下、大部分の作品の返還(名目は寄贈返還)を勝ち取ったのだった。
(1959年)上野に松方コレクションを所蔵した「国立西洋美術館」が開館する。その開館式典に田代が向かうところで物語は終わる。松方は9年前に既に他界しており、日置も5年前に肺病の悪化で他界し、日本に西洋美術館を創設するという二人の夢は吉田茂と田代雄一が確かに受け継いで成就したのだった。
③日置釭三郎(1883年生まれ)、(1906年)海軍機関学校を卒業し、すぐに在フランス日本大使館付き武官としてパリへ赴き、飛行機の研究に明け暮れる。飛行機を作る技術と共に試験飛行で操縦の技術も習得していった。フランス語もすっかり上達し、フランス人の友も増えた。そしてジェルメンヌという女性と恋に落ち、ずっと一緒にフランスに住み続けたいと思っていた矢先に(1912年)帰国命令が出て二人は涙ぐみながらにも別れざるを得なくなる。
(1912年)帰国した日置は横浜沖観艦式で海軍飛行機隊として初めての飛行披露を行い、(1916年)神戸での飛行披露が運命を変える。来賓席の一人の紳士が日置に声をかけた。その紳士こそが川崎造船所社長、松方幸次郎だった。
飛行機製造のために日置は一番ほしい人材であり、海軍も民間の飛行機開発を奨励していたため、海軍は即座に松方の申し入れを受け入れた。
こうして日置は川崎造船所の嘱託技師となり、即(1916年)第一次世界大戦の真っ最中にパリ行きが決まった。日置は諦めていたジェルメンヌにまた会えることへの淡い期待があった。再会したジェルメンヌもまた日置を待っていた。危険な飛行機乗りとの結婚はジェルメンヌの両親が許さなかったが、二人は決してもう離れないと誓い合っていた。日置は松方に感謝し、今後何があってもこの恩義は忘れないと胸に深く刻む。日置のこれからの人生が決まった瞬間だ。
しかし5年後の(1921年)事態は急変する。パリへ到着した松方から飛行機製造は諦めると告げられ、日本に美術館を創る構想を聞くことになる。飛行機製造の道を邁進してきた日置は、いきなり梯子を外され戸惑うが、「どんどん絵を買ってパリに留め置くからその美術品の面倒を見てくれ、美術館が出来るその日までパリに住み続けてほしい」と言われたのだ。
日置はパリに留まれることに逆に感謝して『飛行機を造るのをやめて、タブローを守る』と心に決める。ジェルメンヌもうれしさで感激の言葉が『戦闘機ではなく、タブローを』『戦争ではなく、平和を』と『なんて美しいの』だった。
美術品の管理の他の仕事として「パリの画廊からの出物の情報」「パリの日本人会との交信の手伝い」「ヨーロッパ各国の政局の情報収集」これらを松方に打電するのも重要な任務だった。
そして松方から”ドイツの最新型Uボートの設計図を手に入れる秘密の任務“のことを日置に打ち明け、死ぬまで口外無用だと命じるのだった。実はこの時、松方を介して田代雄一と初めての出会いがあるが、田代は日置のことは何も知らされていない。
(1931年)ロダン美術館に預けている松方コレクションの将来の保管に為にパリ郊外のアボンダンの農家の母屋を買う(日置48歳、ジェルメンヌ40歳)。3年前には川崎造船所は経営危機に直面し、松方幸次郎は社長を辞任していた。ロダン美術館への保管料も支払えなくなると保管の委託は困難になる。コレクションをアボンダンの農家の2階に移すことを決心する。
(1939年)フランスとイギリスはドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まる。
(1940年)松方の指示で日置は彫刻以外の400点近い絵画タブローをロダン美術館からアボンダンの母屋の2階に全て疎開させた(日置57歳、ジェルメンヌ49歳)。ドイツ軍がパリを占領し、日置は 村人の中でドイツ軍のスパイではないかという噂が流れ、ジェルメンヌも床に臥せりがちになってしまった。医者を呼ぼうとする日置をジェルメンヌは止める。他人が家に入ればこの家の秘密が知られてしまう。タブローのことが。
そして(1942 年)ジェルメンヌは他界し、2年半後(1944年)ドイツ軍の敗北が濃厚になって来ると日置は400点近いタブローをドイツ系のー画商アンドレ・シェーラーに預けてコレクションを守ってくれるよう託すが、結果的にフランス政府に差し押さえられてしまう。
(1953年) 今までの松方コレクションの状況を全て知っている唯一の人物である日置は、パリにフランス政府と松方コレクションの返還交渉に来た田代に会いに行き、フランス政府に差し押さえられるまでのその保管、所在の変遷の『タブローを巡る物語』を田代に全て話すのだ。そして田代は日置に『今度は私の番です』とその返還交渉の決意を語る。そして松方幸次郎が3年前(1950年)に84歳で他界したことを田代から初めて聞き、放心する。
(1954年)肺病の悪化で他界、71歳。国立西洋美術館の開館に間に合わなかった。
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多角的に描かれる心に残る話を読んだ
前衛画家達も、松方も、田代も、日置も、みんな愚かものなのかもしれないけど、みんな美しいね
ジェルメンヌの言葉で涙が溢れた
そうだよ、
戦闘機じゃなくて、タブローを
戦争じゃなくて、平和を
正しすぎて、辛い
国立西洋美術館はやく行く
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美術館に行きたくなる。
美術館は目の覚めるような気づきや学びを得られる場所でもあるけれど、あえてそういうものとはいったん離れてただただ無心で作品たちとゆっくり向き合いたいと思わせられるお話しだった。
日本ではじめての美術館を誕生させてくれたすべての人にありがとうと伝えたい。
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「戦闘機でなく、絵画(タブロー)を。」(戦争ではなく、平和を!)
今の時代にも、とても必要なメッセージだ!と思いながら読んだ。今の日本(政府)は、「文化」をとても軽視しているように感じる。このコロナ禍でそれが露呈したのではないか。
でも、こういう時だからこそ「文化」を大切にしたい。してほしいと思う。松方コレクションを「取り戻す」ために、この物語で吉田茂が語ったエピソードに心が揺さぶられた。大事なのは、武器を武力を増強することではない。交流と相互理解を深めることだ。
松方さんの想いに賛同する人たちが奔走する。それが大事なのだ。誰かの想いを実現させたいと思い、動く人がいる。それが今、とても求められているような気がする。
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美術館が身近にあり、子供の頃から連れて行ってもらえる時代に生まれて、戦争前に描かれた西洋の絵画が日本の美術館にあることがどれほどすごいことなのか考えたこともなかった。
今国立西洋美術館を訪れたら、命を懸けて守られてきた絵を見てより一層感動してしまうのだろうな。
誰もが見たことのあるあの傑作までもが松方コレクションだったのかと、驚いたし、モネの元を実際に訪れたシーンなどは興奮してワクワクが止まらなかった。
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史実に基づきながらも、実在した魅力的な人々をより魅力的に描いているという、解説に共感した。「楽園のカンヴァス」、「たゆたえども沈まず」の順で読んでおり、今回が3作目だった。
原田マハさんの3作品を通して思ったのは、史実から創造された情景描写、心情描写がわかりやすく、想像しやすいのはもちろんのこと、加えて場面や時代の切り替えによる話の運び方が秀逸であることだ。
時間軸に沿って史実を説明するのではなく、時間軸を前後することで、読者側にとって物語性を帯び、ドラマチックに映る。
第二次世界大戦下に日本における敵国、フランスにて守り抜かれたタブローを描いてはいるが、本書が2022年に出版され、ロシア、ウクライナの問題下であり、ヨーロッパの情勢が雲行怪しいことも無関係とは思えない。
松方が社長であっても会えなかった人にタブローを通せば簡単に会えてしまうと言っていたように、文化を介せば私たちは、もっと相手と近づけるのでは、分かり合おうとするきっかけになり得るのではないか。
国同士が緊迫していても、文化はそれらを飛び越える。その国の文化は相手に興味を煽る。世は話し合うことでしか良くなっていかない。いくら血を流しても世の中は良くならない。そうした話し合いは相手に興味をもってもらう、もたせるというほんの小さなことから始まる。
どうか、現代において、健康で文化的な最低限度の生活さえあれば、、、と思わずにはいられない。
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「戦闘機ではなく絵画(タブロー)を。戦争ではなく平和を。」
第二次世界大戦を経て設立された国立西洋美術館の誕生秘話や、松方コレクションの経緯を史実を元にしたフィクションで成り立つ物語。ゴッホの「アルルの寝室」などを含む超有名作品を中心に、現代に近い時代とさらに前の時代を行き来しながら進んでおり、結末で繋がる。
少し難しい部分もあるが、本気で美術に向き合った者達の奮闘した日々が綴られており、思わず食い入るように読み終えた。
これを読むと、国立西洋美術館での絵画の見方が変わるかもしれません。
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230416*読了
いやもう言わずもがなで、めっちゃよかった。
やっぱり原田マハさんのアート系小説は最高である。
アートへの熱い想いが、登場人物を通してひしひしと伝わってくる。ここまでの熱さを感じて、感動しないなんてことは考えられない。
松方コレクションを日本へ。
国立西洋美術館創立にはこんなに美しく切なく情熱的なドラマがあったなんて。
今すぐ国立西洋美術館に行きたい。東京に飛んで行きたい。
アート収集に心血を注いだ松方幸次郎さんの想い、コレクションを守り続けた人たちの想い、コレクションを取り戻すために想いを伝え続けた田代さん(こちらはモデルがいる架空の人物)の想い、すべてが絵の具がタブローに折り重なるように重なって、国立西洋美術館へと導いてくれた。
彼らの行動の何が欠けても成し得なかった。
事実は小説よりも奇なり。
苦難もあったけれど、それでもこれは運命だった。
こうして日本で西洋美術が楽しめ、老若男女問わず美術を堪能できるようになったのは。
熱い想いと芸術が織りなした数奇な運命を伝えてくれる素晴らしい小説です。
わたしの推し画家、モネとのシーンも大好き。
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全員がそれぞれの持ち場で命懸けでコレクションを守り取り返そうとする、登場人物の気概には頭が下がる想い。
すぐにでも国立西洋美術館に行きたくなる。
*
すばらしい美術館を持つ国は、無敵艦隊を所有する国よりも、ずっと品格がある。それだけで勝っているような気がするよ。p293 松方幸次郎
*
これが全て。
この想いが理解出来る政治家や経営者が今現在の日本にどれくらいいるのか?
欲を言えば、フランス政府側との交渉の描写が後半にもっとあれば良かったな〜と個人的意見。
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日清、日露、第一次、第二次と大戦を経て変わりゆく時代の真っ只中を豪快に生きた松方幸次郎。
その松方幸次郎と、『タブロー』を与えた者達、守る者、意思を継ぐ者に焦点をあてた物語。
モネ、ゴッホ、ロダン、読み進めると出てくる数々の作品は、私でも知っているものもあり興奮した。
「あとがき」では田代雄一以外は実在の人物でほぼ史実に基づいているという。その田代雄一にも実在のモデルがいる。
吉田茂やモネなどと時代を共有し、日本の若者の為に日本初の西洋美術館を作ろうとした松方幸次郎に日を当てた原田マハさんはやはり素敵だ。そして傑作だった。
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時間がかかってしまったけど、よかった…時系列にエピソードが並べられているわけではないので、時間が空いて続きを読むときは何回も前のページをめくってしまった〜けどよかった〜!!
国立西洋美術館に絶対行きたい。原田マハ作品を読むたびに思うけど、絵や写真がなくても絵画を見ている気分になるから本当にすごい。コロナ前にオルセーもオランジュリーも行ってて本当によかった。また行きたいよ〜絵が見たいよ〜!
2023.7.27追記
国立西洋美術館行って来たよ〜!!!モネがいっぱいあって最高だった!ゴッホもルノワールもセザンヌもピカソもぜーんぶ良かった!窓の代わりに飾った絵はこれだったかな、とか、モネを訪ねたときに描いていたのはこれかな、とか、きっかけとなったブラングィンの船の絵はこれかな、とか、ブラングィンが描いた松方幸次郎の自画像ってその場で描いたというあの?とか、この本を読んでなかったら思い付きもしなかったことに思いを馳せながら鑑賞できて、とても贅沢だった。美術館って本当に楽しい!
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上野にある国立西洋美術館の松方コレクションにまつわる壮大なストーリー。どのあたりが著者の想像力で補われて物語をゆたかにしているのかわからないが、関係者の情熱と苦労を感じる。それにしても、当時のパリの様子も印象派の作品もとてもまぶしく感じる。