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島清の評伝。筆者が島清の存在を初めて知ったのが、ヤンジャンの『栄光なき天才たち』だったという話に「おお!同世代!」ってなこと(筆者の方が年上だけど)を感じる。俺も『栄光なき天才たち』で島清を知って公立の図書館で『地上』探して読んだわ。
あの頃のヤンジャンを語るには「レモンエンジェル」はまず外せなく…と話がズレたけど、徳田秋声との関係が想像していたよりも深かったことが知れたりして、色々と勉強になりました。駄作と言われていた『地上』の二部以降が、それほどに悪くないということだから、探して読んでみるかな。
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「島清恋愛文学賞」と文学賞にその名前を冠されながらその著作が殆ど知られていない作家島田清次郎。(それを言ったら直木三十五だって今や著作を読んでいる人は少ない訳ですが)
20歳にしてデビュー作が大ベストセラーとなり、その後の続編も続けて再版を重ね、新潮社の社屋はこの作品で建てられたとまで言われながら、傲岸不遜な振る舞い故友人にも、作家仲間にも疎まれ、マスコミには揶揄の対象となり、女性スキャンダルの後、精神病と診断され入院措置の後、結核で亡くなった作家の評伝。
確かに清次郎本人が悪い。
友人にも疎まれよう。しかしそれにつけても新聞や雑誌の扱いの酷さには哀れを感じずにはいられない。
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装丁:金子哲郎
大正時代に一世を風靡して若者にカリスマ的人気を誇るも、海軍少将令嬢の誘拐監禁スキャンダルを起こし、その後精神病院に収容され死んだ「天才」小説家島田清次郎を、精神科医である著書が再検証する。
島田清次郎という作家はこの本を読むまで知らなかったのだが、周囲の人に火の粉を振りまきながら自分自身を燃やしつくた生き方に圧倒された。
近くにいた人はたまったものじゃないけれど、一人の男の苛烈なパーソナリティという面ではとても興味深く思える。
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島田清次郎という作家を知ったのは,どこかでこの作品の書評を見たから。なので,「地上」も含めてまったく作品を読んだことはない。
それでも,本書には作品のあらすじや原文の一部が引用されているので,島田清次郎の作風はなんとなく理解できた。作品を読んだうえで評伝を読んだほうがいいに決まっているけれど,それでもじゅうぶんに迫力のあるノンフィクションに仕上がっていると思う。
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「本当に天才だったのか。本当に狂人だったのか」のコピーに惹かれて読みました。
―どちらでも、ない。
―つまらないオトコ。
これが私の感想・結論です。
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大正時代、二十歳の青年が空前のベストセラー小説を生み出した。
当時の批評家達の絶賛と、若者達の熱狂的な支持を受け、一躍時代の寵児に。
だが、あまりにも傲慢で激しい性格が、彼を地に堕としていく。
文壇からは忌み嫌われ、さらには令嬢監禁事件を起こし、人気は急落。
ついには、精神病院に収容され、肺結核でこの世を去る。享年三十一歳。
忘れられた作家・島田清次郎のあまりにも波乱に満ちた人生を精神科医がたどりなおす。
私が島田清次郎を知ったのは、旅行中に偶然見た金沢ゆかりの人物を紹介する展示です。
神経質そうな眼鏡を掛けた青年の写真。
その横に掲示されている説明文は、普通もっとオブラートに包むだろう!という位に、彼の性格に批判的でした。
相当やな奴なんだろうな、そう思って説明文を読み進むと、「精神世界の帝王」とか「人類の征服者」とか壮大すぎる単語の数々が登場。しかも、デビュー作の『地上』は空前のベストセラーであるにも関わらす、作品名も作者名も知らない。しかも波乱万丈な生涯を送っている。
私の中で彼は、なんだか色々な意味で凄くて面白い人(ただし、友達にはしたくない)でした。
その後、ちょくちょく彼について調べるようになり、この本もその一環で読みました。
この本では、彼の生涯を丹念にたどっています。
浮かび上がって来る彼の姿は、それはもう酷いものです。傲慢で、冷酷で、滑稽で、頼むから身近にいないで欲しい類の人間です。だめ男的な愛嬌にも欠けている。嫌われて当然の人間です。
にも関わらず、読んでいるうちに「おい、やめとけよ」とか「落ち着け、清次郎」とか(心の中で)呟いている自分に気づいてびっくりしました。いつの間にか清次郎に肩入れし、ある種共感すらしていたのです。
それもそのはず。彼の傲慢さ、過剰な自意識、痛々しいまでの不器用さは、彼独特のものではなく、多くの人が程度の差こそあれ抱えているものだからです。彼はそれを尋常じゃなく全身から発散させてるような青年で、だからこそ若者達を熱狂させるような作品を書き得たのだと思います。
読み進むうちに、謎の怪人物だった清次郎が一人の血の通った青年として映るのは著者の筆力と、なにより愛情がなせる技だと思います。冷静に分析しつつも眼差しは暖かい。特にあとがきはグッときました。読んではじめて、自分がなぜ清次郎にここまで興味を引かれるのか分かったような気がします。
最後に彼の言葉を一つ紹介して締めたいと思います。
「本当に男の中の男になろうとしてゐる自分を愛さない女は女であるまい」
最初は大笑いしてつっこみを入れたのですが、本当は自分が「誰にも愛されていない」事に、彼は気づいてたのではないでしょうか。だからこそ「女であるまい」と言うしかなかった。そう考えると彼の孤独に身体が冷えるような気分になります。
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マンガ『栄光なき天才たち』に取り上げられたり、ドラマ化されたこともあるというのだが、日本文学には通り一遍の知識しかない評者が、島田清次郎なんて知らなくても恥ずかしくはないのだと思う。
これは精神科医の著者が島田清次郎、すなわち島清に関心を抱き、蒐集した資料を入念に読み込んで著した評伝である。
では島清とはどんな男か。それは副題にある通り、「誰にも愛されなかった男」である。あまりといえばあまりな呼ばわりだが、これは著者の罵詈ではない。島清をよく知る同時代人の形容なのである。
いや、そちらを先に言ってはいけないだろう。島清は大正末期の1919年に『地上』第1部がベストセラーとなり、第4部までがやはりよく売れた流行作家だったのだ。しかし、少将令嬢誘拐事件というスキャンダルを機に転落の一途をたどり、1924年、浮浪者に近い状態のところを警察に保護され、精神病院に入院。1930年、31歳で結核で死ぬまでを病院で過ごすことになる。
遡ると、島清の父親は公娼宿を経営し、経済的には潤っていたのだが、早死にしてしまう。父の死で貧困に陥った島清は、大層な秀才だったのに、持ち前の反抗的な性格で学校をやめてしまう。そのあたりから文学に関心を持つようになり、新人の長編をいきなり刊行して売れるという世相に乗じて『地上』が新潮社から売り出されることとなったのだ。まさに浮沈の激しい人生であった。
本書、実に面白い。構成がしっかりしており文章もこなれている、ということはもちろんあるのだが、島清という男があまりに面白すぎる。「誰にも愛されなかった男」だけに、現実にはお近づきになりたくないが、どうしてこんな人がいるのかと興味を惹かれるのだ。あとがきに触れられているだけなのだが、島清を見事に象徴すると評者の思う事実がある。彼の遺品のなかには4本の印鑑がある。いつ頃作られ、何に使ったものかはわからないが、その銘は「勝利」「革命」「改元」「釈迦」である。立派だが、ちょっと変だ。
実は、すでに杉森久英という作家が『天才と狂人の間』という島清の評伝小説を書いており、それで1962年に直木賞を受賞しているのだが、「天才」と「狂人」はまさに島清のキーワードなのである。
確かに学校では秀才であった。また、長編小説を書く才能もあった。しかしそれとは不釣り合いとっていいくらいに、島清は自分が天才であるという強烈な自負を持っていた。このため人を見下し、目上の作家たちを君付けで呼び、そのあまりの自信と大言壮語により、「自称天才」と揶揄され、ついには「狂人」呼ばわりされるようになる。
『地上』は自伝的な小説で、貧困な学生である主人公が恋愛をしたり、学生生活を送るなか、世の不正を目の当たりにし、大いなる志を持って成長していくといった物語である。社会主義運動が活発化していたこの時代、文壇では社会派の小説家として注目され、一定の評価を得た。
だが、著者はベストセラーになったことについて、文壇の見解はほとんど関係ないという。若い読者たちは、小説の登場人物と島清を同一視し、そこに憧れた、すなわち、現代でいうところのヤングアダルト小説のハシリな��だという指摘はなるほど秀逸である。
本書が『天才と狂人の間』と違うのは、精神病院入院後の様子も明らかにしようとしていることである。もとより世間というか文壇から奉られた「狂人」の称号と実際の病気とを峻別していることは当たり前だが、やはり早発性痴呆(統合失調症)を発症していたと考えざるを得ない。しかし当時の医師たちは気づいていなかったが、島清は、入院後なおも相当量の原稿を書いて再起を図っていたのである。筆者の視点は中立的で、筆致は淡々としているが、だめな子どもほどかわいい、ではないが、この「誰にも愛されなかった男」に注ぐまなざしはどこか暖かい。
惜しむらくは、「自称天才、兼、他称狂人」と、「精神病院の早発性痴呆患者」の間にどのような関連があったのか、なかったのか、言明されていないことである。もちろんそれは推し量るのがとても難しいことだろうけれども。
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あんまりと言えばあんまりなタイトルだけど、読んでみると、なるほど、この人を愛するのはなかなか大変かも。
それにしてもマスコミの、さんざん人を持ち上げておきながら、簡単に手のひらを返したような態度をとるところは昔からのようで。
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愛されないと言う前に
自分も人を愛そうとしない人の様に思えました。島田作品は読んだ事は無いけど
この人柄に感銘を受けたり同情したり何か感情を動かされる事はないかも
自分の理想と現実の狭間で
精神が病んでしまったのでは
やっぱり自己愛が強すぎるのは危ない
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死因が「狂死」とされている文豪、と聞いたのがきっかけで島田清次郎を知り、興味を持った。まず徳田秋声の「解嘲」を読んでみたら面白くて、次いで「地上」を読んでみたらまた意外な面白さで、同時に本書も読んでみたら一気にのめりこんでしまった。
「この人は何なんだろう」という思いからページを括る手が止まらない。出る杭は打たれる、というけれどこんな言動をしていては周囲の仕打ちも仕方がないと思われる。
でも本当に人との付き合い方がわからず、根っこの部分が弱い人となるとこれは生き辛いだろうなぁ…。かといって同情すればこちらが酷い目に遭うから迂闊に近付けない。不幸なことだなぁと思うけれど、本人はどう考えていたのか…。
まるで目の前に島清がいるかのように詳細な筆致に、途中から著者の尽力を感じずにはいられなかった。あまり有名ではない作家の、ちょっとした記述をこれだけ拾い集めてきたことに圧倒される。巻末の参考文献を見て、改めて感嘆した。