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読んでいて、すらすらと出てきた文章ではないなと感じてしまう。文章をつづることの苦しさみたいなものが、文章(の裏側?)から読み取れる。
「時刻表2万キロ」「最長片道切符の旅」に続く紀行文集ながら、本人も、序章で語っている通り、やることをやってしまって、やることがなくなっている時期、ある意味ドン底で書かれた文章であるせいなのか、なんだか取って付けたような文章のような気がしないでもない。ただ、前2作が基本的に同行者のない単独行であったのに対し、本作はいくつかの作品では同行者がおり、同行者がいることで変わってくる旅路の違いみたいなものも感じられた。
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それぞれの季節に、それぞれの旅がある。
著者のこれまでの旅行遍歴を月別にまとめ、傾向と対策?を探ったエッセイ。氏の初期の作品に当たるためサラリーマン時代の逸話が多く、実感を持って読み進めることができます。
印象的なくだりは「車掌、頭に来ました」。
こんな車掌が許された当時の国鉄のいい加減さというか、おおらかさに思わず頬を緩めてしまいました。
それにしても、ラストの12月の締め方、いかにも宮脇氏らしく渋いですねえ。
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1982年(書下しを除き初出78~79年)刊。鉄道歳時記紀行文のようだが、むしろ鉄道・旅行への想いを綴ったエッセイ。「ローカル鈍行」乗車に春を感じる理由が、車窓風景でなく、D車両の車端にしかない暖房設備に足を乗せた結果、自分の水虫が疼きだすからという件。国鉄貨車専用線に乗り入れていた鹿島臨港鉄道に乗らないと国鉄全線完乗が破綻する、と一頻り悩む著者。東京から四国へ行くのに、新幹線→新大阪発寝台特急「彗星」→別府から船で八幡浜へ渡るルートを採る著者。山口線のSL復活に異議を唱えるべく別候補線を真剣に探す著者。
硬券の使用済切符を呉れそうな駅員にホイホイ付いて行ってしまう著者。故人たる著者には誠に申し訳ないのだが、とても可愛い。全くお茶目な愛すべき存在にクスクス笑えてしまう。しかるに、国鉄全線完乗後、虚脱状態になった著者が「乗るべき線路がないと萎れてしょんぼりしていたのは…百余年に及ぶ鉄道史や四季折々七色に装いを変える国土を恐れぬ不遜な感懐であった」と述懐、「移動のための手段である限り交通機関は『文明』でしかないが、手段を目的に置換することで汽車は『文化』へと昇華する」とも語る。ホントカッコいいんだから。
上記の話題、国鉄や全線完乗が一大ブームとなった時期、SL廃止(これは流石に私も記憶にない)に涙流した時代を知らないと、全く判らないかもしれないなあと思いながら、でも書かずにはいられなかった、PS.新旧マルスを見極めて指定券取りに並ぶ列を決めるのではなく、前に並んでいる人がおばちゃんかそうでないかで決めた方が良い、との著者の教えには爆笑した。
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中学時代に夢中になって何回も読み直した本。
(宮脇俊三先生の作品としては第3作ですが、私にとっては人生を決定づけた2冊目でした)
いい年した大人になって、痛風発作で歩けないどころか起き上がることさえできない今、あらためて(iPadのGoogleMapsとWikipediaで1つ1つ参照しながら)じっくりと読み直してみたら、新しい発見が次々と。
あんなに夢中になって何回も読み直したのに、中学時代の自分の読書の浅さを思い知らされました。
例えば、1つ1つの地名や、列車の始発駅と行き先をGoogleMapsで確かめていくと、わかっていたつもりの部分もさらに深くなる。
多感な中学高校時代にiPadやGoogleMapsやWikipediaがある、今の若い人達がうらやましいです。
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読書の効能として、通算700冊から800冊を超えたあたりから、うさんくさい儲け話とか非科学的なダイエット商法とか、そういうインチキ人間に会った時にピンときて、だまされないようになる、って言うじゃないですか。
どういう本から読んだらいいかわからないなら、今までの読書量が圧倒的に足りてないということだから、何でもいいから手当たり次第に読め、片っ端から読んで読んで読みまくれ、とも。
でも、多感な思春期に夢中になって読んだ本を、あらためて1つ1つじっくりと読み直してみるのも、いいもんだな、と思いました。
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これを機会に、第1作の「時刻表2万キロ」と第2作の「最長片道切符の旅」も読み直してみます。
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高校生になったばかりの頃に読んだ、人生2冊目の自発読書です。(1冊目は漱石の坊ちゃん)
昔の国鉄の乗り旅の話ですが、著者の表現がわりとユーモアがあるので、行ったことのない列島諸国の風景を思い描いて楽しくなれる本でした。