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最初の頃は死のことが多く、最後に近づくにしたがって日常的な著者の考えになっていった。
生も死も含めて生きることで、哀愁漂う気持ち、命に謙虚でいる気持ちが大切ということかな。
時々ふっと笑えました。
読んだ中では「生きる悲しみ」に言われていることが似ていました。
人の死はせつない。死はただ会えぬことなのだが、二度と逢えぬことが真実である。真実は残酷である。
別れが前提で過ごすのが、私たちの"生"なのかもしれない。
人生は結果ではない。
正しいことというのは半分以上は人の目に見えないことだ。
「いい女は世間の風評、風潮にまどわされない。自分の目で見たものに善しにつけ、悪しにつけ第一義とする。そうゆう女はつるまない。」
尊敬する友達を思い出しました。
便利が正しい、という考えは正しくない。
スマートフォンを使ってる姿には風情、情緒がない。
著者の母の母の言葉。
「男の子を三人産んだら、道に人を殺めた人が縄をかけられて歩いてるのを見ても決して人殺しなどというてはなりません。女の子を三人産んだら、道の角に身体を売る女の人が立っているのを見て売春婦と決して言ってはなりません。男の子を三人産んで育てれば一人は間違って他人を殺める子供はできるものです。女の子を三人育てれば一人は身体を売らねば生きていけない生活になるかもしれません。それが世間です。」
安ければそれが一番という考えが広まっている。「安物買いの銭失い」という言葉がある。ものを大切にしない。
仕事の根本は誠実と丁寧である。この二つを成立させるのは品格と姿勢だ。
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エッセイ集。
タイトルの別れるについての話題は最初のみで、あとは特にテーマを決めずに書いている。
著者の肩に力を入れない生き方が分かる。
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その人生において、数限りない『別れ』を経験してきた作家、伊集院静。大人気連載の書籍化第3弾は『別れる力』と題して『人は人と別れることで大人になる』ということを厳しくも優しく説いております。
個人的なことを言いますが、まじめなことをいう伊の字先生を僕はあまり受け入れることが出来ていないのかもしれません。本書は週刊現代にて大人気を博す連載の書籍化第3弾です。僕の中にいる伊集院先生は昨日は麻雀、今日は競輪。明日は競艇とギャンブルまみれの生活の中に酒と女性との艶めいた話があるというのが印象で、かつての作品を読んでいると、何でこの人は生きているんだろう?と首を傾げたくなることが何度となくありました。
20歳で弟を海難事故で亡くし、35歳で当時の奥様(誰かはあえて書きません)を亡くされたことをはじめ、数々の『別れ』を経験したからこそ、『別れることで、人は大人になる』とおっしゃる理由がなんとなくわかる理由がするのです。作中には伊集院先生のご両親のことが幾度となく出てくるのですが、こういう話を伊集院先生がお書きになるのはたぶん、ここ近年になってからのことで、確か、若いときには当時、お父様が手広く手がけていた事業を継がず、肘を壊したことで野球もやめ、父親と伊集院先生がそれこそ取っ組み合いの大喧嘩をして実家とほぼ絶縁状態になったこともあったりしたので、言っていることはマトモでも本人の経歴は相当ハチャメチャで、普通の人が彼のマネをやると、まず半年は持たないでしょう。
しかし、そんな伊集院先生だからこそ、全うなことをいえる。そのパラドックスに僕は魅かれたからこそ、このエッセイを読み続けているのかもしれません。本書でも『女子供が鮨屋のカウンターにいてはいけない』ということがきっかけで相当なクレームが来たようですが、僕もカウンターの鮨屋に入ったのは人と一緒で、その方がそれなりの『ポジション』を持っていたからで、一人でそういったところに入るにはまだまだ修行がいるなぁと、そんなことを読み終えた後に考えたのでした。『大人の男』になる道はまだまだ険しいみたいです。
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伊集院静ってこんな人だったんだーと思う一冊でした。
今まで小説を何冊かしか読んだことがなかったので。
こういう男くさい感じ、結構好きでした。
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大人の流儀シリーズ。東日本大震災を経験したからか、ご本人が年を取ったからか、出逢いよりも別れが多くなったことを体現する題名に、内容的にも別れの話が続く。別れに力が必要というよりは耐性の問題かと思うけど、言いたいことは分からないでもない。ただ全般的に感傷的になっていて、初期のころの舌鋒鋭い感じが失われているところは従来のファンからしたら寂しいでしょうね。
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伊集院静、ここ最近名前をよく目にするのでついつい買ってしまいました。
なんだか、最初の辺り。第1章とかまでは別れることについてのエッセイになってましたが、
最後の方はただの年寄りの悪態ですね。
しかも、年寄りに多い、男至上主義の女子供を下に見ることばかり書いてあってなんだか不愉快に。。。
「グリーン車に乗るバカな若者へ」 って好き勝手言い過ぎでしょう…( ;´Д`)
まあ、それはそれとして、読みやすいのは本当。
あと、選ぶ言葉が私好みなとこがあるのも本当。
もう数冊読んでみることにします。
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大人の男のエッセイですね。
特にテーマはなく、読み流せた。
うんうん、とか、いやそれは、とか
頑固親父が絶滅しかかってる現代、面白かったです。
≪ 別れ経て 心の隅に 今日生きる ≫
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伊集院静氏のエッセイ。今や希少価値となった若者をしっかりと叱れるおとなのオトコ。私は伊集院氏のファンで、いつか一緒にお酒を飲んでみたい。伊集院氏のなじみの店でカウンターに座り、熱燗をさしつ、さされつというのをしてみたい。(こんな妄想するおばさんは下品だと叱られそうだが…)
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”時間はクスリ“という言葉がある。最愛の人を亡くして絶望の淵にいても、時間はいつかその気持ちをやわらげ、新しい光さえ見せてくれる。
楽して得られるものなんてない。
私は時々、彼に言う。野球だけが人生じゃない。人生を好打できる方が百倍もイイ。
「生きて帰ってこられたんです。それだけで十分ですよ」
「いろんな環境で伊集院、頑張ってます」
落ち着いて、落ち着いて……。年が越せるか、と大晦日まで心配した年もあったが、年が明けて、元旦の青空を見ると、ああなんとか越せたな。と思うのが常だった。以来、”過ぎてしまえば……“が、私の年末の心構えとなった。
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http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2181533
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別れることは決して誰か何かを不幸にさせるだけのものではない。
死はただ逢えぬだけのことなのだが、二度と逢えぬことが真実である。真実は残酷である。
いかなる別れになるのか、今は想像もつかないが、それを受けとめるのも生きものと暮らすことなのだろう。自分が人間であったことを悔やむかもしれない。
別れが前提で過ごすのが、私たちの“生”なのかもしれない。
たとえ人が、バカなことをと笑ってもかまうことではない。正しいことというのは半分以上が人の目に見えないことだ。
その数字がきちんと国民の声を代表しているという根拠は何なのだ。電話を受け取った人間が、その時、そういう感情でいたのか、どういう立場でいたのか、普段、政治のことをそれほど考えているのか、まったく見えないのと違うか。
勝負というのは徹しないときもあるからです。
なぜ周囲と同じようにするのか?それは安堵、安心を好むためである。人と違った行動をするということは案外に難しい。当人が不安になるのである。
ひとかどのことを成して、長くきちんと生きてきて、初めて座ることができる場所が世の中にはあるのだ。
常識と良識
仕事の根本は、誠実と丁寧である。このふたつを成立させるのは品格と姿勢だ。これを覚えるのに下手をすると何十年、いや一生かかる。だから仕事には揺るぎない尊厳がある。
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先生そろそろ年取ったようでなんだかガチャガチャしてきたな。小うるさい頑固爺まであと少し。4巻目には完成していることだろう。
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「大人の流儀」シリーズ第三弾です。
今回は「別れる力」がサブタイトルについていたので、その手の話を主に集めたのかと思ってましたが、最初の数話だけでした。
この人のエッセイは、内容はともかく、読みやすく、分かりやすい文章なので、頭に入ってきやすくて好きです。
内容を理解するために文章を解読する必要はなく、文字が意味として頭に入ってきます。内容はともかく(笑)
タイトルにある「大人」というのは、ちょっと大上段過ぎる気がしますが…。
ただ、「粋」を理解できる人はやっぱり少なくなってきてるんですね。
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久しぶりの伊集院さんのエッセイ(?)
基本的に8割ぐらいが伊集院さんの偏見です。でも、時々ハッとさせられる事がある。
大人の意見も時には大切です。
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人生に別れは必然であり、別れこそが人生だと、淡々と語っているようで、あとからじわじわ。。
出会ったことが生きてきた証であるならば、別れることも生きた証なのだろう、と。なるほど。。
人はなぜ死ななければならないのか、別れなければならないのか、ずっと考えている答えは見つからない事は分かっているけど、噛み締めながら踏ん張ること、それが生きるということなのかな…