「犬」には、おっきしない
2022/08/25 20:41
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投稿者:いほ - この投稿者のレビュー一覧を見る
サドを読んで、おっきするオトコノヒトはあんまりいないと思いますが(サド本人もおそらくしていないんですが、逆に、なんらか「教育」されてしまったオトコノ/オンナノヒトは今日の日本その他にたくさんいるのでしょうが)、
「犬」を観て、おっきするオトコノヒトもあんまりいなかったと思います。少なくとも会田誠本人はおっきしてなかったし、今もしないでしょう。「犬」は、おっきする/しないとは別方面について、確信犯的に狙いを定めて逆撫でするという、明確な意図を持った作品である、これが30年前の発表当時の共通の理解だったと、わたしは思います。花子も美味ちゃんもジューサーも切腹も、、、大きく見れば同様のコンテクストです。
(なお、本書のなかには、花子はその諸々のコンテクストの凝集度の高さから、もっと多方面で「炎上」してもいいはずなのに、なんで「犬」ばっかし、、と本人は考えている、というような箇所があります(こんな風には書いてませんが)。やはり、むつかしすぎて、多くのヒトには観えないのかもしれません。花子は、あたかも「漫画生原稿」のような(しかもISBN取得済みの出版物で狙い通りに絶版という)アプロプリエーション(盗用)なので読めないヒトも多いし、逆に「犬」のアイコニックな力(一目でナニ描いているかわかるし、なんか本気っぽい)を示す事態でもあると思います。花子はどうみてもクソエロマンガで、本気っぽく無い、に「見えます」。文句なしに芸術ですけど。)
が、なんだか、おっきする・してしかるべきと自動的に考えるヒト(「教育」の賜物ですね)が増えて(批判排斥するヒトも同様におっきしているわけです)、「あーめんどくさい、一回だけ言うとくわ、もぅ二度とせーへんで」と、書かれたのが、本書の1です。「犬」とは、当時大学院生の会田誠が、知的・戦略的・超絶技巧的に、決然と、以降現代美術家として生きていくという自覚を持って描いた、高度にコンセプチュアルでコンテクスチュアルな実質デビュー作である、このことが「啓蒙的(本人は嫌がるであろう形容ですが)」に「解説」されています。美術家による言葉によらないクリティック(絵画作品)を、当の美術家が言葉で「解説」する、これを当の美術家も「悪趣味」であると十分自覚している、この苦々しさのようなものが本書1の特徴だと思います。こんなものを書かせてしまった2022年現在の(視覚)文化の状況に暗いものを感じます(えらそうですいません)。会田誠はもう二度とは書かないだろうし、こちらも期待してはいけないと、強く思います。
続く本書の11は、おっきする/しないをめぐる、一見素朴な告白のように見えますが、この人が素朴なはずはありません。「それでも「犬 その他」は、おっきする/しないをめぐる(かのような)表象・意匠をもたねばならなかったのか?」についての考えが開陳されます。うえの「教育」への自己言及(自己をひとつの同時代のサンプルに見立てる)=「時代の証言」的な性格もあり、表象文化論的?・現代芸術論的?な重要度は、こちらのほうが上かもしれません。会田誠はポルノを全く否定しません(味方する)が、自分の作品はポルノではなく芸術であることも、きっぱりと肯定します。上下はまったくないが、別物である、と。
なんだかすこし腐すような文章になってしまいましたが、本書は内容自体は大変面白く(同時代のヒトには特に)、知的満足度も異常に高く、現代芸術/美術を語る上での必読書となっていることは、間違いないと思います。なにしろ、いわゆる「本人談(書ですが)」ですし(笑)。
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<目次>
第1章 芸術~『犬』全解説
第2章 性~「色ざんげ」が書けなくて
<内容>
中二病のままかな?こじれたまま…。
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なんて言いますかねぇ。別に否定はしません。会田さんの絵は好きだから「犬」も好きです。でも、これは言い訳を連ねてるだけにしか読めませんでしたわぁ。
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犬という自身の作品と古典絵画の性をモチーフにした著者の哲学的著書。
一般人の美大生に対する愚問が面白い。
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美術史を踏まえつつ、巻き起こるであろう反応も織り込み済みで制作された、会田誠の代表作であり様々物議を醸した自身の作品を、ここまでしっかりと解説したものは中々珍しい。
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犬 1989年
痛々しいほどフェイクな古典主義 第一号
狩野永徳「檜図屏風」 三島由紀夫 小林秀雄
ルール:現代的であること 日本的でなければならない
膠と岩顔料は無視しアクリル絵の具
愛ちゃん盆栽 川端康成「禽獣」
薄曇りの視覚文化
藤田嗣治
可愛い文化≒ロリコン文化
藝大大学院 大学の費用で個人で一人のモデルを描く その時のスケッチ
西洋近代美術のヌード×ポルノ産業×現代美術 混ぜたら危険なもの
幻術は究極的には何も主張しない「ナンセンス」
ジレンマ
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「犬」に至る発想からプロットの練っていく過程、そして、制作にいたるまでを作家自身が語ります。
この作品は自分が学生だった当時、『ホラー・ドラコニア少女小説集成』の「ジェローム神父」の表紙および挿絵になっていて、書店でも異彩を放っていて、衝撃を受けたことを覚えています。いわゆる「芸術」っぽいタッチ(非エロ漫画的)なのに、淫靡な匂いがする。グロテスクで絶望的なシチュエーションのはずなのに、少女の顔は朗らかで陰惨さを感じさせない。なんだろうこれは、としばらくずっと本の前で立ち止まった記憶があります。後年、美術の勉強をするにつれて、彼が日本を代表する現代芸術家の一人であることを知りました。
彼は日本社会を批評的に見る作品を多く制作していて、つまり、この作品もそれと同列に見る必要があります。それは「美少女趣味」であったり「アニメ文化」であったり「ポルノ」であったり「画壇」であったり「美術史」であったりするわけで、そのためにこのSM的なモチーフや日本画という技法が選択されたということです。
それが良いことか悪いことかは置いておいて、会田誠および「犬」シリーズは、現代日本美術史の中に組み込まれる作品なんだな~ってそんなことを思いました。
会田誠も本書の中で、この絵を見て「愛でればいいのか」「眉をひそめればいいのか」分からなくなって立ち止まらせることを意図して制作したと書いてあるが、そういう意味では、当時の自分はまんまと彼の策略にハマってしまっていたということになる。
でも、後半の色ざんげは、長文のはてなブログを読んでるみたいな読後感で、、、うーんとなっちゃった。
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『犬』のコンセプトについての解説も含め、あまり正面から問われてこなかった「性」の「芸術」の関係を著者なりに論じている。ピカソと川端康成の対比など、独自の視点が面白い。
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作品「犬」には「良い。良い?」
という感触を持っていたので
腑に落ちた箇所が多々あった。
批評が様々に連動するように制作され
そこで発動する「ジレンマ」と「動的な静止」がかっこよく
脱構築的とも感じた。
読中、作者が「いなくている」感覚が際立った。
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話題作『犬』の第一の目的は「日本画維新」であって「悪」や「エロ」は手段に過ぎなかった。人間にとって切っても切れない重要な要素だから、手段としてとっさに選ばれ使われたのだ。
アーティストという存在が興味深かったです。アーティストが育つ環境としての芸大もすごいなと思いました。
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徹底した言語化ができる人だと思う。いやあの作品を作り続けているからこそ、徹底した言語化をせざるを得ない状態になったのかもしれない。本人にもどちらが鶏か卵かはよくわからないのだろう。
真っ当なプロフェッショナルであるとともに、市井の人の下世話さもわかる稀有なアーティスト。
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一部の女性からとても嫌われている絵画「犬」の制作過程を作者自らが解説した一冊。
あの作品は本当に一部の女性に非常に嫌悪されているようで、実際そんな人に出会ったことがある。そりゃ趣味のいい絵画ではないけど、何がそこまで一部の女性の心に悪い意味で刺さるのだろう。分かる気もするが言語化できてない気もする。所詮作り物だし。これに怒っていたら一部のAVやらエロ漫画はどうなのか?とも思うが、単に目に触れていないだけなんだろうか。芸術ということになってるからイカンのだろうか。
そんなことを思いながら読んでみたが、思いの他おもしろかった。冒頭で著者が言うように、作者自ら解説するって野暮だなとは思う。一言で言えば「低俗な変態的画題を、風雅な日本画調で描こうとしました」ということなんだろう。そこまでは素人の、美術の門外漢でもわかる。しかし読んでみると、作品からはまったく想像できなかったいくつもの伏線があり、その交錯点に「犬」という作品があることがよくわかった。謎解きというか、種明かしをしているような面白さがある。
しかし、こういう美術的文脈ってある程度勉強しないとわからない訳で、そういう作品を素人の前にポンと提示する現代美術ってなんなのか?とも思う。そもそも素人は相手にしてないのか?目利きの人はあの作品からあんなこんなを読み取れるのだろうか。まさか三島由紀夫とか川端康成が出てくるとは思わなかった。
そんなわけでおもしろく読んだのだけど、一点引っかかったところがある。それは、日本の「可愛い文化、ロリコン文化」の隆盛は、日本の太平洋戦争敗戦に伴う父性の弱体化に遡ると書いている箇所だ。そうなのかなあ?今ひとつ説得力を感じない。未熟なもの、か弱きもの、小さきものを愛でる文化は、もっと根が深く日本の底流に流れているような気がする。それはこの本の中でも、日本画では背景や木の幹はざっくり描くのに花の一輪一輪を細密に描く、と書いた箇所で触れられていることだ。
ただこの一連の記述を読むと「犬」の見方も変わってくる。「犬」という言葉にはネガティブなニュアンスもある。戦うための手足を切断されて、媚びた目で飼い主を見上げる未熟なメス犬。それは日本そのものではないのか?という怒気を含んだ保守サイドからの見方もできる。
それにしても、写実的で美しい絵を描いてれば良かった時代から、ずいぶん遠くへ来たものだ。
二章の『「色ざんげ」が書けなくて』も面白く読んだ。価値観が急速に変わる現代社会と性の軋轢について書いている。割と同意できる内容だと思った。特に印象に残ったのはオナニーする男性の心理描写。こういう妄想のような部分は確かにあるし、読んでいてキモチワルイ。自分がキモチワルイ。それが今もあまり変わってない気がして、更にキモチワルイ。しかしここまでそのキモチワルサを言葉化できるのは流石と言うべきか。日本のオナニー・スピリットの伝播で世界平和を夢想するところは笑った。
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美術家会田誠による初期作品『犬』の解説。描かれた当時の美術業界事情、西洋美術における裸体画の意味などにも触れながら制作意図が説明されている。
SNSで『犬』に向けてある特定の批判が繰り返し投稿されるらしい。「『犬』は永井豪が『バイオレンス・ジャック』で描いた人犬のパクリである」。この批判に、『犬』制作時には『バイオレンス・ジャック』を読んではいなかった。また、女性の四肢の切断には漢の戚夫人や80年代に流布した都市伝説の例もあり一般的なものであると、批判に応えている。
正直に言うと、もやもやしたものが残った。ネットのひとがなぜ『犬』を批判するかへの考察が間違えているではないか。『犬』への批判は、アニメや漫画のイメージを現代美術に持ち込んで成功した村上隆への批判と同種のもの、あるいは「のまネコ」騒動にもつながる、「嫌儲」と呼ばれる感情に近いのではないか。別この言葉でいうと「金の匂い」が感じられるからではないか、と思う。
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会田誠さんの『犬』という作品への批判に対する長々とした説明が、現代美術のあり方、その歴史などを語ることになっていて面白い。森美術館の展覧会はなぜか分からないけど見に行ったし、新潟市美術館での展覧会も見ている。そもそも美術に対してはあまり関心がないのだけど、関心を持ちたいと常々思っていて、ある時期『日曜美術館』を欠かさず見ていた。しかし根っこの部分で感性が乏しいため、美術作品に心から感動したことなど一度もない。太田光さんが『ゲルニカ』の実物を見てその場から動けなくなったなどという話を聞くたびに、かっこいい~と思う。
それにしても会田さんは創作に対してすごく意識的で考え事をたくさんして取り組んでいらっしゃる。自分はこんなに何か物事を突き詰めて考えたことがあるかと言えば、ない。必要がなかったから考えていないような気がするが、必要なことも考えずにやり過ごしているようにも思う。
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露悪的というのか、偽悪的なのか、過剰過ぎるのか、丁寧過ぎるのか、真面目過ぎる(不真面目を真面目にする、優等生的不真面目)のか、正直過ぎるのか、頭良過ぎるのか、作品(写真でだけど)も文章も私にはしんどくて、ゆっくりしか読めなかった。頭悪いし、知識もないしで、全然ついていけてなくて、反論したいのか、丸め込まれているのかさえわからない。
今まで知らなかった芸術家や漫画家の名前や作品、業績を知ることができたのは単純に良かった。