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二人称。筆者の若き姿と思しき架空の青年への書簡というスタイルは精悍でスマート、クール。自分語りはたいてい鼻に着くものだがそれすらクールに見えるのは、ある種の壮絶な事実が支えているからだろう。自己愛だけではここまで構築できない。気取りや顕示欲と紙一重ながら力量で読ませる。
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私は「カイン」と「善良な市民」の狭間にいる人間のように思います。
だから共感する部分、そうでない部分があり、結果的に評価としては★★★となりました。
共感する部分に関しては、引用にてまとめてあります。
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親や世間の常識に従って「いい子」として生きることしかできなかったK君に著者が
「親を棄てろ、精神的に殺せ」と力強く言う。
「常識などマジョリティのエゴにしかすぎない」と。
僕は、「そうだそうだ」と頷き、「あぁ、なんて力強く言いたいことを堂々と語っている本なのだろうか」と感動さえ覚えた。
そこまではよかったのだが、
後半はひたすらマジョリティに対する皮肉と戦いに終わり、僕の方向と決別した。
僕は新しい何かを作りだそうとした。つまり「哲学のようで哲学でない何か」なんだろう。
そしてそれでいい。何が悪い。
中島義道氏の本のおすすめの読み方は彼の文章と「戦う」ことだろう。それもただ一人で。単なる共感や受け売りに終わっていてはならない。彼を信奉してはならない。
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悩める大学生「T君」に宛てた「N.Y」教授の手紙。
「大人=醜い」、「親=敵」、「マジョリティ=バカ」ですか。
独善を押し付けておいてその傲慢さに全く気付かないマジョリティ共の愚鈍さを徹底的に非難していますが、逆にそっち(カイン)が多数派になっちゃったら「社会」とか「日常生活」が崩壊するなあと思っちゃうあたり、私も立派にマジョリティの一員って事ですね。
何でもかんでも二元論化されると、辛いです。
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ほぼ全く違和感がなかったのは、同じ境遇だからかな。やっぱり【幼少期の環境×人格形成】は一番の興味分野なんだろうなぁ(u_u)
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反抗することを学んでこなかった者にとってどれほどつらいことか
p124
体感的に学ぼう
p139
克服の半分以上は、其れをごまかすことによってなされる
哲学に極めて近いが哲学ではない
納得したい
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読後感はあまり良くない。考えさせられる一作。現代社会で暴力的なまでに拡大し、自らの力を及ぼし続けるマジョリティである善良な市民。彼らに対抗するカインと呼ばれるマイノリティー。ニヒリズムの観点から明確な理論で善良な市民を批判しており、現代社会で無条件に善行を崇拝し、他者に強要する善良な市民に読む価値があるだろう。
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初中島作品。
簡単に人物を批評すれば、この上ない比類ない皮肉屋であり、環境がそうさせた典型例だとも感じた。
心理学的用語でいえば、離人症、ACである。
苦しみ続けることによって変化する。自殺してしまったらその苦しみさえ無に帰してしまう。
106⇒人類には粗野な人種と繊細な人種がいる。全く別に人種。粗野な方が総じて人生というゲームで勝ち続け、繊細な方は負けに負ける。それによってどんどん偏屈な人間になっていく。
107⇒粗野なものは悩まない強さ、気にしないという鈍感さ、そして忘れるというずるさを持っている。
繊細なものは粗野にはなれない。
そして日本に蔓延する思いやり教、優しさ教、気遣い教といわれる伝統的な慣習に嫌悪してる。日本は道徳のレベルが高く謙虚で慎み深い民族。と、一般的に言われる。俺が思うに、それはどうもうっわつらの自己保身のためのツールに過ぎないと感じる。
氷山の一角とまでは言わないが、笑顔優しさは人間の先っぽの表層の部分に過ぎない、と。
そう友達も家族も表象に過ぎない。つまり性格ではない。自分がそのように認識しているだけ。
この日本に蔓延する常識と呼ばれるマジョリティ側の価値観に窒息死しかけるマイノリティの叫びの声。
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著者がどうして「自己愛に基づいた善」を嫌うようになったかが窺える内容.もともと強く出ることも怒ることもできなかった著者がどうやって強くなったかを綴っている.私は著者ほど「いい子」で,懸命に,苦しみながら生きてきたわけではないので,自分に向けられた言葉として読めるところは決して多くはなかったが,「適切に自分(と環境要因)を責める」という辺りは,実践できたらと思う.
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カイン好きなので何となく気になり中古で購入。
十数年振りの中島義道さんの本。
想像していたよりずっとずっと胸に刺さりました。
『T君』に語りかける中島さんの過激な言説の裏に見える真摯さ。
その言葉も実は『自分に向けて』語っていると吐露する正直さ。
読みながら自分中途半端だなあと思った。
言ってることがすごくよく分かると思ったり、もしかしたら自分は中島さんが言う『粗野で鈍感な』マジョリティかもしれないなと思ったり。
中島さんのようになりたくはないけど、彼の言うマジョリティにもなりたくない。
では、どうするか。
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幼い頃から「いい子」でいた著者が、同じような生き方をしてきた結果、20歳になって自分の生き方に疑問を抱き苦しんでいる「T君」へ向けて書いた、9通のメールという体裁の本です。
著者は、社会と折り合いがつけられない不器用な若者に、そうした自分を圧殺してしまうのではなく、逆にそうした生きづらい自分の人生を考えるために生きる、という道筋を示そうとしています。
おそらく「T君」も、著者の手紙を読んですぐさま悩みから解放されるということにはならないのだろうと思います。そうした自分自身のほとほと嫌気がさすような「どうしようもなさ」に付き合っていくうちに、そうした自分の「どうしようもなさ」を決して投げ捨てることができず、それと付き合っていくしかないという諦めがついたときに、「なぜ生きるのか?」という問いを考えるために生きるという、著者の語っている答えに出会うことになるのではないか、という気がします。
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嫌われる勇気とかとも似てるような人間関係や社会に悩む若者(青年)への本。
今の筆者が進路に悩む若者に語りかける形式で進んでいく。彼は親から期待されている道と自分の興味の狭間で悩んでいるという。
自分の若いときの話を引き合いに出しながら、『弱い』若者に向けて主にカントの哲学にそっていかに自分が『強く』なったのか、どんなことに苦しみを、救いを、感じたのかを告白する。
著者は自分は強くなったという。しかし決して幸福になったとは感じていない。彼は強くなる過程でいろんな人の存在を打ち消してきた。それがよかったのか悪かったのか。ただその道は生き延びるために必要だったのだ、という。
彼自身、強くなったことを後悔しているような節もあるのが面白い。彼の孤独の城は、地位は、成功は、ある意味敗北と取れなくもない。しかし死には打ち勝つことができた。たぶん人の数だけ戦いがあって、そして敗北も勝利もあって。こんな人もいたのだなあと思う。
カインな人に向けて、限定的な書き方をしているが、ちらとでも思い至るところのある人は意外と多いのではないだろうか。みんな何かしらの印を刻みながら、自分を殺しながら(生まれ変わった、変わった、というのはある意味少しずつそれまでの自分をあやめていくことでもあるのだなあと思う。変われなかったら自分自身への死が待っているのかもしれない)、生きていっている。
タイムリーすぎる本を読んだなあと思う。個人的にはそこまで死を恐れていないという天の邪鬼な気持ちがある。単純に死んではいけない、という論理はむしろ苦しいと思う側だ。しかし死にたくないときにこういう本は力になる。自分の命の始末が自分で決められる世界であって欲しい。ただそんな世の中は単純な幸福はもたらさないだろう。むしろ物事を複雑にする。だけど私は死よりも自由が欲しい。それはたぶんこの著者の言葉でいったら、人に迷惑をかけることから逃げたいからだ。そして私は弱いまま生きたいと思う。
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中島先生は生の無意味さと死の避けられなさに怯えと焦りを隠さない。本書でもそれは徹底的に踏襲されており、読む者の共感を呼ぶとともに深い絶望へと誘う。
一方で永井均は対照的に「存在の祝祭」、つまり長い歴史のなかで己が現在の社会に存在することの驚きを表明する。自己という存在の奇跡を高らかにうたいあげる。同じ現象がこれほど正反対に評価されるものなのかとしみじみ思う。
対照をなす二論のうち、中島先生はどうしても険しい方を選ばざるを得なかった。あえて苦しい道に進まざるを得なかった。それは自分には、あえて弱さを選択するという強さのように見える。気のせいだろうか。
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読み手を選ぶ本だと思うが、個人的には9章~あとがきの文章が非常に好みで、何度も読み返している。
p.210
さあ、ぼくを離れて、ぼくがきみに言ったことをすべて忘れて、きみはひとりで生きていきなさい。きみは、きみの人生をきみ自身の言葉で彩ることを決心したのだから、それをどこまでも続けることだよ。
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中島義道節が炸裂していた。本書は中島が死にたいほど悩んでいるT君(架空の人物)に宛てた手紙形式のエッセイです。しかし多分30年前の20代の過去の自分に宛てた手紙に近い。だからこれは自己啓発ではなくエッセイという方が正確な気がする。だけど中島の生き方はマイノリティーには励まされる。
少し引用します。
そして、きみはいつか死ぬ。この広大な宇宙の中で。たとえ、きみの書いたものが、きみの死後少数の人にあるいは大勢の人に読まれることがあるとしても、まもなく誰もきみのことを覚えていない時が来るであろう。きみはまったく忘れ去られるであろう。 それでも、地球は優雅に太陽のまわりを回転し、太陽は銀河系を回りつづけるであろう。そして、いつかこのすべてがなくなるであろう。
大体こんな調子です。しかし不幸を味わい続けてでも現実と向き合い続ける中島の態度は美しくすらあります。ただ中島義道という人間を知るのに特別本書を読む必要はないでしょう。彼の著作で他にもっと良作があります。