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この作品の影響は日本国憲法にも垣間見える。
自由論が示す「他人の利益を損害しない限り許される自由」を決して忘れてはならないと思う。
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意見が世論や宗教に抑圧されず、議論が開かれていることの大切さ、個人を尊重する意義などが論じられており説得力があった。
実例はイギリス政治やキリスト教などであったが、本質はどの時代でも通ずる内容であった。
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他者危害原則(Harm principle)の出典として有名な言わずと知れた名著。自由論についてゼロベースで論理的に述べられているのが特徴。以下に、本書を実際に読んで印象的だった点を三つ述べる。
・ミルの自由侵害の範囲は法的刑罰のみを指していない。そこには政治的抑圧のみならず社会的専制、つまり世論による圧力のようなものも含んでいる。ミルによると、支配的な意見や感情の専制は政治的抑圧と比較し逃れる手段が少なく、生活の隅々に深く入り込んで魂それ自体を奴隷化する恐れがあり、これらからの防護は人間生活の健全な状態にとって必要不可欠である、という。特に「協調」が重要視されるアジアにおいては社会的専制の作用は頻繁に観察されるが、そこには個人的選好の押しつけや非寛容的態度も多く含まれ、それを問題視すらしていないようである。言論の自由として許容されるべきもの、社会的専制からの保護を目的として許容されるべきでないもの、これらの境界について今一度考える必要があるように感じられる。
・思想と討論の自由および他者危害原則に共通して存在するミルの考えとして、自己の徹底的な相対視の姿勢が存在している。人は概して自らの意見や感情を絶対視し、他者にも適応可能であると考えがちであるが、ミルはその点で徹底的に謙虚であり、この姿勢が自由への考え方に繋がっている。一方で現代社会では、賭博、薬物などの依存症に関してパターナリスティックな姿勢を正当とする考えが主流であり、この点ではこれらの自由をも守られるべきとするミルの主張はやや極端なものに感じられる。もちろんいずれの意見も妥当性を持つが、個人的意見としては、ミルは個人の判断力をやや過剰評価しているように見られる。どれだけの人が合理的で妥当な判断をして日々過ごしているだろうか。
・第三章の「幸福の一要素としての個性について」は突然自己啓発のような様相を帯びる。しかも自己啓発としては極めて現代的でかつ説得力があり洗練されている。この章だけを自己啓発本として出版しても、近年ブームとなっている自己啓発本よりよほど読む価値のあるものとなるだろう。
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知人から勧められ、読んだ本。
1回の通読ではなかなか理解が及ばない部分も多かったが、『他人に危害を与えない限りにおいて、思想や行為は自由であるべき』という主張は、何とか理解できた。
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他者危害の原則という考えは自分自身も非常に影響を受けた。他人に危害を加えない限り、当人の行為は自由に尊重されるべきである、というフィロソフィーは現代においても通ずるものが多々あると思う。
ただこの理論思っていた以上に複雑。多岐に場面・シチュエーションが想定されていて、行為が尊重されるかどうかが論理的に説明されいる。個人的にはミルが一夫多妻制に否定的な立場だったのが意外だった。
2章あたりのキリスト教が絡んでくる話がよく分からなかったので、次回の再読ポイント。
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大学の授業にて、offendとharmの違いを知ったことを思い出しました。
offend:相手の気分を害する
harm:相手を身体的に傷つける
harmは、いくら自由とはいえ許されない、とのことでした。同感です。
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新功利主義を唱えた1800年代の思想家、J.S.ミルが記した自由な社会とはどうあるべきか ?
について
・思想と討論の自由
・個性について
・社会が持つ権力限界について
・原理の応用
という構成で議論を進めていく。
とても魅力的な内容で、今の社会生活においても考えねばならない事が多いと思う。
ただ、議論が厳密なため議論を追いかけるのが大変。
正直、後半は挫折し十分理解できなまま読み進んでしまった。
覚えておきたい原則
「他人に危害や迷惑を加えない限りにおいて、個人の思想や行動は制限されてはならない」
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・功利主義を前提とした著書。
・社会的自由:個人がそれぞれの個性を発揮する。そしてその個性の結果の言動によって他者を害することなく、様々な幸福を追求していくこと。だから、他者を害していない(一般的功利を損なっていない)行為の抑制は不当であり、そのラインまでが社会が個人に対して行使できる権力の限界。
・19世紀以降、国民と政府ではなく、個人と個人の間で抑圧が発生するようになってきた(多数者の暴虐)。多数者の暴虐についても対処が必要であり、そのために用いるのが「危害原理」。危害原理とは、社会の自己防衛が目的の自由の規制は正当であるが、他者に害が及ばない範囲で権力の行使は生徒と言う考え方。
・自由とは、他者の功利を損なわずに自分の多様な幸福を追い求めること
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2022/08/05 読了
#読書記録
#rv読書記録
Audible読書で無理やり読破
内容がシンプルに難しかった(小並感)
功利主義を前提とする、自由というものの在り方や社会のポテンシャルが論われている。自由を追求すること、それへの制約をかけないことがついては社会への公利や発展に繋がる、という解釈を持ったけど、かなり曖昧。。
またいずれ、社会学を学んだ上で読み直したい。
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完全な真理に到達するまでは可謬性を伴ってしまうとしても、多様な意見のぶつかり合いが必要だということなのです。基本的に世の中では一部の真理を含んでいる意見というものが多いわけなので(逆に言えば全て正解ではない)突飛な意見に見えるとしても実は聞くに値します。そのような訳でカントが「啓蒙とはなにか」の中で展開した議論と非常に似ているものがあります。この本の中で理性の公的な使用は制限されるべきではなく、一方で理性の私的利用は時には控えるべき場面もあると彼はいいます。例えば、すでに上官から命令が出ているのにも関わらず兵士がそれに対して意見を言うのは理性の私的利用を控えるべき場面に当たります。カントは全ての市民の理性の公的使用を促進すること、そのような自由を確保していくことが啓蒙に繋がるのだとこう言うことを言っているわけです。
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タイトルだけ読むと個人のあり方に関する書物という印象でしたが、個人にとどまらず、21世紀も色褪せない社会や組織のあり方について深く多面的な洞察による数多くのヒントが書かれていました。何回も読みたい名著です。
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内容の割に大変読みやすく、名著だと思った。
あくまで合理主義の観点から考えているとはしつつ、ベンサムのような機械的な考え方ではなく、個人にフォーカスした人間的な考え方をしている点が受け入れやすかった。危害原理に対しては、パターナリズムや道徳の観点から反論も考えられると思うが、現代の自由論の基礎をなす考え方の一つだと思う。
多様性について支持する考えがこの時代からあったことにとても驚いた。
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19世紀英国の思想家であるミルの代表作になります。本書は題名の通り「自由」について論じている本ですが、冒頭にも書かれているように、各人の市民的、社会的自由はどのように定義されるのか、を論じています。端的にいってしまえば、最終章に書かれている2つの格率が結論になります。第1に「個人は彼の行為が彼自身以外の何びとの利害とも無関係である限りは、社会に対して責任を負っていない」こと、第2に「他人の利益を害する行為については、個人は責任があり、また、社会が、その防衛のためには社会的刑罰または法律的刑罰を必要とする場合には、個人はそのいずれかに服さなければならない」ということです。そしてそれを説明するために、本書では思想及び言論の自由について、幸福の諸要素の一つとしての個性について、さらに個人を支配する社会の権威の限界について述べられています。
本書を読んで感じたのは、特に宗教と政府による強制への反発(あるいは警告)でしょうか。そもそも本書は訳注に書かれていているように、「自由」と「強制」の境界線を議論している本で、干渉と不干渉の境界線の議論ではありません。つまりミルからすれば、たとえば宗教団体がある人(信者ではない人)に対して「これこれこういうことはしない方が良いよ」という忠告を与えること、つまり干渉すること自体は道徳的に全く問題がないけれども、自分の宗教で禁止されていることを信者以外にも「強制」することは極めて問題があるということになります。その禁止したいと思っている行為自体が格率1に抵触していないことが条件です。本書は訳注もとても充実しており、自由とはなにか、ということを考えるに当たってとても勉強になりました。
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本書の主題は社会の中での「自由」について。つまりは、社会が個人の行動を規制することができる状況において、何が個人の自由の領域であるか。言い換えると、社会は、個人の不可侵の領域として、どんなことをしてはいけないか。また、そのためにどんなことを推奨すべきかということを論じた本。
1859年初版。
その原理は、ある個人が、他者に危害を加えた場合やその危険が明白にある場合以外は、その個人の行為に関して何も強制してはならない、というもの。
この原理とどのようにつながるのか理解が浅いが、
言論の自由についても強く語っていた。言論を擁護する理論は、真理は批判を打ち負かすことでより確実になるし、偽の真理であれば批判によってより真に近づく機会を得れる。言論を封じることは現状を無批判に受容することで、人類の発達への危害である。まあこんな感じ。
その文脈で、無批判の受容は無気力に繋がり、それもまた悪だとする。自分で選ぶことに重要性があり、選択を通じてこそ活力が生まれる。これはミルが考える自由人像の一つかもしれない。
とはいえ、時代背景含むコンテクストへの理解は浅いし、疑問も多い(何が疑問かも怪しい)ため、全部的外れな見解かもしれない…
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2020年の訳なのでかなりよみやすい。津村のよみなおし世界文学のおすすめ本の1冊で、文学書ではないが読みやすい。実例はキリスト教に関する者も多いがそれ以外のものもある。実例があるところはわかりやすい。常識の範囲で論を追っていけるので理解しやすいと思われる。