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みんなのレビュー45件

みんなの評価4.2

評価内訳

  • 星 5 (13件)
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  • 星 1 (0件)
41 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

哀しみの列挙

2008/08/07 09:17

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る

或る「小倉日記」伝 傑作短編集(一) 松本清張 新潮文庫

 12の短編集です。実は、小倉日記伝がこんなに短いとは知りませんでした。勢い込んで読み始めたら、あれっと思うまもなく終わってしまいました。次の作品が物語として続いていくだろうと予測したのですが、別の作品でした。50歳近くになって初めて読んで短編であることを知って、恥ずかしい限りです。たくさんの作品なので、そのうちのいくつかについて感想を残します。
「或る小倉日記伝」森鴎外氏の北九州小倉での生活を記した日記、それが見つからないわけですが、その日記部分を再現しようと田上耕作氏と母親が努力をします。松本清張氏が山歩きをしながらその場で文章をしたためている姿が目に浮かびます。でんびんやという仕事が紹介されているのですが、でんびんやではないのですが、わたしが子どもの頃、ゴミ回収のおじいさんがいたことを思い出しました。リヤカーで早朝に、家の前にある各戸のごみ箱から回収するのですが、おじいさんは仕事の合間に、適当に近くの家の玄関をがらがらと開けて勝手に開けて入ってきて、無言で土間で休憩をしていくのでした。そして家人はお茶やみかんをふるまっていました。
「菊枕」ずっしりと重い作品です。作品「点と線」のヒントがここにあります。清張作品の女主人公は美しい女性ということが定番のようです。主人公ぬいは清張氏がのり移った姿にも感じます。
「火の記憶」最後はぞっとする終わり方です。海辺の家での暮らし、炭坑街での暮らし、わたし自身の自分のこどもの頃の風景がよみがえりました。
「断碑だんぴ」作者の学歴に対する劣等感がすさまじい。日本国中至るところにこういった憎悪があるのでしょう。真実を追究していくと、すべてが壊れるのだろうか。
「笛壺ふえつぼ」学問の研究でお金を使い果たして、身をもち崩すのが「学者」なのか。大学の先生に対する目が変わります。
「石の骨」316ページ付近のお金にまつわる親族話は面白い。次の展開を読ませる魅力がある。教育現場とはかくも閉鎖的な世界なのだろうか。

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紙の本

巨人はここから始まる

2011/04/20 08:06

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 第28回芥川賞受賞作(1952年)。この作品をきっかけにして、文学界の巨人となる松本清張であるが、芥川賞を受賞したのはすでに43歳でけっして若くはなかった。前半生の塗炭の日々はすでに知られている。また、その後の活躍も衆目の一致するところだ。
 では、この受賞は当時の選考委員にどのように評価されたのだろうか。芥川賞の名物ともいえる選評をみていきたい。

 まず、絶賛したのは坂口安吾である。
 「文章甚だ老練、また正確で、静かである」と記した。その印象は今も本作を読んだ多くの読者の感想だと思う。
 さらに安吾は「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があ」ると、まさにその後の松本清張の姿を予見するかのような選評を書いている。清張もすごいが、安吾も恐るべし、だ。
 瀧井孝作もよく似た感想を持ったようで、選評で「この人は、探究追求というような一つの小説の方法を身につけている」と書いている。
 確かにこの作品で森鴎外の失われた小倉時代の生活を訪ね歩く主人公の青年の姿はその後の松本清張の緻密な取材活動と重なってみえる。その「探究追求」を「一つの小説の方法」とした瀧井もまた、その後の清張を見事に言いあてたといえる。

 一方で、石川達三は「光ったものを感じ得ない」と否定的に評価している。ただ、その評に「これは私小説の系列に属するもの」というのは明らかに石川の読み違えであろう。この作品の一体どこが「私小説の系列」なのか不思議でならない。
 この作品の面白さは事実が物語を生み、物語が事実を消している点にある。この物語の主人公は実際に存在するという。では、どこまでが事実でどこからが松本清張の造形であるのかといったそのこと自体が、小説の面白さを生み出しているし、その後の清張文学の核にもなっている。
 石川は選評の最後に「芸術作品は(中略)各人の個性にしたがって鑑賞すべき」とした。それはそれで正しいのだが、それを書いてしまえば選考にもなりえないようにも思う。
 この石川の選評に、松本清張はどう感じただろう。

 ◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。

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紙の本

本作で直木賞ではなく芥川賞を受賞。ミステリーだけではない、清張氏の名作

2011/09/22 15:36

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:辰巳屋カルダモン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者はこの作品で昭和28年(1953年)に芥川賞を受けている。
社会派ミステリーで知られる著者が、直木賞ではなく芥川賞を受けていたことは驚きだ。

 軍医だった森鴎外は、福岡県の小倉に赴任していた時代の日記を残している。
この小説は、実在の人物をモデルに、そのエピソードをからめたフィクションだ。

 小倉に生まれ育った田上耕作は、生まれつき身体が不自由だが頭脳は明晰で優秀だった。
鴎外の小倉時代の日記が紛失状態となっていることを知り、その足跡をたどる作業に取り掛かる。
それは彼の生きがいとなり、寄り添うように生きる彼の母親の生きがいにもなって行く。

 誰も彼も、何かをしていなくては生きていられない。
耕作は、当時の鴎外を知る関係者を探し出し、取材を重ねるが、それは楽なことではなかった。
「こんなことに意味があるのか」常に自問しながら、不自由な身体を酷使し、人の嘲笑を受け、悩み苦しみながら歩きまわる。そうせずには、いられないのだ。
「生」が与えられている間は精一杯に生きる。人間として、というよりも一個の生物としての使命。そんな当然のことをあらためて考える。

 戦後の混乱を経て、耕作は志半ばで病に倒れ、作業は頓挫する。
彼の研究は水泡に帰したのだろうか?そうは思いたくない。
むしろ、第三者の検証がなされたことで、鴎外の『小倉日記』の意義をますます高めることに貢献した、と言えまいか。そう思いたい。

 当初、ここで書評を終えるつもりが、再読して読み落としを見つけた。
ラスト近くのさりげない一文で、耕作の草稿の行方が明かされる。
彼の生涯をかけた研究の成果は、風呂敷に包まれて、どうなったのか。
彼は「むなしいこと」をした、と著者は明らかに意思表示している、と感じた。

 わたしの「希望的見解」は打ち砕かれた。だが、不思議と落胆はない。
本人には意味があり大事なことでも、世間では評価されないことが圧倒的に多い。
人が生きている間の行為のほぼすべては、風呂敷に包まれたまま、ほこりをかぶって朽ちていく運命なのだ。
「でも、それでもいいんじゃない?」
声高に主張はしないが、著者は「むなしいこと」にそっと心を寄せている様子が伝わってくる。
作家としては遅咲きだった、そのまま埋もれる可能性もあった、著者の意識がにじみ出たのかもしれない。
作中ずっと、耕作の描き方は、客観的でありながらも、どこか温かなまなざしであった。
読後感は悪くなく、からだに内側から力がみなぎってくるような前向きな気分だ。
日の目を見ない風呂敷包みでも、せめていっぱいにしてやろう。そんなことを思う。

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紙の本

まるで愛想のないタイトル、愛想のない書き出し。主人公とその母の、あまりにも見返りのない日々を淡々と描いて、しかし、ぐいぐい引き込まれていく。恐ろしい新人だったんだ、清張さん。

2012/01/11 15:08

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る

「昭和十五年の秋のある日、詩人K・Mは未知の男から一通の封書をうけとった。差出人は、小倉市博労町二八田上耕作とあった。」
とは、
なんとまあ、愛想のない書き出しだろう。
カッコよさ・オシャレ感ゼロ、難しさもあざとさもゼロ。

しかし。
しかしである。
ええ?!なに?なに?それで一体なにがあったの?!ここからなにが起こるの?…と、ものすごく気になるではないか。

「或る『小倉日記』伝」とは、大体、タイトルからして、まったく愛想がない。でも、つかまれてしまう。それで?それで?と、どんどん引き込まれていく。
生まれつき片足と言葉が不自由な田上耕作が、失われた「小倉日記」を掘り起こそうとするいささか常軌を逸した情熱と、それを支え続ける母。その日々を淡々と積み重ねていく味気ないと言ってもいいくらいの文章なのに、ぐいぐい引っ張られ、最後まで連れて行かれる。

そしてこのラスト。
無常感と、漂うか漂わないかくらいのわずかな哀愁。

これがごく初期の作品だったのだから、なんとも恐ろしい新人だった、と言わずにおれない。

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2005/10/10 23:51

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2005/12/14 21:42

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2007/03/10 19:43

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2007/11/06 16:37

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2010/01/18 00:25

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2010/09/26 18:07

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2010/10/13 11:42

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2011/01/25 21:23

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2011/07/20 17:56

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